徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1028

2016-03-29 09:22:06 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

14、ヨットに乗る-647

その4

 その後、僕はヨットの中でアレンから人種差別をされずにヨットの中では過ごすことが出来た。
ところが僕の心の中に人種差別をしていた人間のアレンを許せない心があるのであった。
その自分の気持ちが分かった時に僕は「今まで自由に自然の中を歩いていた。」からであろうと思ったのであった。
即ち、嫌な人間の社会の中で我慢をして人を許すということをしないでも良かったからではないかと思ったのであった。
だから、自然の中に逃れて楽をするのではなく、僕は返って僕が嫌いな人間の社会に揉まれないといけないと思ったのである。
そう思ったら、次に停まるカナリア諸島(Canary Islands)で降りて、日本へ帰ろうと思ったのである。
帰って日本の社会で24時間、365日の間、同じ人と会いながら、その人の欠点までも許してあげる人にならなくてはいけないのだと思ったのである。
その様に僕には人間の社会の中での訓練のようなものが必要なのではないかと思うのである。

 話は元に戻るが、自然の中で人間は生活をするのが楽である。
よく言われている自然の力は人間の比ではない。だから、地震や嵐などは恐ろしいものである。
しかし、嵐の中でも自然の法則を知ってしまうと、僕は嵐が大変なことではないように思えるのである。
ところが、人間の社会は違うのである。そこには異常な欲が絡んで来て、そこから発生するものは大変なストレスを生むのだ。
だけど、その欲やストレスも本当に大きな愛があれば、そのストレスを消してしまうことができると思うのだ。

 ヨーロッパまで歩き終わり、出てきた結論の4つの中の一つに
1、すべての物に心をもって接しなさい。
  動物、植物、無機物までもこの世の物すべてに対して、、、
この様なことがあった。
この心とは即ち愛でその愛とは人が成長した上での親の愛ではなかろうか。

 今回、このヨットの中での生活で僕にはその愛がまだないことが分かった。だから、訓練のために日本に帰るのである。

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1027

2016-03-20 07:43:41 | ヨット
発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

14、ヨットに乗る-646

その3


yacht-7.jpg
Madeiraのヨットハーバー。 このハーバーに着いた一本マストのヨット。


 その様な時にMadeiraに着き、しばらく休んでいた。
その島ではヨットが宿舎になりはしたが、出来るだけヨットに居ないで外に出るようにしていた。
また、ヨットのクルーの中のカナダ人たち2人がこの島でヨットを降りた。
即ち、オーナーのアレンとデンマークのペアでベンダ(女)とヤン(男)と僕の4人になった。

 MadeiraからCanary Islands へ再び航海を始めた時であった。
台風が来てしまい強い風に横倒れしそうになった。すべてのセールをしまい込んでも船は40度以上に傾いた。
その中では料理を作ることも食うことも出来なかった。
それでもウォッチ(当直)をしなくてはいけないのであった。
あまりにもひどい風の状況の中なので他の白人はウォッチをしろと言ってもしないから、仕方なく僕がそのウォッチをした。
夜中などもしたのであるが、その時は波に体をさらわれない様に命綱で体を結わえ付けてのウォッチであった。
そのウォッチはただ真っ暗な荒れた海を見ているだけであったが、誤って海に落ちてしまうと絶対にヨットに戻ることは出来ないと実感するのであった。
そして、そのウォッチは夜中、周りに何もなく真っ暗で、ただ荒れた波がヨットにぶつかる音だけが聞こえるのであった。
その波によりヨットのキシム音は不気味であり怖いぐらいのものであった。

 次の日の朝、嵐も治まって、無事であったことを喜び、オーナーのアレンは僕に対して「昨日は嵐の中よくやったね。」と言ってくれた。
そして、その後アレンは他の白人には舵を握らせず、僕にだけ舵を握らせてくれるのであった。
人種差別をし「頭を使えよ」と何時も言っていたアレンが僕をこのヨットの中で一番信用できる人になったのであった。
即ち、僕は彼から信用を勝ち取ったのであった。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1026

2016-03-13 08:26:49 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

14、ヨットに乗る-645

その2


yacht-5.jpg
コンパス、舵

 ヨットに乗り、しばらくしてからのことである。
ある時、船の持ち主のアレンは英語が世界の中でもいかにも優秀であると言う話をしだしたのであった。
例えば、Have という単語の中にもいろいろな意味があり複雑なのだと言った。
どうだ、英語は奥が深く優秀なのだが、日本語はそんなことはないだろうと彼が言うのであった。
僕は、日本語は同じ発音でも意味が違うことがたくさんある。
例えば、「はし」と言う発音でも「端」「橋」「箸」などの様に意味がいろいろ異なるし、日本語は漢字、カタカナ、ひらがなを使い分けなければならないのだと言ってやった。

