Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

3.11の教訓は生かされているか

2024年03月11日 21時22分41秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は13年目の3月11日。翌4月からは私が現役最後の1年になるな、という感慨が浮かんで来た時期である。当日の私の職場での振る舞いや体験はもう幾度も記載した。あえて記載する新しいことはないような気もする。同時にもう少ししたら、再度語りたくなるとも思う。世の中から忘れられようとするときに。

 私の体験は、道路・下水道・公園・小河川の管理者の立場であった。その職場は日常が小さな災害の連続でもある。
 体験は細かいことばかりかもしれないが、そこに大切なことが潜んでいる。大所高所から全体像を考察したり、企画するときも、この一見細かくてどうでもいいことに思えても、現場で大切だと思ったことは、忘れてはいけない大事なことだと思う。
 災害対応は日常業務の延長である。災害時だけ使おうと備蓄している資材・器材・機械は役に立たない。普段使っているものをどのように応用力を発揮して利用するか、そこが災害時に問われる。
 災害対応車は二次災害に合わないようにくれぐれも慎重にものごとに対処すべきであること。救助者が災害に遭えば、一時被害者の救援が滞る。
 管理者といえども、災害時には外注に頼らず、第一線に立たないと経験は蓄積されない。自分の出す指示が現場で有効かどうか、それを見届けてこそ経験となる。また地元住民との接し方によって、地元の協力を得られるか、経験として地元に蓄積してもらえるかを考えることも必要である。管理者だけで災害対応は出来ない。住んでいる方の経験蓄積が大切である。

 さて、言葉が上滑りしてしまうが、是非言いたい。
 能登半島地震の政府・県の災害対応を見聞きするにつけ、1995年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災の教訓がなんら継承されていないのではないか、と愕然としている。群発地震が続いていたにもかかわらず、避難所の整備も、食料も、薬剤も何ら用意されていなかった。
 現場での消防・自衛隊・当該の基礎自治体の第一線の職員、病院や介護施設の職員の個々の奮闘には敬意を表するものである。しかし司令塔であるべき政府や県トップの指示は後手後手ではなかったか。陸路に頼るばかりで空路での救援については、2011年の対応のほうがはるかに的確であったのではないか。
 原発事故の情報隠しもまたひどいものではなかったか。福島の事故の教訓も、情報の公開も首を傾げたくなるものばかりであったと思う。その教訓が生かされていなかった。一番大切なことは情報の公開である。情報が無ければ避難も的確に出来ないのが、原発事故である。

 1.17、3.11以降、多くの語り部的な方々が災害時の振舞い方等々についての継承に苦労をされている。しかし当の政府や県レベルのトップに、しかも肝心な政治家に継承されていなければ、事態は深刻である。
 災害時に役に立たない組織や政治は、日頃も役に立っていない、否存在そのものが国民には災害である、と私は断言したい。これもまた大切な教訓である。

 


鏡の中の「老い」

2024年03月06日 20時38分41秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 古井由吉に「知らぬ翁」というエッセイ(1994年)がある。50代の半ばの著者のエッセイにしては驚くほど「老い」を身近に切実に感じている。
 「拾遺和歌集」の旋頭歌「ますかがみ そこなる影に むかひ居て 見る時にこそ 知らぬおきなに 逢ふここちすれ」(巻第九 雑下 565)が引用されていた。
 この歌の解釈について「鏡に向かって坐り、そこに映る姿を見る時こそ、見知らぬ翁に逢う心地がすることだ、というほどの意味である」と記している。
 読みとして、「ひとつは、老人が鏡に向かっていると取る。自分の老いの姿を、見知らぬ老人のように見る。もうひとつは、壮年期にある人間が鏡の中に自分の老いの姿を見出すという読み方」とも記している。

