Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「おくのほそ道」から「福井」

2023年02月14日 22時40分04秒 | 読書

 「おくのほそ道」の第44段「福井 等栽」の書き写しを行った。実はこの段、私はあまり記憶になかった。ただ、「いかに老さらぼひてあるにや、はた死にけるにやと人に尋侍れば、いまだ存命し‥‥」という文章がほのかに記憶にあり、この文章と、生きている等栽の家で「妻」と会うという落差に違和感を持った記憶がある。「隠士」があまりに俗すぎる、と感じたのは、十代のころであった。



 書き写しをしながら、おぼろな記憶がよみがえってきたのがうれしかった。同時にこの段の印象として、あらたに晩年の久隅守景の描いた「納涼図屏風」(国宝)を思い浮かべた。「あやしの小家に、夕顔・へちまのはへかかりて」とあることの連想でもある。ただし久隅守景の描いた情景は小さな子どももいる一家の風景である。「等栽」と二重写しにはならないが、ちょっと世捨て人のようで訳ありの一家に見えるところが似ていなくもない。月に照らされてはいるが、男も女も伏し目がちで月を見ておらず、物思いにふけっているようだ。なお、久隅守景は江戸前期の狩野派の出の画家で、晩年は加賀藩領域で作品を描いたといわれる。芭蕉の「おくのほそ道」の時代と重なるのであろうか。不明である。
  この歳になって「世捨て人」「隠士」のイメージが十代のころと歳相応に変わったというか、ある程度成長したのかもしれない。
 しかし芭蕉の文章の落差については、未だよく理解できない。

 「おくのほそ道」も残るは3つの段を残すだけとなった。


モーツアルト「ハイドンセット」から

2023年02月14日 21時02分58秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日は楽しめなかったモーツアルトの弦楽四重奏曲集「ハイドンセット」から第16番(K.428)と第17番(K.458)を聴いている。
 第17番は「狩」という愛称がつけられているほどに快活な印象の曲である。むろん作曲者自身の命名ではない。
 第16番はこの曲集の中ではちょっと異色な感じがある。他の曲とは違い、明るく快活な印象ではなく、重量感のあるメロディーが印象的である。特に第3楽章は印象深い。
 二つの性格のことなる曲が並んでいる。私の好みは第16番のこの少しくぐもった印象の曲。第17番の底抜けのような明るさはちょっと苦手である。

 1990年の録音と記されている。アルバン・ベルク四重奏団の演奏であるが、丁寧で美しい音色が気に入っている。 


強風注意報

2023年02月14日 20時16分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の予定もようやくひと段落した。

 帰宅してから本日の「おくのほそ道」の書き写し予定の第43段「天龍寺・永平寺」を実施。「天龍寺」「永平寺」を別々の段にしているものもあるが、短いのでひとつの段として数えた。

 本日夕方になり、急に気温が下がってきた。また北風が強まりとても冷たい。16時過ぎに強風・波浪注意報が出た。帰途のバス停では寒さで足踏みをしながらバスを待つことになった。18時過ぎには最大瞬間風速16.4mの北風が吹いた。

 明日はさらに冷え込むらしい。

 写真は本日の風景ではなく、1月末の撮影。