在宅勤務(テレワーク)で通勤による人との接触を減らす、ということになっている。そのこと自体の是非というのではなく、新聞の編集作業を退職後8年近く「在宅」での仕事を続けているのと同じような私の状態からみた「在宅勤務」の問題点を列挙してみる。
むろん私の場合はほぼ無償のボランティアであり、勤務評価もない、しかも好きなことをしているだけという側面は強いし、現実の仕事・被雇用者としての問題点とはズレもあるという前提で書いている。
まず、運動不足になる。良くも悪くも通勤というのは体を動かす。特に公共交通機関を使う場合、駅構内の移動による早目の歩き、階段の上り下り、人との接触を避けるための神経の集中、電車の中での立ったままの姿勢等々、運動量に換算するとそれなりの数値となると思われる。
二点目は、時間のメリハリがないこと。特にパソコンとにらめっこの時間が長くなり、目の疲労、動かない姿勢による全身の筋肉の緊張などが続く。適度な人との会話や気分転換、お茶などでの一服、などがないまま没頭してしまう。
これも体や目や、脳の活動には好ましいことではない。
三点目は、他者とのコミュニケーションの欠如である。他人と相談しなくなる。他人の意見を聞くことが少なくなり、一人だけで物事を決めてしまうことは、独りよがり、独断になりやすい。物事を進めるうえでの応用力の欠如につながる。
他人とのコミュニケーションこそ仕事を前に進める力である。コミュニケーションに障害がある方といえども、コミュニケーションをどんな形態であれ、とろうとする姿勢がいい刺激になる。
以上が私の常に気をつけている面である。これらをマイナス面として終わらせるのではなく、どうプラスに転化するのか、その方法をいつも考えながらこなしている。
その都度違う解決策があり、それもまた楽しいものだと受け入れるようにしている。それが応用力だと思う。
現役の若い人たちにとっては、もっと切実な問題点は多数あるであろう。家に居れば家族との対応に苦慮したり、コミュニケーションをとりたくとも、メールだけのやり取りでイライラしたり、テレビ電話の導入で家庭の内部がそのまま映されたりと公私の区別がつけられない、なども当然浮かび上がってくる。
また在宅勤務ではさまざまな障害を持った方が仕事に制約を受けてしまう場合も想定される。コミュニケーションの確保の方策も強く求められる。
日本はどうしても「家事は女」という観念が抜けない男も多く、そしてそれを政治家が容認し、擁護する。そのような世界では、女性にはテレワークがなかなか厳しいものがある。テレワークを推進しようとする政府や政治家はそこまで自覚していない。少なくとも女性の視点を大切にしようとする観点から問題点を整理しようとする姿勢くらい示してもらいたいものである。