精神科医の扱う分野について、ほとんど知識も素養もない私でも、その分野を少しでも理解したいと思い読んでいる。乱暴かもしれないが、この分野の他の書物などを読むとき、少しでも理解に役立つ入門書として読んでいる。
そしてここでの記述が正しいという前提すら妥当か否かもわからない。しかし記述の仕方からは信頼できると感じている。
本日は昨日に続き、第6章「治療」、第7章「歴史と社会制度」を読み終えた。
いつものようにメモ書き風に。
「メンタル・ヘルスは、社会や文化の強い影響を受ける。ブラック企業に就職した人のうつ病の罹患率は、間違いなく高くなっているでしょう。だからこそ可自由労働、教育現場や職場での悪質ないじめ、格差社会など、メンタル・ヘルスに悪影響を及ぼすような要因を減らす方向に社会は努力すべきなのです。それはたしかにそうなのですが、統合失調症という病気については、そういう問題ではないということなのです。」(第5章「原因とリスク因子」)
「心の病気については本能的に家族関係や人間関係に原因探しをしてしまうという「素人感覚の錯覚」には十分に気をつける必要があります。しかし幼児期のトラウマ体験と投稿失調症に関連ありとする最近のデータをもう一度中立的な目で見ること自体は意味のあることでしょう。‣‣‣‣統合失調症に関係するかもしれない多くの因子は、現実には遺伝と環境の相互作用で生じてきます。かつては絵空事のような仮説であり、苦し紛れに言われた仮説という面があります。しかし研究手法が洗練さりていく中で、「遺伝的なな意味での統合失調症の生じやすさを持った子どもに特定の環境が作用したときに、統合失調症は高い水準で生じるのではないか」という遺伝・環境相互作用説は、具体的に検証可能な仮説にようやくなりつつあります。小児期トラウマ体験と統合失調症の関連についても、もう一度見直すべき時期に来ているのかもしれません。」(第5章「原因とリスク因子」)
「精神科の医療現場は、保安的色彩と、医療的色彩の両方を持ち、折々の社会情勢の中で行ったりきたりしつつも、徐々に後者のウェイトが大きくなってきたというのが正確なところでしょう。」(第7章「歴史と社会制度」)
「統合失調症という病気は、保安の対象であるというよりは、社会が手を差し伸べる対象であるという理解へと向かいつつあります。‣‣そうなった理由はなんといっても薬物療法の成功でしょう。‣‣‣私自身は、統合失調症は病院で治療する「病気」であるともちろん思っています。この本では統合失調症は「普通の病気」であるとまで言い切っています。‣‣‣民主主義や基本的人権という考えが定着した後になっても保安の対象と保護の対象の間で揺れながら今日に至る統合失調症の歴史を振り返ると、(「普通の病気です」という思考過程を)‣少なくともこの病気を持つ人の支援にかかわる人たちに、自分の頭でたどってみていただきければと願っています。」(第7章「歴史と社会制度」)
「統合失調症が「普通の病気」であることを強調してきましたが、薬によって完全にではないに寄せ、かなりの改善がえられるということは、そのような見方を後押ししてくれることになった。統合失調症という病気への偏見を部分的には解消する方向に働いた。一方で、興奮し対処できない患者には薬で鎮静すればよい、という安易な考えを医療者が持つようになった面は否めず、身体拘束具に代わる「タブレット(錠剤)の拘束具」として、推奨容量を超えた使用が行われ、副作用は、病気の症状よりも患者さんの苦痛になることさえありました。不必要な大量処方によって生じた副作用を持つ患者さんの緩慢な動きや無表情は、ネガティブなイメージとなり、新たな偏見を生むことになりました。負の側面をどうすれば最小化できるかが、精神科専門医が習得を求められる知識と技能の大きな部分を今日占めるようになっています。」(第7章「歴史と社会制度」)
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