23時過ぎに、豪雨のお知らせ情報が横浜市から配信された。しかしさいわいにも50mmを超える雨の区域は、私の住んでいるところをかすめて通り過ぎてくれた。強い雨の区域は足早に通過したので、洪水警報にはならずに済んだようだ。
しかし明日にかけて、この状態が続くらしい。あるいはもっと強い雨が降るかもしれない。被害が出ないでもらいたい。
極端に強い雨ではないが、20mm程度の雨の音が絶え間なく続いている。
今の時期にこれだけの強い雨に全国的に襲われるのは珍しいことだと思う。私の記憶では、この時期の雨は夕立である。巨大に成長した積乱雲から雷とともに強いが短時間の雨が降り、気温が少しばかり低くなる。時々は夕陽に照らされて虹が美しくかかる。そんな天気になれてしまった年寄りには、この雨はあまりに異質である。やはり気候が大きく変動しているのであろうか。
横浜市にはまたも大雨・洪水・強風・雷・波浪注意報が出ている。最大30ミリ程度の雨が降っている。
昼間は、友人と久しぶりに会って熱海の土石流に関する資料をいくつかもらった。仕事柄、こういうことについては専門的な知見を披露してくれる。とても貴重な友人である。私のほうは、不法投棄の業者が書類送検されたことを受けて、今後どのような法的な責任が問われるか、について推移を見守っていきたい。
友人と別れてから2時間ほどの所用を済ませて帰宅。さいわいにも雨が強くなる直前に家についた。しかし小さなビニール傘だったため、ザックカバーはずいぶんと濡れていた。小さな書類用のザックであるが、書類やUSBメモリーなどを濡らすわけには行かず、このカバーはとても重宝している。
明日は本日よりもさらに雨が強まるとの予報である。
広島県では知事が直接避難を呼びかけたと報道されていた。私はこれが避難促進にどの程度有効なのかは分からないが、しかし知事としてはどあういう政治信条の人かは分からないが、危機管理に際してはまともな知事なのだとは思う。
以前にも記したかもしれないが、重複を恐れず再度。
危機管理、災害時ほど行政府の長の役割は大きいし、また災害対応に自覚的であることは重要な資質であると思う。災害時にその職務を果たさず、同じ政治党派の他の自治体の首長選挙立候補者の選挙応援に勤しんだり、他の閣僚と宴会にうつつをぬかしていた首相などはもっての外である。
かといって災害を自己宣伝の恰好の機会と目立ちたがったり、嘘を重ねる政治家もきちんと見極めなければならない。公的医療資源を削減しておいて他人事のように振舞ったり、イソジン騒動のような虚偽を宣伝したりするような知事や、自己の政治宣伝と絡めて無責任な対応を大仰に見せかけるような知事などを許してはいけないと思う。
誠実に危機に対応しているか、見極めるいい機会でもある。
そのような首長なり首相を引きずり下ろせない政治の水準が日本の民主主義の水準を著しく損ねている、と信じている。政治家を選ぶ選挙のときの選択の大きな指標に、災害時に何をして、何をなしてこなかったか、重要な指針である。
政治家に限らず、企業であれ、さまざまな社会的組織であれ、危機管理や災害時対応というものは組織の力量が試されるといって過言ではない。人間は、危機のとき、災害のとき、その人となりが表れる。信用できる人か、そうでない人かも何かの危機のときの振る舞いを見て私は判断する。その危機や災害というのは、大きなものに限らない。ごくごく小さな事故、事件、怪我、あるいは約束の時間に間に合いそうもないときや、些細なことでも急に何かの決断をしなくてはいけなくなったときの振舞いなどでも、相手の性格や信用度を十分察することができる。
運転業務などで、適性検査などというものがあるが、そんなことよりも、ビデオなどで実際に事故のような場面に出くわして、どう振舞うかを見るという検査のほうがより適切な適性検査になると思っている。
私は、仕事柄災害時対応などを長年経験させてもらってきたが、そのときの体験に基づいて人や組織を判断する癖が身についた。それが正しいことなのかどうか、一般化できるものなのか、は分からない。しかし大きな間違いとなる判断はしないと確信している。
北九州と広島の大雨の状況の報道を見ているうちにお昼を過ぎてしまった。こんなにテレビを見ている時間が長いのは、実に久しぶりである。
テレビを見ていて、市街化区域と畑地や山里などとの災害時の落差が気になった。頑丈な建物や下水道整備による一定災害とは無縁の市街地と、それ以外の地区との雨や川の増水、土砂災害の発生時の落差である。
市街地でも冠水しているところもあるが、総じて安全に思える。市街化区域とそれ以外の区域で、警報や避難の呼びかけのありようなど、一律ではうまく住民に伝わらないのではないか、という風に感じた。
ではどうしたらいいのか、というとそれを体系だってこうあるべきだ、と言えるだけのものは持ち合わせていない。残念ながら能力もない。
もうひとつは、安全な所への事前避難がまず第一のなのであるが、ニュース等ではすでに危険になった時は、「二階やがけの反対側で危険を少しでも回避してほしい」という言い方がほぼ同時に語られる。
私は、これを聞くたびに、避難所に行かないでも「二階やがけと反対の場所」に留まってしまう口実を与えているように聞こえてしまう。どういう言い方がいいのか、再考の余地がある。少なくとも心理学者も含めた検討が必要に思える。
人は正常バイアスで思考しがちであり、それを言い訳にしたがると昨日も記載した。人は楽なほうに判断をしがちである。この思考に人が陥らないような呼びかけを是非検討してもらいたいと思う。
気象庁には是非ともこれらの検討をお願いしたいと思った。