Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「悪魔の話」(池内紀)から (1)

2021年03月08日 22時38分15秒 | 読書

   

「闇を駆逐した。ついては私たちは、同時に何かも喪失したのではあるまいか。ひそかに生者を見はっていた死者の群れ、死の観念を失った。死にしたしまずして、どうして制を尊重できるだろう。外界の闇はまた、自分の中の闇の部分の警告ではなかったか。息を殺して自分のなかにひそんでいる黒々とした悪の部分、おのれの中の悪を知らずして、どうしてこの世の悪が識別できようか。おそかれ早かれ私たちは駆逐したはずの闇の力の報復を受けるにちかいない。」(3.闇の力)

「拝金主義の時代が金をうやまうのは、それでもってものが変えるせいではないだろう。金銭こそ運命の星であって、それがようやく生存の意味を与えるからだ。かつて人間の運命の星は胸にあった。だが、もはやそれは胸にはない。胸の内ポケットある。胸ポケットに収めた「紙切れの眩枠」こそ、われらの運命の星である。この星は電話ひとつで、二倍にも五倍にもなる。夜なお眩しい人工の光の都の頭上深く、事態の悪風が葉をむき出してはほくそ笑み、人類は失われた魂のために泣いている。(4.黒と白)

「ゴヤは「カプリチョス」と名付けた版画連作のなかで魔女たちを描いた。そこにエピグラムをつけている。「理性が眠るとき、妖怪がめざめる」。‥理性が眠りこむまでもなく、妖怪はたえずめざめており、妖怪の威光の前で理性が手もなく眠りこける。‥情報通の現代人は‥小さな夢と、変身と解放の願望に苦しみ、誰に対するともしれない嫌悪のトロ火をメラメラと燃やしている。その火が、たのしく焼くべき一人の魔女を求めないはずはない。」(5.飛行幻想――魔女狩り1)

「魔女狩りは十七世紀に急速に終焉を迎えた。‥しかし、それは姿を変えて、こののちにも何度となく立ちあらわれた‥。1950年代のアメリカで吹き荒れた「赤狩り」がその一つといっていい。マッカーシーという狂信的な上院議員が、先導的なラジオ演説をしたとき、人々はなだれを打つようにして赤狩りに狂奔した。‥マッカーシー旋風はつまるところ、ラジオの魔力が生み出した魔女狩りだったというのである。たしかにマッカーシーが赤狩りの弾劾演説をラジオからテレビにに変えたとたん、おこりが落ちたようにアメリカ市民は冷静にもどった。共産主義の胸部ではなく、憎悪にゆがんだ醜悪な上院議員の顔を見たからだ。ヒトラーがラジオではなくテレビ時代に生まれ合わせていたら、あの悪魔的な扇動家ではなく、せいぜいのところチョビ髭がトレードマークの、ミュンヘン一帯を地盤とする一地方政治家に終わっていたかもしれない。」(6.小さな町――魔女狩り2)

 たまたま手にした本であるが、これは実に興味深い本である。



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