Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

路面の反射光

2019年05月14日 23時39分57秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 やっと雨が上がったようだ。明日の明け方まで降るという予報があり、油断はならないが峠は越えたと思う。
 まるで梅雨のときのような一日であった。路面が一日中乾くことなく、深夜に雨が上がっても街灯にアスファルトが光っている。路面の反射光はどこか暖かみがある。アスファルトは黒いので熱を吸収する。その熱が夜になっても雨のしずくを暖めているのだろう。水に暖かみを感じるのはそのためだろうか。

★病む便り逝く報せ来て走り梅雨     小出秋光
★山低く梅雨入り前の葉山かな      土田和美


ふたたび雨

2019年05月14日 20時40分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方近くなって洪水注意報が解除、雨も止んだのを機に、降圧剤の処方をしてもらうためにいつもの内科まで足を運んだ。雨のためか病院は空いていた。

 降圧剤の処方をしてもらい、薬局で薬を受け取ってから、神奈川大学の生協の店まで歩いた。注文していた「縄文土器・土偶」(角川ソフィア文庫)を受け取った。1割引きという魅力にはかなわない。
 再び歩いて帰宅。夕方から歩き始めた割には8千歩を超えて歩いた。

 今晩から明日にかけて、「ギュスタープ・モロー展」の感想2をアップしてしまいたいのだが、はたして出来上がるか、見通しは立っていない。

 レインアイよこはまの画面を開いたら、ふたたび神奈川県全域が雨の区域に入ってしまった。雨は弱いが当分雨は上がりそうもない。これでは夜のウォーキングは無理となってしまった。

「ギュスターブ・モロー展」 感想1

2019年05月14日 16時01分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 「ギュスタープ・モロー展 -サロメと宿命の女たち」を11日(土)に鑑賞してきた。ギュスタープ・モローという名はよく聞くし、印刷物でも「サロメ」は見る機会が多いのだが、具体的にその作品を直接見たのは初めてたど思う。
 私は何よりもジョルジュ・ルオーの師として名を幾度も聞いている。ルオーの作品を見るたびにモローの名が出てくる。師弟関係であること、多くの薫陶を受けたことは書かれているが、作品の上でどのような関係なのか、判らなかった。今でもわたしにはわからないことは多い。
 今回の展示はモロー美術館の所蔵品展であり、多くの未完成作品もあり、大変興味深い展示であった。
 今回の展示は
第1章 モローが愛した女たち
第2章 《出現》とサロメ
第3章 宿命の女たち
第4章 《一角獣》と純潔の乙女
という4つのコーナーに分けられて展示されていた。この展覧会、第2章の「出現」とそのための習作・デッサンなどに大きなかけられている。



「出現」は出来れば今回モローの手元に残された「油彩」の作品と、実際にサロンに出品された「出現」(水彩)を並べてみたいと思ったのだが、今回はそれは果たされなかった。
 しかし私が思い込んでいたよりもこのサロメはヘロデ王や母親のへロディアを陰に押し込めて前面に強い存在感で描かれている。その体つきは決してなよなよとした体つきではなく、男性的な強さすら感じさせる。対峙する洗礼者ヨハネの首の鋭い目付きに一歩も引かない。
 多分ヨハネの首は幻想の首、劇の中では「ヨハネの首」を所望する以前の予兆的な意味合いでの「幻想の出現」というドラマチックな様相を秘めているのであろう。そういった意味では「預言者ヨハネ」の「死」を演出する「預言者サロメ」でもある。
 さまざまなサロメの習作・デッサンがあるが、この形態のサロメがこの構想のサロメとしてわたしには一番受け入れられた。若い十代のサロメが裸体であるのは、そのきびしい意志力を持つともいえる強さが女性の踊り子の服装で隠してしまっては表現できなかったと思わせる。
 もうひとつは建物の空間の大きさに感心した。人物はした三分の一、ヨハネの首も全体の高さの4割程度である。上部の6割を超す空間は建物の天井までの空間である。惨劇を予感させる空間として、そして人間を圧倒する空間として、多分のこの広い空間は「運命」であったり、「神」の存在の不可解さの象徴でもあるように受け取った。
 図録をいくどか目を通したが、モローが書き込んだという白線による装飾文様の意味が今ひとつ理解できない。それは私の頭が固くなったためだろうが、分からない。空間を広く見せているわけではないし、オリエントの演出の必然性も分からないところがある。これは引続き考えたいと思った。
 もうひとつ、ヨハネの首から垂れる赤い「血」のようなもの。私は血の滴りでもあるが、もっと禍々しく脊髄だと感じた。すっぱりときれいに切れた首ではない。残忍に切れ味のよくない剣による半ば打撃による切断、または無理な姿勢から強引に切り落とした首のように見せたかったのではないか。そこに「サロメ」という近代的なイメージの転換をはからされたサロメの性格がより顕著に示されているように思った。

   


次第に強い雨へ

2019年05月14日 09時43分10秒 | 天気と自然災害


 いつものとおり8時少し前に起きて、防災メールを見ていたらまずは、朝の4時前に横浜市域に大雨・洪水注意報が発表となり、雷注意報が継続中というメールが1通、直後に瀬谷区の名瀬川が避難判断水位を超えたというメールが1通、そして天気予報(雨時々止む、最高気温20℃)という横浜市域の天気予報が1通、いづれも横浜市からの情報メールが届いていた。
 現在は避難判断水位を超えた個所はない模様。
 明け方まで私の住んでいるところは弱い雨が降ったり止んだりと穏やかな雨模様と思っていたら周囲ではかなり強く降っていたようだ。
 そして8時半ころ突然に雷の音が鳴った。ピカッとは光らなかったのだが、音は鋭くそして周囲に拡がっていくように長く響いた。

 レインアイよこはまを見ると弱い雨の区域が次第に横浜市域全体を覆うように広がっていくと同時に、厚木や海老名などの県央地域に強い雨の区域が停滞していた。この両市に大雨警報が出ている。横浜市域の雨も20ミリの濃い青い区域が拡がっていく。

 雨の区域ははじめは南西から北東方向に、現在は南から北へ移動していく。


アジサイの季節が迫ってきた

2019年05月14日 00時30分39秒 | 天気と自然災害
 強い雨の峠は過ぎたようだ。レーター雨量計の画面をみるとそろそろ細かい雨もあがる気配である。現在は藤沢市と戸塚区の境辺りに少し強い雨の区域がある。この雨の西側には雨の区域の存在は無いようだ。

 汲沢町の宇田川の水位も表示では下がっている。

 このまま雨が上がるといいのだが、天気予報を見る限りそのようなことはいえない。

 そろそろ梅雨の前触れなのだろうか。本日、病院からあるいて帰宅途中、幹線道路の宿受胎のアジサイが今にも咲きそうな風情であった。いよいよアジサイと長雨の季節が迫ってきている。こういう時に、スマホを使って写真をさっさと撮るセンスが必要なのだろうが、撮ることすら思いつかなかった。