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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

田中一村展

2024年10月29日 21時09分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は小雨の中、昼前に家を出て、上野の東京都美術館で開催している「不屈の情熱の軌跡 田中一村展 奄美の光 魂の絵画」を二人で見てきた。
 雨にも関わらず、上野駅を降りると国立西洋美術館前まで「モネ 睡蓮のとき展」の入口まで人混みがあった。西洋美術館はとても混雑しているようであった。
 「田中一村展」も混雑はしていたが、モネ展ほどではなかったのはありがたかった。

 田中一村の回顧展ということで311点という実に多くの作品や資料が並んでいた。すべてをじっくりと見て回るエネルギーは湧いてこなかった。じっくり見て回ったのは、先週の「日曜美術館」で紹介された諸作品と、一目見て気になった作品にかぎり、残りは3500円で購入した図録に頼ることにした。特に日曜美術館で紹介された作品は他の方の頭越しにしか見ることがかなわなかった。

 構図、余白、色彩、写真、この4点を軸に見て回った。まだ頭の整理が出来ていない。

 16時過ぎに横浜まで戻り、久しぶりの沖縄料理店で泡盛を2杯。モズクや島豆腐などをつまみにした。横浜では本降りの雨になってしまった。


講座「欧州美術紀行」(アントワープ)

2024年10月17日 22時25分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日の午前中は神奈川大学の市民向けの対面講座「欧州美術紀行」(講師:中村宏美氏)の第1回目「アントワープ」。ヤン・ファン・エイク、ヤン・マサイス、ピーテル・ブリューゲル、アルブレヒト・デューラー、ペーテル・パウル・ルーベンス、アンソニー・ヴァン・ダイク、ジャック・ヨルダーンス、そして近代のフィンセント・ファン・ゴッホが取り上げられた。
 マサイスというルネサンス期の画家は初めて目にする画家である。紹介されたのは《フローラ》(1559)は構図も色彩もなかなか気に入った。
 また、ゴッホは《ジャガイモを食べる人々》(1855)を描いたのち、アントワープに向かう。《アントワープの港》(1885)、《アントワープの町並み》(1885)とともに初めて目にしたが、特に後者に惹かれた。しかしアントワープには美術学校での挫折で3か月ほどしかおらず、パリのテオの家に転がり込む。
 わずかな滞在であるが、パリ時代を予見するような作品に見えた。

 午後は、みなとみらいの神奈川大学のキャンパスから新横浜に移動。写真編集ソフトを家電量販店で購入。喫茶店でひと休みしてから横浜駅にもどり、書店を一回りしてから帰宅。
 これより購入したソフトを新しいノートパソコンと、デスクトップパソコンにインストールする作業。

 喫茶店では「日本霊異記の世界」(三浦祐之)の第8講「行基の奇行」を読み終わり、第9講「語られる女たち」を少々。

 


ジャズプロムナード

2024年10月13日 20時17分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は腰が痛いにもかかわらず、12日・13日に開催されているジャズプロムナードに出かけた。といっても有料のライブではなく、無料の街角ライブを聴くのが目的。これまでは関内駅南口・市庁舎前、関内ホール前、昨年は桜木町北口改札傍、桜木町コレットマーレ前などで聴いていた。特に関内ホール前は、近くの喫茶店の店外のテーブル席でコーヒーを飲みながら聴くのが楽しみであった。
 本日は桜木町駅まで、3箇所ほどをまわったが、最後はクロスゲート前の会場の椅子に座って夕陽を浴びながら楽しんだ。2ステージの1時間ほど聴いた。知っている曲ではなかったが、街角ライブは4~5人以下の小編成で、私にとっては好みの編成である。
 夕陽を浴びての演奏中に赤とんぼが横切るのもこの時期ならではの情景である。


「空の発見」展

2024年09月15日 21時35分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 日本の絵画作品には、江戸時代まで空の表現が無い、というのは私も気がついていた。どうしてだろうと思いつつ、深く考えることもなく過ごしてきた。

 西の空は阿弥陀如来の世界として描かれたが、あくまでも阿弥陀来迎図が描かれるためのスペースであった。

 チラシには次のような記載があった。「青空を描いた司馬江漢が、蘭学から地動説を学び、科学的な空間意識を持っていた・・・。浮世絵のなかの典型的な空の表現“一文字ぼかし”のように、その表現は形式的、概念的なもの・・・。

