新潮日本古典集成「和泉式部日記 和泉式部集」を久しぶりにめくってみた。和泉式部集の125、126に目を通した。
男に忘られて侍りけるころ、貴船に参りて、みたらし川の、ほたるのとび侍りしを見て
★ものおもへば 沢のほたるも わが身より あくがれいづる たまかとぞ見る
御返し
★奥山に たぎりて落つる 滝つ瀬の たまちるばかり ものなおもひそ
はじめの歌は、和泉式部の代表作ともいえる有名な歌である。「貴船」は鞍馬にある貴船神社。水神を祀る貴船神社に参篭し、蛍の飛びかう様を見ての作ということになっている。後拾遺和歌集の詞書では「男」は「夫の藤原保昌」のこととされている。和泉式部の歌の意は省略。
また「返歌」について後拾遺和歌集の注によると「この歌は貴船の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞こえけるとなんいひ伝へたる」(岩波新日本古典文学大系)と記されている。
「返し」の歌の意は「水神、縁結びの神としては、瀧の水が激しく玉と散るようにあなたの魂が砕け散るほどに激しく恋の思いに耽らない方が良いのではないか。あなたの身の破滅になる」と諭していることになる。
後拾遺和歌集では「雑六 神祇」におさめられており、和泉式部の恋の歌というよりも「返し」の歌に重点を置いて、貴船神社の霊験譚あるいは説話的なものとして取り扱っている。
現代の我々にとっては、和泉式部の恋いの歌としての魅力の方が大きい。
詞書などに注目すると一連の歌にまた別の魅力が見えてくる。