Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

本日は立夏

2019年05月06日 20時45分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日は立夏。

 外の風は少しずつ強まっている様子。南風である。しかし「立夏」とは思えないほど風が冷たいと感じた。天気予報を見ると最高気温は23.6℃もあったようだ。私の感覚とは違った。

★旅名残り雲のしかかる立夏かな      飯田蛇笏
★橋の灯の波に脈打つ立夏かな       藤原千沙子
★魚にやや塩をきかせし夏来たる      道下則子
★はらわたの有り合わせにて立夏まで    松本康司


 第一句、夏の雲は確かに圧し掛かるように圧倒的である。しかし立夏の日にこのような雲が出るのかな、とは今年の天候を見ての感想。確かに入梅以前に夏の様相をこのようにみられる場合もある。だが、梅雨明けの方が「圧し掛かる」が生きてくる気もしないではない。いやはや尊敬する飯田蛇笏の句にいちゃもんを付けてしまった。私の読みが間違っている可能性の方が大きい。

 第二句、「橋の灯の波に脈打つ」という表現に感服。「立夏」という季語が必然かというとこれもまた疑問がある。立夏という必然が私には感じられなかった。「脈打つ」が、多少夏のイメージに繋がるのかもしれないが、果たしていかがであろうか。「脈打つ」様子の何処に夏を見つけたのか、とても気になる。蕪村の春の波でもなく、秋・冬でもない。夏祭と解すると別の季語が似つかわしい。

 第三句、こちらは「夏来たる」にふさわしい「塩を効かせる」という句である。だが、ありきたりといえばありきたり、の誹りは免れない。

 第四句、「はらわたの有り合わせ」はとても身に沁みて、そして体の違和感が「有り合わせ」という語に籠っていると感じた。どうも自分なりに体を統御できない苛立ちやもどかしさが伝わる。きっと60代を過ぎた作者なのではないか。ただし「立夏まで」の「まで」がひかかった。「立夏かな」でも「立夏の日」でもいい。強く断定してほしいと思った。「まで」生きる、のではなく、通過点として体の不調を捉えて欲しかった。

 本日は素直な読み方をしなかった。気分が内向き、下降気味だったかもしれない。

枇杷の初物

2019年05月06日 16時53分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 優雅に2時間もの昼寝。昨日の疲れと朝早く起きたことと、二つ重なったためだろうか。敷布を取り換えてくれており、気持ちよく寝た。

 外では風が強い。13時半過ぎに最大瞬間風速10mとなっていた。連休最後の日、横浜駅地下のスーパーは大勢の人で込み合っていた。旅先から戻って今日・明日の食材であろうか。

 私が昼寝をしている間に妻が自転車で少し遠いスーパーへ買い物に行っていた。今年初めての枇杷を購入してきた。私が早く枇杷を食べたい」と口をすべらせたこともあり、「600円近くもした」と5つ入りのパックを見せてくれた。たまたまレシートを見てびっくりした。シートには680円と打たれ、税込みでは734円であった。1個146円もする枇杷であった。妻はもっと安い表示だったと勘違いもしたようだ。これは心して食べないといけない。

 まずは大切に冷蔵庫にしまい、十分に冷やしてから味わうことにした。


ミミズク・コノハズク?

2019年05月06日 14時30分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝早く出かけて所用を済ませ、昼食後帰宅。昨日の疲れもあり本日は休養日の予定。やはり筋肉が痛い。足腰よりも上半身の筋肉に疲労がある。特に首回りの筋肉がだるく、張っているる。下半身では足首のまわりの筋肉にだるさが残っている。

 さて昨日出かける直前に、ベランダにバサッという大きな音とともに大型の鳥が舞い降りた。初めは何かわからなかったが、空調の室外機の傍でごそごそしており、ネコでも来たかと思った。よく見ると大型の鳥で足に茶色の皮が点いていた。
 窓越しに覗いた私に驚いてベランダの端に飛びのいたのを見ると、ミミズク、コノハズクといわれる鳥のようであった。
 こちらをじっと見ていたが、わたしにはとても怯えているように見えた。しばらく見ていた後、硝子戸を開けるとバサバサと飛んでいった。その飛んだあとをカラスが一羽追っていった。
 人に飼われていたのであろう。何かの拍子に逃げ出し、カラスに追われて我が家のベランダに逃げ込んだらしかった。当の鳥は一階の我が家のベランダから4階か5階のベランダに逃げ込んだようだ。
 その後のことは残念ながらわからない。足についていた皮のバンドのようなものが邪魔をしてカラスに抵抗できずに逃げ回ったのであろう。無事に飼い主のところに戻ったか、あるいはカラスの餌食になったか。
 しかしあのように大きな鳥をまじかに見るのは、動物園以外では初めてであった。同時にミミズク、ないしコノハズクのような鳥を飼育している人がこの団地の中か、団地の周囲にいるのをはじめて知った。

 妻は、無事に生きのびて欲しい、と言っていた。あの愛嬌のある顔、そして怯えた顔を見ると情が移るものである。