 このような把握での企画展、面白い視点でまとめたと感じた。明治以降、「雲や陽光を写しとろうとする」潮流が主流となるが、同時に表現主義、シュールレアリスムなどの影響で、画家の「心象をこの空間に託すように多様で個性的な「空」を描く画家たちが続く」と記載がある。
 萬鉄五郎の〈雲のある自画像〉(1912、チラシ裏面参照)の背景に描かれた赤と緑の雲などは何を象徴しているのか、謎である。空や雲の表現が普遍化されないまま画家個人の心象だけに閉じ込められてしまったという側面もあると感じた。
 そんななかで、私の好きな香月泰男のシベリアシリーズの一作〈青の太陽〉(1969)は極限状況下での「癒し」としての普遍性を感じる空である。香月泰男がこの作品に添えた言葉「匍匐訓練をさせられる演習の折、地球に穴をうがったという感じの蟻の巣穴を見ていた。自分の穴に出入りする蟻を羨み、蟻になって穴の底から青空だけを見ていたい。そんな思いで描いたものである。深い穴から見ると、真昼の青空にも星が見えるそうだ。」は30代の時から忘れられない言葉であり、そして青い色彩が目に焼き付いている。
 一方で〈黒い太陽〉(1961)に添えられた言葉は「真夏の太陽は草原を約がごとく照りつける。夕方西南の地平を転ぶように沈む時、いつも大きく見えて美しかった。しかし敗色日に濃く、緊迫感を増すにつれ、太陽は自ら希望の象徴であることをやめたかのように、その赫光さえ失って中天に暗黒に見えもしよう。」としるし、作品は黄土色の土のような空を背景に暗黒の円で描かれている。この言葉と作品もまた忘れられない。
 このシリーズには教育勅語を痛烈にやり玉に挙げた作品もあるが、すでに敗色が濃い満州の地で、これまでの価値や理念が強固なはずの「軍」という集団の中で、戦争スローガンへの失望、国家理念の崩壊・逆転、視点の転換の危機が訪れていたことを象徴させているという理解もできる。

 またこの展覧会では「空」を窓として「宇宙」を見つめる視点を現代美術の担い手から紹介している。この試みもなかなか刺激的であったが、もう少し作品の具体例が欲しかった。

 なお、イギリスのジョン・コンスタブルの〈デダムの谷〉(1805-17)に再会できたのは収穫。また亀井竹二郎、竹内鶴之助という名を初めて聞き、作品に接した。
 欲を云えば、浮世絵に登場する空・雲・雨の表現の流れからは、新版画や川瀬巴水などの作品に登場する魅力的な月や空にも着目した展示が欲しかった。そこまですると大展覧会になってしまうのだが・・・。

   


「フォロン」展と「空の発見」展

2024年09月14日 21時40分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 本日は欲張って二つの美術展を二人で見てきた。
 まずは東京ステーションギャラリーで「空想旅行案内人 ジャン=ミッシェル・フォロン」展を鑑賞。一服ののち、半蔵門線・井の頭線を乗り継いで渋谷の松涛美術館まで出向いて「空の発見」を鑑賞。
 久しぶりに二つの美術館をハシゴでだいぶくたびれた。
 フォロンという画家は初めて見たが、どこかで見た既視感があり、そして美しい色彩に目をみはった。好印象。
 次に「空の発見」展では、広重・北斎の諸作品のほか、お目当てである香月泰男の「青の太陽」(シベリアシリーズ)をじっくりと鑑賞。「青の太陽」はもうすでに4回以上は直接見ているが、幾度も見たい作品である。今回も会場内はとても寒かったが、じっくりと見させてもらった。
 幕末から明治期のこれまで名も聞いたことのなかった画家の作品が多く掲げられており、いづれもなかなか好印象の作品が並んでいた。

 追々感想を記してみたい。

 


