COVID-19は一向に沈静化せず、むしろ世界的に変異株が主流に浮上しようとしている。オリンピック開催の流れにマスコミも全国知事会も異論をさしはさめず、オリンピック優先としか思えない緊急事態解除となった。
オリンピックは7月23日とわずか4か月後の予定である。だが、入場料収入だけでなく、経済波及効果を期待した海外からの観客を遮断せざるを得なくなった。海外の観客だけを遮断するのはオリンピックの目的・理念からすれば、おかしい。しかもCOVID-19の蔓延防止の観点からは日本の観客も遮断しなければならなくなる。無観客としても選手・コーチ・関係者・マスコミだけで7万人という入国者が集まると言われている。
観客を遮断したオリンピックならば、以前から私が疑問を呈してきたように「東京でなければならない」意義は根拠すらなくなる。
当初の呼び込みスローガンなんぞはまったく無視した膨大な予算を使い、未回収分を税金で補填しようとはふざけた話である。すでにその補填の在り方をめぐって、国・都・関係自治体間での綱引きが始まっていると報道されている。聖火リレーに伴う自治体の負担も大きい。
COVID-19は、第4波へ患者数が拡大傾向だが、政府はオリンピック聖火リレーが開始される3月25日までに、緊急事態を解除したいという願望を優先した。
高齢者ばかりか多くの住民も家に籠もり、報道陣や動員者が目立つ沿道。聖火リレーという「お祭り」は人の熱気と、無軌道で無秩序・アナーキーな参加意欲が醸し出されなければ、祭りの意味はない。
もともと人間の社会が成り立って初めてオリンピックやスポーツ界が成り立つ。「アスリートファースト」ではなく「社会ファースト」が政権や主催者の本来の姿勢でなければならない。
「オリンピック」を社会の活性化の起爆剤、経済と政権浮揚の道具にするという思想そのものが私には違和感満載である。「国家」の論理が先に立てば、それは「民権よりも国権」といういつか来た道である。
COVID-19というコロナ禍に悩む庶民はIOCのトップにも、日本のスポーツ界を牛耳る人間にも、日本の政権の眼にも入っていない。前代未聞の無観客オリンピック開催は、愚行として歴史に残るのではないか。
横浜港に寄港したクルーズ船という名の「カジノ」船への対応の誤りばかりが目立ってから一年を過ぎ、我々の生活から消えたマスク・消毒薬がようやく手に入るようになったものの、医療体制とそれを支える人材はひっ迫したままである。
医療器材も薬もマスクも、ワクチンも外国頼みが続いている。日本の産業構造の脆弱性が一挙に暴露された。ワクチンすら、中国製という名前だけで忌避する政権の思惑で、接種の日程が決まっていない。本来、ワクチンに複数の選択があってもおかしくない。
効率性ばかりを追求し、応用力の効かない日本の生産体制は、いかにもろいものであったか。生産ラインをいち早く医療用品に変えた諸外国の企業も報道された。COVID-19というコロナ禍で証明されてしまった、というのが私の直観である。
さらにみっともないのは、社会の公平・公正のため、という観点を喪失した官僚の体質である。これほどまでに腐敗と無責任体質が進行しているとは誰しもが驚いたのではないか。政権を構成する政治家が、金と税金の私物化に奔走するだけでなく、それを支える側に堕した官僚組織もまた、危機の元凶であった。感染症のパンデミックは、政権と産業構造、行政の組織トップの病巣をも炙り出した。
志を失っていない多くの官僚といわれる人が、今の政権からは遠ざけられているのであろうことを私は信じたい。
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