 その後、ヨットの位置がどこなのかを知るために六分儀で計っていた時である。
僕は土木科の出身であるので、角度を測ることは慣れていた。もちろん他の白人はその様なこともできないのであった。
それで、アレンと2人でヨットの位置を出していた。
彼は海のバイブルと言われる本の中にその六分儀で計った角度さえ入れれば、自動的に表から現在のヨットの位置が出てくるのだとその本が優秀だと言うのだ。
それで、角度の話が出てきたので、僕が地球の位置を出す根本はサイン、コサイン、タンジェントの話を出した。
それを聞いたアレンが何のことか分からないと言うので、直角三角形の話をするためにX2+Y2=Z2であるなどと図を描き説明をしたのであった。
そしたら、アレンは「私には分からない。」「私は高等な学校を卒業していないのだ。」と言うのであった。
この高等な学校とは大学か大学院のことではないかと思うが、直角三角形の公式などは高等な学校を卒業しなくても日本では中学校でさえ習うことである。
彼はその様に自分で私はそんなに頭はよくないのだということを自ら言ったことになった。
さすがに、その後からは彼は僕に「頭を使えよ。」という言葉を言わなくなった。
何と気持ちがいいことであろうか。彼に勝ったような気分である。

 ところが、その後は僕自身に納得が出来ないのであった。
どの様なことかと言うと、今まで歩きの旅で僕が学んできたことの中には前にも書いたのだが、以下のようなことがある。

1、すべての物に心をもって接しなさい。
  動物、植物、無機物までもこの世の物すべてに対して、、、

 これは即ち、「すべてのものに愛をもって接しなさい。」という意味である。
では、この愛とはどの様なものなのかと考えると一時的に燃え上がるような恋愛の愛ではないと思うのである。
それではどういう愛だろうか?それはすべてを与える「親の愛」であろうとおもうのである。
この様な愛であれば世界が一つになるし、平和は現れると思うのである。
ところが、僕はどういう人間だろうか?親の愛を持っているのだろうか?
即ち、人種差別をしているアレンを愛することが出来ているだろうか?と思うのである。
親であれば、人種差別をしているまだ未熟なアレン(歳は僕よりか取っていても)を許してあげて愛さなくてはいけない。
そうでなければならないのだが、僕の心の中にはアレンが「人種差別をする悪い奴」でしかないのである。
彼を見ると何だか許せないのである。
それは僕自身がまだ、未熟であるからであろう。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1025

2016-03-07 08:06:31 | ヨット

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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

いよいよヨットに乗る。


 yacht-8.jpg
我々の乗ったヨットが豪華客船クィーンエリザベスⅡとすれ違う。

yacht-6.jpg


 この後は日記をつけていない。だから、詳しい記録がないので、頭の中に残っている記憶をたどり、ヨットに乗ったことを書いてみようと思う。

14、ヨットに乗る-644

その1

 11月15日からヨットに乗り、先ずは大西洋の島でポルトガル領の島、Madeiraに行くことになった。

 航海を始めて、初めての食事はその15日の夕食でどういうわけか、僕が作ることになった。
この時にはまだ船に慣れていないので、小さな空間のキッチンに長い間、しかも細かい料理の仕事をしていられず、船酔いをした。
これがこのヨットに乗ったときの唯一、船酔いであった。
その時には気分が悪くなり、吐き気をもよおしたが、一度海に吐きに行ったら、後はそれほど苦労をしなかった。
とにかく、簡単な食事を作り他の人々に食事を出すことが出来た。
その後は船酔いをすることなく快適に過ごすことが出来た。

 そうしてヨットの上での生活が始まった。
海は広くその海が好きで、ヨットに乗ったのであるが、このヨットではそれだけではない。
そこには人々との関係でいろいろなことが起こった。とにかく、このヨットの上ではその限られた社会だけなのであった。

 そんな限られた社会の中、イギリス人のオーナーのアレンは僕に仕事を指示する時には必ず、「頭を使えよ。」と言う。
始め僕は言葉がよく分からないから、深く考えろという意味で使っているのかと思っていた。
しかし、あまりにもその言葉をよく僕に言うし、他の白人たちには頭を使っていないようなのに「頭を使えよ。」と言う言葉は使わなかった。
僕は何だかおかしいと思ったのだ。
そして、ある時にアレンが僕に「錨を上げてくれ」と言い、「頭を使えよ」とやはり言ったのである。
その仕事は少し危険であった。
モーターで巻き上げるのだが、引っかかることがあり、素早く手でその引っかかりを外さなければならなかった。
アレンは危ないので見かねて、気をつけろと言いながら頭を使えと言うのであった。
そして、彼が僕に代わってやることと言ったら、僕がやっていたそのやり方と同じなのであった。
それを見ていた他の白人たちもアレンに「同じことをやりながら何を言っているのだ。」と言っていた。
即ち、アレンが頭を使えというぐらいだから僕のしている方法より、もっと良い方法があるのかと思っていたのに彼も同じ方法だったのである。
それだけではなく、僕はその機械にその時初めて触れたので、僕なりに頭を使ってやったことがそれだったのだ。
とにかく、他の白人もアレンをおかしく思い出し、その後で他の白人達は僕にアレンが人種差別をしているようだと言うのであった。
それを聞いた僕は非常に頭に来て、彼を許せない気がした。
ところが、ここは海の真っ只中であり、ここから逃げ出すことも出来ないと思ったのであった。

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