香月泰男のシベリア・シリーズから

2024年07月28日 13時35分15秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 毎日曜日のNHKの日曜美術館はさいわいにもオリンピック放映にかき消されることなく、今回も放映された。しかも「香月泰男のシベリア・シリーズ」であった。
 香月泰男の名を知ったのは1972年頃だったと思う。むろんまだ全容は知らなかった。またなぜ香月泰男だったのか、その契機も記憶にない。
 記憶が正しいとすると、1970年に発表された同シリーズの「朕」の添えられた画家本人の言葉に感激した。これが1972年なのか、もっとあとなのか、問い詰められると自信はない。
 「人間が人間に命令服従を強請して、死に追いやることが許されるだろうか。民俗のため、国民のため、朕のため、などと美名をでっち上げて・・・・・・。朕という名のもとに、尊い生命に軽重をつけ、兵隊たちの生死を羽毛の如く軽く扱った軍人勅諭なるものへの私憤を、描かずにはいられなかった。敗戦の年の紀元節の営庭は零下30度余り、小さな雪が結晶のまま、静かに目の前を光りながら落ちてゆく。兵隊たちは凍傷をおそれて、足踏みをしながら、古風でもったいぶった言葉の羅列の終わるのを待った。・・・・朕の名のため、数多くの人間が命を失った。
 香月泰男はシベリア・シリーズの一点一点について解説文を自ら書いている。
 「自分に忠実であろうとすると、ますます他人には分かりにくいものになっていく。一方で人に理解されたくない、これはオレのものだという気持ちがあるのに、やはり分かってもらいたいという気持ちも他方にあるのは否定できない。しかし、妥協はできない。解決策として、私は説明文をつけることにした

 東西冷戦下の日本の国家体制、世界秩序の根幹であった西側民主主義と「社会主義」圏の、共に国家の名による抑圧、それらの縮図である国内の保守・革新という図式と党派の論理の跋扈・・。当時の新左翼運動もこれらからの止揚をめざしつつ、それに押しつぶされて暴走を始めていた。
 そんななかで画家の立場から明確に、「朕」に解説文が発せられていることに当時の私はとても惹かれた。
 なお、作品の中央部の白い部分は「読み上げられている軍人勅諭」である。その背景の人物は営庭で聞かされている兵隊でもあり、同時に亡くなった兵隊でもあるのだろう。

 実はシベリア・シリーズは初期の2点を除いて「黒」が主体の作品である。その「黒」を際立たせる技法の秘密も紹介していた。



 しかしながら、シベリア・シリーズ以外の諸作品は色彩があふれるような抒情的な作品で溢れている。これもまた香月泰男の魅力の作品群である。

(遠吠え)本日の番組ではこの「朕」という作品の紹介もあり、また添えられた作者の解説文も読み上げていた。数年前には想像できなかったことである。NHKも部門ごと、番組ごとにずいぶんとニュアンスや意図に差が出てきたようだ。どれが正しいなどとはいわないが、少し前のように力あるものへの忖度をやめ、力におもねることをやめ、時代の病理をえぐり、多様性のある番組を望みたいものである。


ショパン「マズルカ全曲」後半

2024年07月27日 21時41分36秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 暑さ疲れで読書がままならないので(といっては作曲者にも、演奏家にも、音楽愛好家にも失礼かと思うもののご勘弁!)、食後は一昨日に続いてショパンの「マズルカ全曲」の後半を聴くことにした。

 マズルカとは関係はないが、夕食には横浜駅のスーパーで購入した「ヤリイカ」と表示のあった5㎝未満の茹でたイカを4杯。さらに薄切りにした生姜をたっぷりの鰹節と煮た私の大好物を妻が作ったくれた。それを茶碗に半分ほども食べた。さらに葉生姜を2つほど。これ以外には口にしなかった。しかし生姜ばかりで、しかも葉生姜はかなりからかった。十分にお腹がいっぱいになった。ずいぶんと胃が小さくなったものである。

 体を温める効果がある生姜が暑さでげんなりしている体によいのかは疑問であるが、食べている最中は口のなかが爽やかになり、気分のいいものである。殺菌作用も強いという。私の好きな食材なので、昔からつい食べ過ぎてしまう。


ショパン「マズルカ全曲」

2024年07月25日 12時58分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

   

