徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-646

2014-11-25 07:57:31 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-267

9)再びインドを歩く

日記から-49

8月22日(水曜日) 曇ったり晴れたり

 朝、このダラムサラ(町の名前ではなくお寺のような所)を出ようとしたら、ここに泊まっている人にチャーイを奢ってもらいしばらく話をしていた。
それで出発は大きく遅れたが、もうあまり焦らずに行こう。

 デリーを出て9日間経つのだがいまだ腹の状態は良くない。腹が下ってばかりいる。
何時下痢になるか分からないのでパンツを汚してしまう。この辺はどこにでも水溜りがないからでもある。
それは水溜りがあればその横に行き、それをした後、尻を洗えばいいのである。
この下痢で神経を使い悩むのは嫌である。早く腹の状態が治ることを祈る。

 この辺りは山の中である。あのネパールの山の中から下りて来て何日が経ったのであろうか?
やはり山の中は気分がいい。楽しい歩きである。ここには松の木もあり、時折その良い臭いがする。
山道の曲がった道をできるだけまっすぐに距離を短く歩くとたまに通る車とは危ないのであるがそれでも面白い。
体が完治し正常の状態であるなら本当にラクにそして楽しく歩けるのにな。
それでも体は確実に少しずつではあるが良くはなっている。
 今、矯正している右足は本当に骨から曲がっているので、それを矯正するのに毎日骨が折れるかと思うほど逆に曲げている。

 山に入ってきて涼しくなってきた。今日は30kmほどを歩いた所で泊まれる所があるか聞いてみた。
聞いたチャーイ屋ではレストハウスというので、俺はそこへ行って見た。
そのレストハウスに着き、聞いてみるとそこは許可がないと泊まれないところであった。
それでも、その許可があるとすべてがただで泊まれるのだそうだ。
その許可がいるのを知らず、ノコノコそこまで出かけてしまった訳である。
だが、ここの親切なマネージャーはダブルルームでトイレ、シャワーのある部屋に俺を泊めてくれた。
それだけではなく夕食と明日の朝食までくれるという。
その外、彼は個人的にもチャーイやサモサ(野菜やいろいろなものが入った三角の揚げ餃子のような物)を奢ってくれる。
ありがとう!

出費 9.00ルピー

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-645

2014-11-24 08:02:30 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-266

9)再びインドを歩く

日記から-48

8月21日(火曜日) 曇り、雨

 チャンデガールというところを通る。ここは都市計画で作られた市なのであろう。
大変整った街である。アパートのような建物が立ち並んでいる。そして大きな道路がある。
こんなにすばらしい所なのに貧乏人も多くいるのが見える。彼らはあのアパートみたいなところに住んでいるようには見えない。
彼らは大きな道路の両側でアパートのような建物との間の広い空き地にあまり綺麗とはいえないテントのような小屋を建て、住んでいる。
何というアンバランスな都市なのだろうか?この様なことをシンガポールでも少し感じた。

 このチャンデガールの街の中を迷い、方向違いに歩いてしまいひどく時間を無駄にしてしまった。
そもそも、朝出発してすぐに、分かれ道で「チャンデガールはどちらか」と聞く必要がなかった。
初めからこの都市には泊まるとは思っていなかったのだからである。少し先ではあるが「シミラーはどちらか」と聞いていればよかった。
チャンデガールに来たのと道を迷ったので今日は20km以上無駄に歩いてしまった。
その為にシミラーへは2日後ではなく3日後に到着することになるだろう。

 今日はKalakaという町のダラムサラ(町の名前ではなくお寺のような所)に泊まる。
ここは8ルピー泊まるのに取ると言う。ここに着いたのが、夜7:30を過ぎていたので、この町を見ることはできない。
それでもここは山が近くなり始めてネパールの山に入って行った時の町、ダランという町に似ている。

出費 23.90ルピー

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-644

2014-11-23 08:39:49 | 世界徒歩旅行

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-265

9)再びインドを歩く

日記から-47

8月20日(月曜日) 曇り

 今日は雨が降りそうで、降らなかった。 助かった。
Ambalaを出たのが遅かったので、午前中は歩くのに少し気が焦る。
まだ、体が十分に治っていないため、40km歩くのが大変である。そんなこともあり焦りがあった。
だが、何とか今日は39km歩けた。夕方は余裕があり、その距離を歩けたので良かった。

 夕方、Dhaba(ダバ:ドライブイン)を見つけ泊まる。そこで働いている人達はぜんぜん英語を話せない。
困ったものである。

 この辺ではチベット系人が少しずつ見られるのだが、彼らはあまりインド人からよく見られていないようである。
俺もこのダバではジャケにされ、相手にされないので頭に来た。 いけない!いけない!

