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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「小人閑居して不善を為す」

2016年04月10日 18時24分23秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昔、中学生か高校生の頃、ある人が「小人閑居して不善をなす」ということを言って説教をしていた。学校の先生ではなかったが、学校関係者のひとりであった。その時はそのまま気にも留めず聞き流していたが、このことわざの存在をそのとき以来記憶している。
 一般的には「つまらない人間は暇をもとあますとろくなことをしない」という意味に使われる、という。
 本日は何も為さなかったから、「不善を為していない」とぼんやり考えていたけれど、「何も為さないことが不善」といわれてしまえば、もう私の立場は無い。どちらにしろ「不善」と指摘されるのもまたつらいものがある。こんな妄想をしていることが「不善」そのものであろうか。
 勤めはじめてすぐの頃、交渉相手から面と向かってこのことわざを言われて、さすがにムッとした。「あぁそうですか」といって背を向けて帰ってきてしまった。後で上司にたれ込みがあるかとドキドキしたが、そんなことはなくてホッとしたことがある。
 人を見下して、「正論」に酔い痴れて、人に説教をしたがる人が吐く言葉として、私の頭の中にこびりついてしまった。私にはとても嫌なことわざである。
 一方で「無為自然」という言葉もある。「作為的に人の手を加えず、あるがままにまかせる」とおおよその意味である。老子の思想から言えば「作為をしない」ということで「何もしない」ということではないが、こちらの方がずっといいことわざである。

 本日は朝のうちに団地の集会所で会議、11時から30分ほどパソコンの前に座り、そして午後になって歩いて3分の商店に一度買い物に行ったが、買い物以外はのほほんと時間が過ぎて行くのを眺めているような過ごし方をした。
 11時からパソコンの前に座ったのは、遅ればせながらボッティチェリ展の感想を記した。私なりの活動といえばその程度。しかもボッティチェリ展はもう閉幕してしまっている。
 ほとんど「何も為さなかった」日である。はたして「不善を為した」のか。
 そう、読書もほとんどしていない。何もしない日はかえって落ち着かない。何かを忘れているような気分になる。ぎっくり腰の回復にはいいことだったと思うが‥。

 腰の痛み、ダルさは本日の朝はさらに昨日の朝よりも軽減されていた。本日の昼からは、傷み止めと筋肉の強張りを軽減するという薬の服用をやめてみた。それでも特に痛みやダルさが昂じたとは思えない。貼る湿布も本日は止めてみた。
 ただし明日以降も、病院で低周波の電気治療には通うつもりである。

 ぎっくり腰については多くの方からお見舞いと心配の声をいただき感謝しております。ありがとうございました。



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