 久しぶりにショパン「マズルカ全曲」をアシュケナージのビアノで聴いている。演奏年次は記されていない。
 ネットでの解説では「現在のマズルカはポーランド語ではマズレク(Mazurek)と呼ばれ、上で紹介したマズール、オベレク(Oberek/速い踊り)、そしてクヤヴィアク(Kujawiak/遅い踊り)の3つが混ざった曲を指します。ショパンが60曲近く作曲したマズルカは、この3つが混ざった作品となっています。ショパンの場合は、踊りの特徴をうまく捉え、自分が見聞きした旋律やリズムを取り入れて芸術的作品に昇華させました。」(大井駿 指揮者)とある。

 踊りの曲ということになっているが、私には踊りという要素があまり感じられない。アシュケナージの演奏が「洗練」されているのだろうか、古い土俗的な匂いがしない。ショパンがそのように作ったのかもしれない。
 しかし、それが結果的には私には合っているのだと思っている。

 この曲集、あまり聴くことはないが、聴くと心地よく、そして懐かしい気分に浸る。気分が落ち着く。


ヘンデル ヴァイオリンソナタ

2024年06月13日 20時37分22秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 本日は夕食後、ヘンデルのヴァイオリンソナタ全6曲を、アルテュール・グリュミオーのヴァイオリン、ロベール・ラクロワのチェンバロで聴いている。
 聴きなれた美しい旋律が久しぶりに耳を楽しませてくれる。

 10代、20代の初めの時は第1番と世に最も有名な第4番(特に第3、第4楽章)を偏愛していたが、今は、どの曲も気に入っている。
 私にとっては精神を鎮めてくれる曲である。


三度ドビュッシーに挑戦

2024年05月31日 21時50分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 喫茶店での読書タイムののち、いつものように有隣堂の店内を一巡してから、徒歩にてフラワー緑道をとおり、近くの私鉄の駅までウォーキング。
 北風で半袖のポロシャツでは涼しいくらいだったが、歩いているうちにかなり汗ばんできた。しかし途中で少し雨がパラついてきたので、バスにて帰宅。傘をリュックに忍ばせるのを忘れていた。バスは空いていた。

 夜は、ドビュッシーの「前奏曲第1巻」と「子供の領分」外が収録されているCDを引っ張り出してきた。演奏はミシェル・ベロフ。
 ドビュッシーの曲を少しでも身近なものにしようという試みの一つであるが、どうも成功しそうにない。
 しかし静かな曲は少し馴染みができそうな気がしてきた。感想にならない感想は後日掲載予定。
 


ドビュッシー「映像1、2外」

2024年05月25日 12時15分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 5月6日に続いて、ドビュッシーに「挑戦」している。演奏はミシェル・ベロフのピアノ。曲は「版画」「映像第1集」「映像第2集」「忘れられた映像」「喜びの島」「マスク」が収められている。ドビュッシーの書法が確立されて以降の作品ということになる。
 以前は、冒頭の数曲だけを聴いて、音の氾濫に圧倒されていつも「敗退」していた。数回このCDを聴こうとしたものの、最後まで聴いたことがない。ドビュッシーへの「苦手」意識が肥大。「食わず嫌い」が続いた。
 今回は、これまでよりは落ち着いて最後までこれらの曲が収められているCDを聴くことが出来ている。前回、初期の作品を聴いてこれまでのイメージを少し刷新できた。そんなこともあり、今回は音符の氾濫の中から、メロディーを追うイメージで音の流れを探るように聴いている。しかしこれはこれでなかなかエネルギーのいる聴き方である。
 ドビュッシーの作品というのは、私には聞き流しながら気楽に聴くということを拒否される。
細かく散りばめられた音符のどれもが等価に聴こえて、緊張を強いられる。そしてどの音符も強弱だけの差で、急・緩の差が極く小さいように聴こえる。
 その中でも「忘れられた映像」は初期の作品、ドビュッシーの書法が確立される直前の曲であるらしく、メロディーを聴くように音の流れを追うことのできる場面がところどころに顔を出す。

 やはりまだまだドビュッシーの曲を理解できない私である。


明日は美術鑑賞講座

2024年05月22日 21時24分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 明日の午前中はオンラインの美術鑑賞講座「はじめての日本美術史」(講師:中村宏美氏)の第5回目「桃山時代の美術」。事前配布の資料24枚を先ほど打ち出し完了。
 久しぶりの講座である。

