Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

梅雨の本番

2019年07月05日 23時27分18秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 20時少し前から弱い雨が降り始めた。次第に強くなってきた。風はあまりない。結局夜のウォーキングは断念。

★我が胸に梅雨さむき淵ひそみけり    中村嵐楓子

 本日、蒸し暑く、梅雨寒、という言葉は当てはまらないが、雨や鬱陶しい梅雨空が続き、何となく寒々しい雰囲気がしている。この句の「淵」はどんな思いが詰まっているのだろうか。黒々とした、他者がのぞくことを許さないものだと思う。

 さて、明日は朝から組合の会館での作業を昼まで。月曜日の幹事会までに揃えなくてはならないものを、他の役員と準備する。
 その後、正午からは会議&昼食会。退職者会はブロックごとにいろいろな催しを開催する。役員はその都度お付き合いで参加する。お付き合いというといやいや参加するようなイメージもあるが、実際は招待されて、一緒に楽しむのである。楽しく交流する。一年に一度しか顔を合わせない会員もいる。現役時代にお世話になった先輩もくる。退職者会で初めて会話して、意気投合した方もいる。
 定年を迎えてからの交流は、現役のときよりも密度が濃い、と思う。どの会員も自前でよく集まって来てくれる。明日は雨であるが、多分予定者はみな参加してくれるはずである。夕方までかかる予定。しかし深酒は禁物。
 日曜日は団地の管理組合の諮問会議。理事ではなくなったが、まだお付き合いは続く。

 


雲の峯

2019年07月05日 20時59分15秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★空(くう)をはさむ蟹死にをるや雲の峯     河東碧梧桐

 梅雨の空を見上げながら、夏の雲を見たくなった。「雲の峯」という季語がある。

 1906(M39)年、新傾向俳句に突き進むころのの作品。1902年、子規の死後、次第に虚子と意見を異にするようになり、この年碧梧桐は日本中をまわり新傾向俳句を宣伝して歩いたという。
 大岡信は「百人百句」の中でこの蟹を沢蟹といい、小さい蟹が「雄大な雲の峯のもとで蟹が手をがっと拡げて死んでいるように思える」、「実際は小さな川の沢蟹が死んでいる姿」と記している。
 確かに売られている大きな蟹が、無念の表情で店先に並んでいる、という解釈は出来ない。だが海辺の浜や岩場、あるいは沢で人前に姿を見せる小さな蟹でもかまわないと思う。茂みに覆われて空が目に入りにくい沢よりも、雲の峯が手に取るように見える浜の方が似つかわしいとも思える。
 それよりもその小さな蟹が死んでいるが、雄大な雲の峯をその小さな挟みで掴んでいる、と見立てたのが、すごい。大袈裟すぎるという危うい地点に踏み込んでいるともいえるかもしれない。俳句表現では誇張も一つの技術だが、やり過ぎると確かに嫌味である。
 ただ「くう」というルビがある。作者がこう読んで欲しいということでる。「雲の峯」に引きづられて「雲をつかむ」と解釈してしまうのは危険だとも思った。「空(くう)」ということであれば、仏教の概念でよく言われる言葉である。「固定的実体の無いこと。実体性を欠いていること。うつろ。」と岩波書店の「仏教辞典」には記されている。
 「空(くう)」にこだわると、「蟹が空という概念を悟って生を全うした、その蟹を見おろしている組の峯」ということになる。さらに言外に「蟹ですら無窮の「空」という仏教の難しい理論を体得できる、あたかも空に浮かぶ雄大な雲の峯すら蟹の手中に収められるかのようだ」というようなこともできる。 

  いろいろと想像していると、限りなく時間が経ってしまう句である。


ヴァイオリン曲でご機嫌

2019年07月05日 10時32分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日もどんよりとした空模様。梅雨であることを忘れさせないために、頭の上に雲がのしかかっている。気分は空模様を忠実に反映している。
 FMからモーツアルトのヴァイオリン曲が聞こえてきた。 「バイオリン・ソナタ イ長調 K.305」(ヴァイオリン)西川 茉利奈、(ピアノ)文 京華  続いて同じ組み合わせで、「前奏曲とアレグロ」(クライスラー) 。

 気分というのは天候に左右される割合も高いのだが、その日の気分に似つかわしい曲が二種類ある。気分と同様の曲か、気分と対極的な曲か、どちらかである。
 沈鬱な気分のとき、対極にある気分とはむやみに明るい曲のときもあるが、ドラマチックな分を駆り立てる曲の場合もある。静かで静謐な曲の場合もある。気分が次にどのような方向に進もうとしているか、自分自身を探る手段として使うゆとりがあるうちはまだ深刻ではない。そのようなうちに気分の転換がはかられるのが望ましい。
 疲労困憊しているときはそう簡単にはおさまらない。

 さて本日はユーチューブでベートーベンのヴァイオリン協奏曲を見つけた。ヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリン、シャルル・ミュンシュ指揮のボストン交響楽団、録音は1955年11月。【⇒https://www.nicovideo.jp/watch/sm9826993
 演奏は早い。カデンツァは私にはなじみのないもの。古い録音なので、残念ながら乾いた音色で、音響が薄っぺらに聞こえるが、それはやむを得ないことなのだろう。早いパッセージはとてもメリハリが効いている。