本日は、敢えて言わせてもらう。もともとテレビはあまり見ないので、それほど「被害」がないとはいえ、毎日のオリンピック放送の氾濫に閉口している。見たくもない番組のオンパレードにはうんざり。
以下、あくまでも私の思いである。こんな考えを持つ人間がいることを敢えて記してみる。
スポーツやスポーツ応援が好きな人を腐すつもりはさらさらないが、私はどうしても現在の「スポーツ」のあり様というのが好きになれない。昔からスポーツというものが大の苦手。体育は学校を卒業するまで常に5段階評価で2ないし3あたりをうろうろ。
スポーツとは本来関係ないのだが、「体育教師」とは常に相容れない関係であった。「体育教師」とはこういうものだという一般化は危険な決めつけであるが、少なくとも当時、スポーツ音痴というだけで私を蔑む態度と見る眼とが嫌いでいつもそっぽを向いていた。それが余計に彼らの私に対する評価をさらに悪くしていた節もある。
私のスポーツ嫌いの大半はその「体育教師」に基因はしているが、運動生理学、心理学などそっちのけの彼らが主張するスポーツの「集団性」「画一性」「根性論・気合論」にどうしても馴染めなかったし、今もなじめない。
グループの人間と同じタイミングでは体は動かないし、同じ格好にならない。私からすれば、そんなことどうでもいいことであり、個々人により違いがあるのは当たり前だと思うのだが、教える側はそれが許せないらしい。
そんな思いは川崎に転校してきた小学4年生の時からである。私が歩くとき両肘の折れ曲がる側が体側側ではなく前に向くのがおかしいと幾度も歩かされた嫌な思い出がある。最後には「普通の体つきではない」と他の生徒の前で宣告された。
そんな嫌な体験・思いを続けたくないので、公立中学を敬遠して私立中学・高校に進学したが、変わらなかった。不快な体験・思いは増幅することはあっても弱まることはなかった。
中学に入ってすぐに東京オリンピックがあり、テレビで鑑賞しろと1週間ほど休校になった。休み明けに体育教師が「日本選手団の一糸乱れぬ入場行進の見事さを見習え、規律こそが第一。他の国の乱れた行進は見苦しかった」というものであった。
私はあの軍隊式の行進の何処が見事なのか、自由に手を振る他国の選手団の自由さのほうが、人間らしく思えてこの教師の「訓示」に極めて強い違和感を感じた。あの体育教師の頭の中では帝国軍隊がまだ生き残っているのだとも感じた。この思いは後年、吉本隆明の評論を読んで間違っていなかったと納得した。
エピソードは枚挙にいとまない。そのうちに追々と。
大学では教養部では体育という科目はあった。授業も受けず、レポートも出さないうちに、紛争の中でいつの間に単位を取得していた。実にいい加減なものであった。
就職してから学生時代の友人と丹沢から相模湾の景色を見たいということで、バンガローの予約から下見まで一人でしたことから、登山に目覚めた。最初は丹沢から始め、北関東・山梨などの山を経験の豊かな友人に連れられて登った。
次第に一人で関東近郊の山から東日本の山にフィールドを広げ、「集団性」「画一性」「根性論・気合論」という呪縛から解き放たれるようだった。一人で体を動かす「スポーツ」がこんなにも楽しく、のびのびとしたものであるか、体感して嬉しかった。それ以来登山とジョギングが病みつきになった。
登山は単独行、ないし個人の体力を基に、天候の読み、山行の難易度に対する知識と構えを互いに尊重しあえる2~3人の山行を心掛けた。30歳を過ぎてからは家族登山を除いて、ほとんどが単独行になった。
スポーツとは「個人で行うもの」「自然の力と自分の体力を見極める知力が前提」というのが基本であると思っている。私のスポーツ観はこれに尽きる。これ以上でもこれ以下でもない。これだけである。
だから「競う」という発想が私にはもともとない。タイムや距離という客観的な指標を目標にすることまでは理解できる。しかし人と競ったり、勝ち負けにこだわったりすることがどうしても理解できない。
力量を披露しあうこと、自分がどの程度に進歩したか、客観的に自己を見つめる場をすべて否定するつもりはない。
それでも私には、そのような場に興味がないとしか言い様がない。そんな人間であることを表明すると、ほとんどの人が「理解できない」という。
さらに「オリンピック」もまったく興味がない。まして「国別対抗」という形態そのものが理解できない。国家によるメダル獲得競争の煽り、メダルの獲得の目的化、いづれも「国威」発揚そのものとしか思えない。
こういう私は圧倒的に少数派である。そういう自覚はしている。しかしそういう人間がかなりの数存在していることも事実である。意外とこういう人間のほうが多数かもしれない。集団の同調圧力でかき消されてしまっているように思う。
オリンピックの期間、いつも私にとっては実に憂鬱な期間である。