 昨日私は「図書3月号」から竹内万里子の「見ることの始まりへ」から「(アヴェドンの死に立ち向かう父親を撮影した作品について)この写真が放つ怒りの矛先がなんであるのか。それは私たちの他ならぬ生を容赦無く断ち切る死そのものであり、その過酷な現実を安易な物語へ回収して手懐けようとする我々人間だったのではないか。だからこそこの写真は、一度見たら忘れられなくなるほど強烈で、人を苛立たせる。」という個所を引用した。
 アヴェドンの作品は、死に立ち向かう父親を撮影したものであるので、古井由吉のエッセイで言えば「壮年期にある人間が鏡の中に自分の老いの姿を見出す」体験に似ていないこともない、と連想した。
 古井由吉の「ふとした弾みに鏡に映った自分の顔に、父親の老いの姿を見出し」た時の驚愕というのは、私も50代の時にあった。
 アヴェドンという写真家は執拗とも言えるほどにレンズを通して父親の衰えていく顔と対峙して、作品として提示した。私にはそのように対峙するエネルギーはもとよりない。
 50代のとき、私は鏡の中の自分の老いたときの姿にごく近いと思われる父親の相貌を垣間見て、父親の記憶を消し去ろうともがいたものである。たぶん70代を越え、父親の亡くなった年齢にあと5年余りと迫った今でも同じことを繰り返すと思われる。
 内心そういう事態を避けるために、「老人である自分の老いの姿を、見知らぬ老人のように見る」態度を続けようとしている。

 古井由吉は次のようにも記している。「自分の老いさらばえた面相が、鏡の内どころか、この顔にじかに浮き出てくるのが、大病の時である。八十で亡くなった父親の老齢の顔に自分がなっているのに気がついた。」
 私も父親に似ている自分を発見したときは、見続けることは耐えられないと思った。現在私の顔は父親の70代の時の顔とはだいぶ違っているらしいが、膝を痛めて前かがみの歩き方になっているときに妻から「お義父さんの歩き方」と指摘されることがあり、そのたびに妻には見せないが、頭を抱えて「勘弁してほしい」と呻いている。
 それは自分の「老いを受け入れたくない」という意識ではなく、「父親と似てたまるか」という強い願望の故である。「老い」に従い、血縁故に父親に似てくるという自然現象に抗う強い気持ちで、アヴェドンという写真家が死に近い父親と対峙をしていたとしたら、そのエネルギーは計り知れないブラックホールのような無際限のものだったのではないか、と思料する。

 自分の「老いの顔」(それは血縁者たる父親の老いの顔と似通っているということも含めて)と対峙するということは、自分の生きかたについての自分自身が下す評価を問うことでもあるのではないか。
 多くの画家が若いうちから自画像を描き、写真家が自身のポートレートを撮り続けるというのは、果たしてどういうことなのだろうか。いつも展覧会や回顧展で自画像、ポートレートを見るたびにため息をつきながら見入っている。もし私が芸術家であったとして、この歳になっても自画像を描いたり、ポートレートを撮る自信もエネルギーもない。もしそこに父親の像が見え隠れしたら、と思うだけで立ち往生してしまう。

 なお、古井由吉のこのエッセイの後半は「顔」から「ボケ」「老い一般」へ焦点が移動しているので、とりあえず「老いの顔」の感想はここまでにしておきたい。

 


人混みを体が怖がっている

2024年03月03日 21時51分21秒 | 思いつき・エッセイ・・・

   

 本日も少し遠回りして横浜駅まで歩いた。いつものオフィス街の喫茶店に商業施設内や地下街の人通りの多い所をとおり、辿り着いた。
 人通りの少ないフラワー緑道などでは、平坦であることもあり、できるだけ太腿を高く上げ、膝も直角近くまで曲げるように歩くのだが、すぐにすり足状態になって前かがみに歩いてしまう。しかも人通りが多くなってくると、無意識のうちに右膝を庇うように、つい足を引き摺ってしまう。
 なかなか大股のウォーキングのように歩けない。太腿の前側の筋肉ばかりが疲労で痛くなる。階段を降りるときには両方の太腿の前側の筋肉が痛くなる。手摺りにつかまりながら足を引き摺って降りてしまう。段差の小さい階段ならばゆっくりとならば何とか歩けるのだが。

 人混みの中を歩くのがこんなに怖いものだということをこの数年で身に沁みて体感した。そしてその怖さが体から抜けていかない。
 歳をとること、膝(足)を痛めて歩くのに支障が出ること、咄嗟の小回りがしにくくなること、動作が少しだけゆっくりになることがこんなにもつらいものであることが悲しい。
 家の中で歩いていても妻に「歩幅が狭くなったね」「前かがみだよ」と言われる。これもまた悲しい。