 このダバで働いている子供がチベット系人であるが、こいつが俺の後にヒツコク着いてくる。
初めは俺と同じ様な顔立ちなので親近感を持っていたのだが、後に着いてくるのがあまりにもヒツコイのである。
その他、この子供は俺の回りを回り、俺にチョコンと触るのである。これはあまり気分が良いものではない。
この子供がいろいろと俺にチョッカイを出すので、頭にきて怒ってしまった。
俺はまだまだ人間ができていないな。

出費 14.50ルピー

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-643

2014-11-22 07:56:15 | 世界徒歩旅行

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-264

9)再びインドを歩く

日記から-46

8月19日(日曜日) 晴れ、曇り、雨  雨は結構降る。

 今日は俺の30歳の誕生日だ。
だから、今日は25km先のAmbalaという所まで行き、そこで泊まり、ゆっくり休もうと思う。
その為に、今日は早く歩き出しもした。それなのに途中から雨が降ってくるのである。ついてないな!
それで雨宿りをしていると3杯もチャーイを奢ってくれる。(チャーイをありがとう!)
この後、Ambalaまではすぐだと思い、バックパックに雨よけカバーをしなかった。
それで荷物まで少し濡れてしまった。

 Ambalaに着くが、駅の周りには泊まれるロッジがない。
とりあえず、そこで食事を済ます。その食堂では今までになかった客の呼び込みがあった。
この辺は隣のパンジャブ州とも近いので、ここもパンジャブ州の宗教であるシーク教徒の人も多い。
(シーク教徒の人が頭に非常に大きなターバンを巻く、よくテレビで見るインド人のイメージがこれである。)
シーク教徒の人は商売がうまいとこのインドでは聞いている。
この食堂の人はそのシーク教徒の人達だからか、客の呼び込みまでしているのだろう。
そればかりではない、この食堂を見ていると人を無駄には使っていない。
例えば、マネージャーみたいな人でもサラダを切ったりしている。このインドではすごいことである。

 この食堂で泊まれるところがあるか聞いたら、近くにダラムサラ(地名のダラムサラではなくお寺のような所)があると言っていた。
そこに泊まろうとしたが、見つからず、歩き続けると結構明るい感じのロッジを見つける。
そこで泊まることにした。ここで俺の30歳の誕生日を一人で祝おう。

出費 66.50ルピー

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-642

2014-11-21 07:57:36 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-263

9)再びインドを歩く

日記から-45

8月18日(土曜日) 曇り、晴れ、雨   毎日、シャワー(夕立)がある。

 昼前、警察に止められる。何かの尋問かと思ったら、パンとミルクをくれるというのである。
そこで、話をしていると雨も降り出し、雨宿りまでさせてもらう。ありがとう!
警察が親切にしてくれたので、昼食は食べなくてすんだ。

 ところが、昼がパンとミルクだけだったので、3時には何か食べようと食堂を探したが、それがなく苦労する。
結局、夕方までその様な所がなく、夕方 ダバ(ドライブイン)があるか聞いたら「後3km先にある。」と言うことであった。
その言葉で安心したのか、聞いたところで休んだら、疲れて体が動かない。
また、やっと体を動かし歩き出したら、この3kmが本当に長く感じるのである。
今日は結局、42kmしか歩けなかった。

 そのダバで初め、泊めてくれと言ったら、「だめ」だと言うが、この後他のダバを探すのがいやなので、強引にいろいろ話をする。
そして、少し親しくなってから、また泊まることを伝えたら、良いという返事をもらった。
あ~助かった!

 足の曲がっていることを気にし、矯正する様にしながら歩くと本当に疲れる。

出費 11.50ルピー

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