作品が大きな転換を経たと思えたのが「物化」(1976、左)と「生々」(1977、右)だと感じた。
私が以前に見て惹かれた「風化の柵」(1974)とも同じ流れの作品だと思う。
「物化」の解説に作者の言葉として「風化して行く古い仏像と、風化して行く樹根の構成。樹根であり仏像であるのも一刻の形象」、「生々」には「朽ち果て化石化しようとしている樹幹や草花と、そこに芽吹く新芽を描いている」と記されていた。
その芽吹いている新芽が画面中央の下側の根をともなっている。新芽よりもさらに生を感じる。また左側には海の生物のヒトデも描かれている。
「物化」では中央と右に青、左に微かに赤が描かれ、これが生のシンボルと思われる。「生々」では色ではなく、芽やヒトデなどでそれに変えたのであろうか。いづれの作品も黒い背景から浮かび上がる白が樹根や古仏の質感・存在感を際立たせている。
「刻」(1985)は「一乗谷の朝倉氏居館跡に取材。織田信長に滅ぼされた」とある。
作者は「石以外は何もない白い空間の中に、多くのものが重なり合って充満している虚の空間、石を見てそんな空間を描いた」と書いている。
苔むした石の中に、朝倉氏の繁栄の何者かを読み込んだのか、あるいはその石を取り巻く「白い空間」に繁栄の時間の累積を認めているのか。
苔むした岩・石に拮抗する白い空間、その白い空間が何の象徴なのか、いろいろと詮索したくなる。