 人どおりの少ないところで、ユックリながらも人にぶつかる心配をしないで、リズミカルにウォーキングのスタイルで歩くことを心掛けたい。夜よりも昼間のほうが安全であるので、何とか時間をつくる工夫をしたい。


怖い体験

2024年02月25日 19時57分52秒 | 思いつき・エッセイ・・・

   

 横浜駅界隈の商業ビルは混雑していた。しかし有隣堂などはだいぶゆとりはあった。昨日は有隣堂もとても混雑していて、レジには20人ほども並んでいたこともあり、購入しようとした本は明日以降、神奈川大学の生協に注文することにした。
 本日もレジには並んでいたものの、昨日ほどではなかった。しかし本日は持ち合わせがなく、断念。1割引のほうが私にはありがたいことも確かである。

 さて、本日は怖い目に合った。地下街の便所から出ようとしたら、扉を勢いよくあけて、入って来た人がいた。出ようとしていた私を「邪魔」と言いながら手で押しのけて、入ってきた。危なく便所の中で転びそうになり、壁に手をついて持ちこたえた。「危ないよ」とひとこと言ったが、聞こえたのかはっきりしない。私よりかなり高齢な人なので、一応「泣き寝入り」とした。
 その人は、特に切羽詰まって焦っていた様子はなく、中で並んで待っていた。エレベーターや電車などと同じく、狭いところから広いところに出る人のほうを優先しないと、中で人が詰まってしまう。どうも便所についてはこの道理は通用しないようで、いつも出入りの時には気を付けいてるが、回避しようがない場合もある。
 特に膝を痛めてからは恐々とドアの前に立つことにしている。便所の中で転ばなくて助かった。

 


上からの視点、下からの視点

2024年02月23日 10時56分41秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明け方雪にはならなかった。しかし寒い。結露がすごい。

 昨晩は、入浴後ただちに就寝予定であったが、雨が上がっていたこともあり、3000歩程の夜のウォーキングを行った。途中からポツリポツリと再び霧雨程度の雨になったものの、傘をさすほどのこともなく、そのまま続行。
 寒かったが、風もなく、早足で歩くとじんわりと汗ばんだ。肩の凝りも少し解消できた。

 いつもは22時ならば、バスや地下鉄を降りた帰宅途中のサラリーマンがそれなりに通るのだが、人通りはほとんどなかった。車もあまり通らなかった。連休前の夜、ということなのだろうか。遅くまで仕事なのか、飲み会なのか、すでに行楽地へ出向いているのか。年金生活者はおとなしくしていたほうがよさそうである。若い人の愉しみや行楽を邪魔をするように出かけたのでは申し訳ない。

 昨日のニュースは株価が史上最高値を更新したというニュースばかり。どこか浮かれている。株式市場ではバブルの頃の浮かれ模様が映し出されているが、果たして実体の伴う状況下というととてもではないが、信用できない。
 だいたいが円の価値が下がっていること、貧富の差が拡大・固定化して大半の世帯は好景気感など皆無であることに言及しない経済通の言行は信用するに値しないであろう。実体のない妄想に踊らされているのは、庶民ではない。政治家と「識者」と「社会を動かしていると勘違い」している人々。

 景色も下から見上げる視点を見つけると、新しい発見があるという。社会も、日々の生活者の視点から見上げる視点があれば、社会がどういう局面にあるか、見極めることはできるといえないか。
 上から社会を見下ろす視点というのは、奥行きも膨らみも消してしまう。立体感が消える。下から見上げると、上からの光の効果で、透過光が新しい立体感を見せてくれることが多々ある。

 こんな妄想をしているうちに日付が替わってしまった。結局日付が替わらないと布団に入らない。


安全「神話」

2024年01月24日 09時04分01秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨夜のウォーキングは1500歩程で終了。夜は息が上がるほどの早さである。目安にしている1日の歩数は1万歩以下、週に1日は3千歩以下の休養、月に22万歩程度である。
 2千歩までならば、4年ほど前の早さで歩けるまでに回復している。帰宅すると息が上がり、外気温は寒いが体が汗ばむ。2千歩を越えてこの早さで歩くと、膝に違和感が生ずることが多い。2千歩を連続の早歩きの上限の目安にもしている。

