徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

発展した「昭和」の若者の旅-1

2013-01-01 08:38:07 | 日記

発展した時代昭和きた若者徒歩旅日記

+++++++++++世界徒歩大旅行記34キロ+++++++++++

1、歩いた所

 

大学の時、日本縦断(青森~鹿児島)沼津~岐阜300キロ、青森~岐阜135キロ、

鹿児島~岐阜1150キロと3回に分け2800キロを歩いた。このときは家を中心に歩いた。 

・1980年12月17日から1981年5月5日までの140日間

アメリカ、ロスからニューヨークのステイタンアイランドまで5300キロ横断

 

・1982年10月27日から1983年1月27日までの93日間

オーストラリア、パースからシドニーまで4500キロ横断

 

・1983年 3月3日から5月5日まで64日間

ニュージーランド南端ブラフから北端ケープレアンがまで2400キロ縦断 

・1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間

シンガポールからポルトガルのヨーロッパ最西端であるリスボン近くのロコ岬まで19000キロ横断

 合計34000キロ歩いたが、日本以外は海から海まで即ち、大陸横断をした。

 

・その後、1985年11月から12月まで1ヶ月間、ヨットに乗った。

陸は徒歩、海はヨットで無動力完全世界一周を目的としたものであった。

まずはヨットの操縦を学ぶためポルトガルの南のヨットハーバーからカナリア諸島までヨットに乗った。

 現在、ヨットを一時中断し韓国に在住し、家庭を持った。

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-49

2010-10-06 07:24:36 | 日記
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-49

3)タイ編

日記から-13

11月28日 (月曜日) 曇り
11月29日 (火曜日) 晴れ

 今日もKo Samuiのバンガローで休む。
目の前の海で釣りをしたりした。また、日本の本をこのバンガローで見つけ、それを読んでいた。
他に海を眺め、夜にはビール、ウィスキーを飲んで最高の生活であった。
このまま、一週間または一ヶ月いたい。しかし、この様な生活ばかりをしていられない。
このままでは人間が駄目になってしまうのではないかとも思う。

 読んでいた本の中にはアフリカ、インド、ネパールのことが書いてあるものがあり、それを多く読んだ。
それを読むうちに早くインドやネパールに行きたいと思う。
また、読めば読むほど、インドやネパールに本当の人間の生活があるのではないかと思うのである。



12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-48

2010-10-05 07:49:51 | 日記
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-48

3)タイ

日記から-12

11月27日 (日曜日)  曇り

 Sichonから内陸に入り、Kanchanaditまでは思っていた通り殆ど村がなく、食べ物や水を確保するのに苦労をした。
その後、Kanchanaditからは平地で農業も漁業も出来るからだろう人々の集落が多く、店も多い。

 今日は17kmぐらいの歩きなのでユックリ、しかも余裕を持って歩く。
だから、いろいろ考える時間と心のゆとりがある。
それで「悟り」について考えてみた。一体、「悟りを開く。」とはどういうことなのだろうか?
俺は決して人々より一段上を行くのではなく、人々より一段下がった境地のことを言うのではなかろうか。
即ち、人間の醜さ、いやらしさを理解し、その中に自分がいるのだということを知ることが、まず「悟り」の初めではないだろうか。
その上で、「開く」ということは何だろう。「悟りを開く」この問題はまた後にしよう。
歩いている時に考えるのより、日記を付けている時の方が考えがまとまらない。

 今日、Surat Thani に着き、リゾートの島であるKo Samuiに渡る。
この島の回りの水はそれほど透明ではない。 Ko Samuiの港に着き、島の裏側へ回る。
その島の裏側のバンガローに泊まる。そこの雰囲気が良いのに感激する。
それは多くのヤシの木、そしてヤシの葉でできたバンガロー(小屋)、食堂、海などすべて絵になり、静かであり平和である。
また金額が一泊30Bと安い。しかし、宿泊が安い分、食事が少し高いが、まあまあだ。
ここで3~4日間普通の旅行者になろう。
それにしても西洋人が多い所だ。東洋人は働いている現地人と俺ぐらいである。



12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-47

2010-10-04 05:27:23 | 日記
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-47

3)タイ

日記から-11

11月26日 (土曜日)  晴れ

 昨日、寝た所は大きな採石所の出入り口にある小屋だったので、朝、人が来ると思い、日がまだ出ないうちに出発。
昨日は寝る所がなかなか見つからず、46kmぐらい歩いたので、今日はそれほど歩かなくても良い。
(何故ならSurathaniへはどちらにしても明日の昼前には着けるからである。)
それでも早く出発してしまったので、ユックリ歩こうと思っていたが、食べる所が見つからず、結局続けて歩いてしまう。
その様に食べ物屋を探している時、タイ人の自転車野郎に会う。俺の進行方向と同じである。
彼はNakhon Sri Thamamrat からBangkokに行く途中で、その彼と一緒にやっと見つけた食堂で昼飯を食べる。
彼とはBangkokに着いたらまたあう約束をして別れる。これでバンコクについてからの楽しみが増えた。


道の横を歩いている像

 昨日の夕方、そして今日、像を見た。道路の上をノッシノッシと歩いて行くのである。
もちろん人が上に乗って操っている。この山に入ってから木が多いので、その木の運搬のための像のようだ。
この像は家畜として育てられているのだ。

 今日はユックリ歩いていられるが、人家がないので、休む所もない。また、結構暑い。

 Kanchanaditに着く。警官に道を聞くと、彼はいろいろ親切に英語で答えてくれる。
Watを教えてくれたが、そこで何か問題があったら、戻って来いと言うことであった。

 Watで泊まる。この寺は大変広く木々が多いし、静かである。
何時ものように子供たちが多く集まって来て、大変うるさくする。
あまりにもうるさいので、今日は顔に不快感を表したら、その子供たちも気にして帰って行った。
彼らも悪気でやっていたのではないと思うと、俺もまだまだ人間が小さいと思うのである。

 Kanchanaditの Watで泊まる。
 出費27B



12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-46

2010-10-03 02:17:52 | 日記
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-46

3)タイ

日記から-10

11月25日 (金曜日)  晴れ

 昨日、ワットでは朝食を食べさせてやると言っていた人が今朝7時前になっても来ないので、出発。
モンク達は朝、めいめい小さな子供を連れて家々を回り、ご飯やおかずをもらいに行く。
即ち、この托鉢(タクハツ)が毎日の日課であり、周りの人家は差し出すのが当たり前なようだ。
タイに来た始めはお寺で誰が料理をするのかなと思っていた。

 昼食を少し遅く取りに食堂に入る。そこではその昼食をおごってくれる。
そればかりではなく、果物を揚げた物、九州のボンタンの様な大きなみかんなどをくれる。
これらで腹は一杯になる。そして、今日一日泊まらないかとも言ってくれる。
彼女の英語が良く分からないのと、まだ昼なので、もう少し歩きたかったから断る。

 夕食は夕食でまた同じように飯はくれるし、泊まらないかと言うのである。
ここもやはり英語が良く分からないので、聞き間違え泊まれと言ったのではなかったら、大変なのでそのまま歩き通す。

 Sichonを過ぎると内陸に向かう。山の中を歩き、人家が少なくなる。
日が暮れてきたので、何処で泊まろうかと思っていたら、小さな小屋を見つける。
久しぶりの野宿である。もちろんタイでは初めての野宿なのである。

 出費22B