Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「キリスト教美術史」 Ⅱ

2022年11月14日 13時06分14秒 | 読書

   

 「キリスト教美術史」の第4章「ビザンティン美術」まで目を通し終わった。

萌芽期のキリスト教美術は、主に葬礼に関わるもので、個人の寄進によって制作されました。・・・。キリスト教は正統な信仰に基づく唯一の教会としての基盤を固めていきました。5世紀から6世紀にかけて、キリスト教美術は帝国の後ろ盾を得て、ローマ帝国全体へ行きわたり‥。」(第2章「帝国の後ろ盾とキリスト教美術」)

(ビザンティン美術は)西ヨーロッパの美術に比べて遥かに単調に見えることは確かです。時代としては西ヨーロッパのカロリング朝とオットー朝の美術、ロマネスク美術、ゴシック美術、ルネサンス美術と重なっており、西ヨーロッパの美術に大きな影響を与えました。ところが、その逆の現象はほとんど見当たりません。ビザンティン美術は、器用会の規範のもとで教義と信仰を表明するという、ただその一点にとどまるものであり、人々の日常から隔絶した神の視点を保ち続けたという点で、西ヨーロッパの美術とはお菊異なっています。・・・ビザンティン美術は・・・画家個人が解釈を加える余地はありません。‥打ち立てられた教義、説教、典礼の文言を図像によって表すこと、それがビザンティン美術の課せられた役割であり、目の前に見えている現実や、手で触れることができる自分を出来る限り忠実に再現するのとはまったく異なるやり方で、人間を超えた神聖な存在を表現しつづけました。」(第4章「ビザンティン美術」)

遠近法のようにすっきりと合理的な描き方にはなりません。いくつもの視点を同時に保持して、各々の視点から見た時の人物や家具、建造物を、ひとつの画面に集約して表します。‥あらゆる視点から見た時の見え方を、総合して同時に表していることになります。あらゆる視点から網羅的にすべてを見通すというのは、神の目に他なりません。‥屋内でのできごとを表すのに部屋の内装ではなく建造物の外観をえがくというものがあります。‥壁によって遮られて見えないはずの内部をすべて見通すというのもまた、神の視点である‥。ひとつの画面の中に複数の異なる時間が同時に表されます。‥光源もひとつには限定されません。一定の光源から生じ、一定の方向に伸びる影がありません。‥光の源は神ただひとりです。神が光源であるなら、そこに地上と同じ現象としての影は生じません。」(第4章「ビザンティン美術」)

ビザンティン美術にとって最も重要な決まりごととは、不変であること、改変を加えないことです。キリストの使徒たちと、教会の教父以来の伝統を生きる教会。ビザンティン帝国の正教会は、そう自らを位置づけてきました。‥古代教会の教えに何も付け加えず、何も取り去ることなく受け継いできた、その不変の伝統をそそままに伝えていくことが、自分たちの務めであるという考え方です。」(第4章「ビザンティン美術」)

仮に画家自身が想像力を駆使し、独創性を発揮して神の姿を描くとしたら、神の姿が何通りもできてしまいます。画家は既存の図像を手本として、忠実に模倣することで神の姿を描き出しました。‥神を表す図像が、画家によって、あるいは時代によって変化していくようでは、その永遠性を伝えることは出来ないからです。」(第4章「ビザンティン美術」)



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