 さて、新幹線の架線事故、大きな影響が出ている。一歩間違えば重大事故に繋がるような作業員の被災も伝えられている。原因の究明はまだのようだが、新幹線の安全「神話」に警鐘が出てしまったのだろうか。
 羽田の事故といい、志賀原発の外部電源喪失といい、安全「神話」というのは脆いものでもある。過剰なまでに過密化し、高度化しているにもかかわらず、日常の安全点検が疎かになっていないか。
 施設管理というのは、維持管理の外注化・委託化が進みやすい。安上りの維持管理に陥りがちである。
 外注化・委託化するとしても、管理体制の無責任化、技術の丸投げ・責任の押し付けに繋がっていないか。常に問われるものである。施設の点検体制のあり方に踏み込んで、透明性の高い原因究明を求めたいものである。もとより、労働災害はあってはならないという前提で、見直しをして欲しいと切に望んでいる。
 私は労働組合の役員として、技術の継承と、人材育成と、責任の明確化、安全で誇りの持てる労働というものには常に交渉でこだわってきたつもりである。他の企業や組織の状況を見るときもその視点は手放したくない。
 原発も、願望で「安全」になるのではないはずである。原発事故の恐ろしさは体験済みであるが、喉元過ぎれば弥縫策と、「安全」願望と決意で再稼働に突き進んでいるようにしか思えない。廃炉にはまだまだ紆余曲折が待受けている。結論を願望で描いてほしくない。


温暖化なのに「異様」に寒い

2023年12月12日 22時45分10秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 20時過ぎから再び雨が降り出した。雨の音からすると昨夜から今朝にかけて降った雨よりも強いような気がする。しかしレインアイよこはまの画面では雨は降ってないことになっており、不具合が生じているようだ。気象庁のホームページはレインアイよこはまよりも見難いのではっきりしないが、時間換算雨量で30ミリ程度の雨の区域が通過したようである。風が少し強くなっている。
 予報では短時間で止むことになっている。
 明日は少し気温が下がるらしいが、例年の冬よりはまだ暖かい。

 世界で戦争が露出。国際政治の舞台で、当事国が捻じれて、私からしたら「お前がそれをいうか」という言説が双方から出てくる。犯罪者が犯罪者を擁護し、裁こうとしている。
 日本では、国会議員が所得を隠す犯罪を行い、圧倒的多数のおごりを背景に国会の場は隠ぺいの場に堕し、自浄作用が働かない。
 さらに大阪万博でも税金を五輪の時のように湯水のごとく使い、不足分は協会に押し付け、業者に不渡り手形を渡すようなものである。

 「民主主義と倫理と論理が破綻した世界と日本」という、救いようのない、誰もが見たくないドラマが進行している。ドラマの俳優を選んでいるのは観客なのだが、観客は誰もそのことに目を背けて、気がつきたくないという不条理な劇である。

 温暖化している気象にもかかわらず、このドラマには背筋の凍る異様な寒さを感じる。驕った俳優の芝居ほどつまらないものはない。政治家の無責任な驕りは貧困と分断をもたらし、果てには無謀な戦争に国民を追いやる。


浴槽で聞く冬の雨

2023年12月12日 10時53分39秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨晩から降り続いた雨はようやく今朝の10時ころに上がった。一時は最大で時間雨量に換算して20ミリ程度の雨が続いた。久しぶりに雨の音を聞きながら入浴。災害級の雨の場合を除いて、雨の音を聞きながらの入浴はいいものである。
 北側の道路に沿って幾本も植わっているプラタナスにはまだ枯葉が残っている。地面にもその落葉が大量にある。落葉・枯葉に当たる雨の音はこの季節でないと聞こえない。寂しい音であると同時に、例年ならばきりっとした冬の寒気の音で湯がより暖かく感じる。思わず湯船の中で背筋を伸ばしてしまうこともある。
 雨の音を聞きながらの入浴は、聴覚がよく働く。普段は聞こえない街の中のさまざまな音が聞こえてくる。消防車や救急車の音だけでなく、電車の音、踏切の音、犬の遠吠え、時にはキジバトの鳴き声なども聞こえる。風が弱い時のほうがかすかな音もよく聞こえてくる。