 明日は終日曇りで降水確率は20%。深夜は50%となっている。
 明日は出かける予定はない上に、本日の体調からすると出かける気力が湧いてくるのだろうか。ちょっと疲れ気味。二日続けての深酒が響いている。飲み過ぎは良くないのは解ってはいるのだが。何とも自分が情けない。


神奈川一水会展

2024年05月13日 20時58分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等



 明日から「神奈川一水会作家展」。中学・高校の時の美術教師の一人が毎回出品している。当時の教師の中で今でも音信のある数少ない恩師である。残念だが、世話になった先生の多くが早逝されている。
 当時の学校経営や教育方針にいろいろと問題が山積みであった。ゴマすりやいい加減な教師には強烈な嫌気ももよおしていた。
 しかし多くはなかったが、私には「恩師」と呼べる教師も幾人かはいた。その方たちからはずいぶんいろいろなことを勉強させてもらった。
 教科の内容だけでないことを教わった教師のほうが、誰もが「恩師」と思うのではないだろうか。あるいは直接会話をする機会は少なかったものの身の振舞い方に多くのことを学んだ教師も多かったと思う。
 就職して10年くらいしてから、母校の労働争議の支援に呼ばれた。世話になった先生のほとんどが組合員であったので、その支援活動を通じてお付き合いを再開するようになった。それ以来毎年とは言えないものの、できるだけこの展覧会には顔を出している。

 


ドビュッシー「ベルガマスク組曲」ほか

2024年05月06日 13時57分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 昨日はドビュッシーの作風が確立されていた1914年の作品「12の練習曲」ほかを聴いた。私には馴染めない曲だったので、今度は初期の作品としてベルガマスク組曲などが収められているCDを引っ張り出してきた。演奏は昨日と同じくミシェル・ベロフ、1996年の録音。
 表題の「ベルガマスク組曲」を聴いてみると、「12の練習曲」とはずいぶん違う印象であることが解った。ビアノの音が散りばめられたように煌びやかに響いてくるが、私でも理解できるように、メロディーに乗って、時間の流れの中で散りばめられている。
 極端な強弱の飛躍もない、テンポの変化にも私はついていける。しかし「ベルガマスク組曲」と「2つのアラベスク」、「ノクターン」ならびに「ピアノのために」を除くと、習作的な感じがする。
 解説によると「印象派、あるいは象徴派と語られるドビュッシーの作風が確立するのは1890年代に入ってからである。このアルバムには、彼の個性と書法が次第に形づくられていく過程のピアノ曲が収められている」と記されていた。

 このCD、購入した記憶がない。ということは購入してから多分聴いていないか、聴いても一度位しか聴いていないと思われる。しかし今回、「ベルガマスク組曲」は気に入った。是非聴き続けたいと感じた。「ピアノのために」という3曲からなる曲に馴染むには時間が掛かりそうである。第2曲の「サラバンド」は面白い。


ドビュッシーの曲を聴いて

2024年05月05日 20時11分00秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等

 ドビュッシーの「12の練習曲」ならびに同時に収録されている3曲を3度程聴いてみた。多分これまでならば1回で聴くのをやめていたと思う。
 何となくこれまで馴染めなかった理由が少しだけわかったような気がした。まず強弱のレベル差が一つの曲でとても大きいこと。それも短い曲のなかで突然に強くなる。またテンポの変化がとても早いこと。総じて変化がとても大きい。
 この曲のテンポの早さではなく、変化の早さに私の頭がついていかなかったのではないか。それは現在も同じである。

 ドビュッシーの曲というのは多分メロディーや和声の進行とは無縁に近い。散りばめられた音が光の散乱のように浮遊する。流れというものは時間に従うのではなく、空間での光の点滅のような秩序に従う。時間の流れに従うような秩序とはちょっと違う。音の点在の変化はテンポの変化、音の強弱の変化として捉えられているように感じた。むろんメロディー的に時間の流れに沿うフレーズもたくさんあるのだが、そうではない要素に自覚的でないと聴き続けるのは難しいのではないか。
 そのような手法に無自覚で、旧来の音楽のように聴いていた私がついていけていなかったようだ。
 この感想が正しいもので、的を射ているかの検証もまだしていない。そのような感想の上にたって、私の感覚とマッチしそうな曲を探してみたい。