本日はだいぶお疲れモード。いつもより早く就寝するほうがよさそうである。そして気温は思いの外、低い。
15時過ぎに23℃であった。現在はかろうじて20℃を上回っている程度らしい。
これより入浴、就寝。
夜になっても小雨は止まない。夜のウォーキングは本日も断念せざるを得ないようだ。夕方に降り始めたときよりは強い雨になっている気配もある。雨の区域は南から北に向かって移動している。
明日は二十四節気では「小暑」。7月23日の「大暑」の前日までの期間をさす。これまでの経験からすると、小暑の終りがちょうど梅雨明けとなるようである。体感で気に夏は、この梅雨明けから8月いっぱいのことのような気がする。
★階段の長さを仰ぐ小暑かな 宮川みね子
地下鉄や駅の階段が辛くなってくる歳、ホームから昇りの階段を見上げて嘆息をつく日々。とても実感をともなう句である。特に地下鉄のホームでは蒸し暑さがひときわ厳しく、階段を上がると汗だくになる。その汗を創造すると余計にため池が出る。
体力に自信のある私も、50代半ばまでは駆けるように階段を昇っていたのだが、今はもう無理である。
二十四節気では今年は6月22日~本日7月6日までの15日間を夏至という。夏至とはいえ、夏の暑さや陽射しとは無縁の日々が続く今年は「夏」という雰囲気を感じることはできない。まして6月22日から本日まで、夏日は果たしてあったのだろうか、ひとこと言いたくもなる。
夏日がないのは、人の所為ではないのだが、人に責任を押し付けたくなるのが人情なのだろう。
★古沼を抱へて夏至の深曇り 菅 裸馬
★心澄めば怒涛ぞきこゆ夏至の雨 臼田亜浪
意外と夏至という季語の句にはスッキリと晴れた情景の句は少なく、梅雨時の鬱陶しい状況を表現したものが多い、ということに恥ずかしながら、気がついた。
確かにこの時期は梅雨の真っ最中の時期である。
新潮日本古典集成「和泉式部日記 和泉式部集」を久しぶりにめくってみた。和泉式部集の125、126に目を通した。
男に忘られて侍りけるころ、貴船に参りて、みたらし川の、ほたるのとび侍りしを見て
★ものおもへば 沢のほたるも わが身より あくがれいづる たまかとぞ見る
御返し
★奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の たまちるばかり ものなおもひそ
はじめの歌は、和泉式部の代表作ともいえる有名な歌である。「貴船」は鞍馬にある貴船神社。水神を祀る貴船神社に参篭し、蛍の飛びかう様を見ての作ということになっている。後拾遺和歌集の詞書では「男」は「夫の藤原保昌」のこととされている。和泉式部の歌の意は省略。
また「返歌」について後拾遺和歌集の注によると「この歌は貴船の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなんいひ伝へたる」(岩波新日本古典文学大系)と記されている。
「返し」の歌の意は「水神、縁結びの神としては、瀧の水が激しく玉と散るようにあなたの魂が砕け散るほどに激しく恋の思いに耽らない方が良いのではないか。あなたの身の破滅になる」と諭していることになる。
後拾遺和歌集では「雑六 神祇」におさめられており、和泉式部の恋の歌というよりも「返し」の歌に重点を置いて、貴船神社の霊験譚あるいは説話的なものとして取り扱っている。
現代の我々にとっては、和泉式部の恋いの歌としての魅力の方が大きい。
詞書などに注目すると一連の歌にまた別の魅力が見えてくる。