 そして例年の冬ならば、雨が上がった後のしっとりとした湿気も良い。風呂場から出たときの寒気を和らげてくれる。乾燥した冬の空気を和ませてくれる。


毎日新しい(?)発見

2023年12月08日 21時19分00秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日印刷会社にデータを持ち込んで、ホッとした。夕食後は緊張感が無くなったのか、脱力感があり、頭も体も眼も耳も引きこもり気味。

 本日、歩行中に信号待ちをしているとき、脇に若い女性が立った。なんとなく片方の手の指先に目が吸いよせられた。手先がマネキン人形のような色をして、のっぺりしていた。初めは義手なのかと思ったが、突然のその指先が動いて、グー・パーの動作を繰り返した。最近の義手はとても精巧だと聞いてはいたが、それにしても動きがあまりにスムーズに見えた。
 びっくりしてその指の動きを凝視していたら、信号が青に変わり、女性が歩き出した。そのときになって初めてマネキンの肌の色に似た薄い革の手袋をしていることに気がついた。
 私は、自分の認識がこの10数年でずいぶん衰えたことを痛感した。マネキンのような肌の色の指先を見て、革の手袋だということに気がつくまでに30秒以上もかかってしまった。

 何かに注目して、自分が何を見ているのか、その対象がどういうものなのか、認識するのにこんなにもタイムラグがあるのかと、あらためて歳を感じた次第である。
 昔から、歳をとると「呑み込みが遅くなる=理解が遅くなる」と言われる。まさかそれを自分が認識するとは思いもよらなかった。
 歳をとるということは、毎日が自分が歳を取ったということの発見の連続なのだろう。それを毎日新しい発見をする、と前向きに捉えられるとおもしろいが‥。


違和感だらけ二つの「発表」

2023年11月30日 21時26分59秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 昨日から日大の改善計画が報道されている。私が一番気になるのは、理事会ですべてが決められているような様子に強烈な違和感を持つ。
 まず大学の構成員である教授会や教職員組合との擦り合わせ、協議が行われている様子がない。それを指摘する報道もない。学生への説明もない。理事会だけですべてが決められるというのは大学関係者の意見をまったく聞く気がないという、それこそ理事会の独断専行ではないのか。
 教職員の労働組合があれば、不当労働行為として提訴できるのではないか。協議を求めたり、内容を周知するよう求める教官も、教職員も、学生もいないのだろうか。このほうが問題ではないのか。それが今の日大のもっとも核心の問題点ではないのか、と思っている。大きな組織が改善⇒再建するには多くの軋轢がある。組織が大きくなるほど時間と丁寧な合意形成が必要である。スピードがあたかももっとも大切な価値のような風潮があるが、それは私に言わせれば大きな間違いである。

 もう一つはオスプレイの事故の昨日の政府発表の「不時着水」。犠牲者が出ているのに、さらに火を噴いて逆さになって落ちたのに、あたかもコントロール出来ている程度の事故という「安全神話」にすがりたいらしい。そして本日当の米軍が「墜落」と公表してそれにならった。忖度か追従でしかないと誰もが思う情けない政府である。あまりにみっともない。

 


木星と月のランデブー

2023年11月25日 21時20分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・



 夜になり風も強くなり、冷えてきた。空は厚い雲に覆われ、月も見えない。雲の流れは早い。本日は月齢12のほぼ丸い月と、マイナス2.8等級に近い木星が見かけ上接近して見える日。ランデブーという語は今では死語であるが、他に言葉が見つからない。
 寒い中、団地の号棟の端っこまで出かけて空をしばらく仰ぎ見ていた。天頂付近で、かすかに月の光が確認できたので、5分ほど見つめていたら、雲の切れ間から月と木星が一瞬だけ顔を出してくれた。
 木星は月の南側、月の直径で三つか四つくらいのところに明るく光っていた。わずか2~3秒ほどでまた厚い雲の中に隠れてしまった。さらに5分ほど粘ってみたが、月だけが2度ほど見えた。木星と月が同時に見えるだけの広さの雲の切れ間はなく、寒いので断念。家に戻った。

 天文現象は見たからといってご利益があるわけではない。しかも点にしか見えない木星を見ても楽しいことは無い。たいていは寒くて震えて、もうしたくない、と思うのが天体観測である。それでも見たいと思う人は多い。
 要は想像力である。木星のガリレオ衛星の動きを小さな望遠鏡で追った見ると日々動きがわかる。土星を一度望遠鏡で見ると輪が見えて感激する。次に肉眼で木星や土星を見ても点にしか見えない。それでもあそこには衛星がある、輪がある、と想像しながら見ると、楽しいのである。
 惑星に限らず、変化のない恒星でも、その星の由来を知ってから見ると、あるいは星座の物語を聞いたり、読んだりして星座を見ると、それぞれに想像力を逞しくできる。
 これに嵌ってしまった人間はなかなか抜け出せないものである。私は40年ほど抜け出したと思っていた。いつの間にか少しだけではあるが、星を見ることが再び楽しみになってきた。忘れてしまったことが99%以上で星座の名前も星の名も思い出せず、自信をなくしている。頓珍漢になっているがそれでも楽しい。
 


早起きほど苦手はない

2023年11月19日 22時39分50秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日は朝9時に組合の会館へ。毎日2時近くに寝て、8時半位に起きる私にはとても過酷な時間である。朝7時には起床して、朝のルーティンをこなさなくてはいけない。

 現役時代はもう少し早く起きていたが、退職後12年間、8時半起床の習慣がすっかり身についてしまった。もともと宵っ張り、朝は起きるのがつらかった。

 大学生時代、アパートを借りていた5年間もつらかった。1年生のときはそれでも10時からの授業にはなんとか出ていたが、2年目以降は午後からの授業だけ受講票を出した。一応全部合格すれば学部には行けるはずだったが、不勉強と、何より学費闘争がこじれバリケードと試験ボイコット闘争になり、そのまま全体の2/3の2年生が留年。1年生も同じ割合で留年が確定した。
 私は出席などしなかった科目や試験を受けなかった科目も合格したりしていた。留年した年に取らなくてはいけない単位は3科目程度となっていた。バリケード解除・試験強行までして、こんないい加減な結果である。卒業生が極端に数年間少なくなり、地元経済界からも強烈な批判が大学側にあった。
 学部に進んだときは、学部の授業など出る気にもならず、配属された教室には一日おき位に午後だけ顔をだし、お茶を呑んで時間を潰した。就職に対する不安と学生を続けることへの疑問とで悶々としつつも、一晩中専門書以外の本ばかり読んでいた。むろん午前中は寝ていた。読書量だけは今でも誇れる。まさにモラトリアムと呼べる二年間であった。
 担当教官も呆れて、さっさと学校から居なくなってほしいとばかりに、結果として最低限の卒業単位だけを付与された。受講票や顔を出していない科目も最低限のC評価がついていた。コンピューターを動かすことに失敗し、結果の出なかった卒論がA評価とは笑い話に等しい。

 教官の就職先の紹介なども断り、何とか自力で横浜市にまったく分野の違う事務職として就職できたのは幸いであった。就職してからも朝起きるのがつらく、慣れるまで6か月は地獄のような朝を毎日迎えた。
 37年勤めて退職した日の翌日から、すぐに朝8時半起床になった。実に幸せであった。

 こんな私が年に数回の朝7時起きのたびに、このように愚痴が出る。早起きの苦手もここまでくるともう病的である。
 しかし、山に行くとなると話は別であった。今はもう行かないが、65歳までは山に行くときは5時でも6時でも、不思議に何の抵抗もなく起きることが出来た。

 ということで明日の朝はまたも藻掻いて起きなくてはならない。

 


自分が分裂する危機

2023年11月14日 22時30分19秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 退職者会の月曜日の役員会と幹事会に提出する資料作成の宿題、本日はとりあえず終了。明日は所用があり、昼前から出かけて、帰宅は夕食後の予定。明日の夜にまた宿題をこなす。月曜日までに終日作業できる日は木・土・日の3日間。サボらなければ何とかなりそうである。
 意外と油断をしていたのかもしれない。宿題3題はすぐにこなせると踏んでいたのが間違いであった。またそのうちの1題はちょっと頭の中で消えかかっていた。これは迂闊であった。
 残念ながら、月曜日までは読書は遠慮して宿題に邁進することになりそうな気配である。お酒も控えめにしておきたい。

 しかし不思議なもので、何かに専念しなくてはいけないとなると、別のことに対する興味が湧き上がってくる。これは10代のころから変らない。その日のうちに仕上げないといけない宿題を始めると、他の教科のことが気になったり、小説を読みたくなったり、ラジオを聴きたくなったりしたものである。そんなことを洩らすと「集中力がない」などという心無いレッテルを親から貼られたりしたものである。
 今でも何かに集中し始めると、何か外の事をしたくなり、二つのどちらを選択するか、第一と第二の自分が葛藤する。そんな葛藤をしている自分を、冷やかに高所から眺めている第三の自分の存在もとても気になる。高所から眺めている第三の自分は「何をやっているのだろう」と他人事のようにつぶやいている。葛藤が激しくなればなるほど、第三の自分の存在が大きくなる。
 これは就職してからいよいよ顕著になってきた。給料をもらう仕事では、年末や年度末に押し寄せてくる深夜まで何日も職場で一人で残業が続く仕事の場合でも起きたが、その確率は低い。
 それよりも労働組合活動で、抱え込んだ業務を深夜から明け方までかけてワープロやパソコンと睨めっこしているときに無性にクラシックのCDを聴きたくなったり、現代詩を読みたくなったりした。またそんな葛藤をする自分に呆れている第三の自分もごそごそと動き始めていた。ときどきその第三の自分の存在がとても鬱陶しくなるものである。

 定年後、組合の役員を卒業してからはあまりそのような分裂は起きていないが、ときどきこんなこともある。
 きっと疲れているのと、間に合うのかという焦りがどこかにあるのかもしれない。


風呂好き

2023年11月11日 22時33分42秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 明日は本日よりも寒くなる予報。そして午前中は雨の予報である。午後は団地内の集会。この団地も立地して半世紀を越えている。いろいろと問題が出てくる。
 本日もシャワーであるが、昨日よりはユックリと、そしてしっかりと温まりたい。昨晩はざっくりと洗っただけだが、それでも気持ちよかった。毎日入浴できることはとてもうれしいものである。入れなくなるとそのありがたさが身に沁みる。

 私は本来風呂好き、長湯好きである。温めの湯に長時間入るのがいい。温泉に行って温めの湯に3時間入ったままのことがある。一緒に旅行にいった仲間が呆れていた。
 家族旅行でも夕食前にひと風呂浴び、夕食後に1時間は入る。寝る前にも30分は入浴したい。むろん朝風呂にも30分以上は入りたい。
 熱めの湯の場合も、入る時間を半分ほどにしたり、浴槽の枠に座ってボーッとしている時間を長くしたり、それなりに長時間楽しむ。妻や子どもは呆れて、相手にはしてくれなかった。

 意外と慌ただしく入らなくてはならないのが、登山から麓に降りて来た時の温泉。とても幸せな時間であるが、数少ないバスの本数に合わせると、着替えも含めてわずか30分程度しかない場合もあった。替えの下着や上着をリュックから出し、汗まみれの服を防水の袋にしまい、素早く体を洗っても駆け足でバス停まで走ることも多かった。
 浴槽の中でのんびりビールや日本酒を飲むゆとりのある温泉に浸かるのは、そこに宿泊するときくらいであった。それでも下山したときの風呂の誘惑には勝てなかった。
 登山者を歓迎しない温泉宿では、共同浴場に行けといわれ、そちらに行くと「地元用」だと断られたこともある。下山地の温泉もいろいろであった。当時はムッとしたが、今では楽しい思い出になっている。


カレンダー、今年最後の1枚

2023年11月01日 10時38分09秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 本日は所用のためこれより外出。昨日よりも少し気温が高いらしい。かといって半袖を今更押入れから出すのも面倒ということで、長袖で外出予定。夕方には長袖が欲しくなると思われる。この時期、服装は難しい。朝晩と昼間の気温差で服装を変えたくなる。さらに人によって感じ方は大いに違う。半袖で済ましている人だけでなく、未だに半ズボンの人もいるくらいである。

 部屋の中のカレンダーは最後の一枚に変った。どのカレンダーも雪がちらついている絵ばかりである。今年は体感とカレンダーが一致しない。
 戦さに受けくれた2023年も、そろそろ来年のカレンダーの手配が必要になってきた。カレンダーが何となくそんな催促を私にしているようだ。

 カレンダーを新しくするように、世界の様相も戦さのない方向に変わってほしいが、とてもとても、と暗い気分になる。国内の政治も暗澹たる様相。気分だけでは変わらない。