発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-216
8)ネパールを歩く
日記から-39
6月6日 (水曜日) 曇り
昨夜は外で寝た。それはインドにあったあの木枠のハンモックのようなベッドで寝たのである。
それほど暑くなく、雨も降らず久しぶりに外で寝たので気持ちが良かった。
山をついに降りる。
今日、歩き始めて20kmぐらいでButwal という所へ出た。そこからはもうインドの平原である。
ただ、ただ平らである。それはButwalの前2~3kmからその平らなのは良く見えた。
またあの暑いインドに入って来たのだ。
バイラワという所で泊まろうと思ったが、御釈迦さんが生まれたというルンビニー(Lum
bini)まで歩いてしまった。
だから、今日は63km歩いてしまった。久しぶりに60kmを越えたのである。
今朝はそのつもりで歩いていなかったので、昼に太陽が出ていた時は日陰でずいぶん休んでいた。
その為に最後の20kmは必死で歩いた。だから、ルンビニーに着いたのは7時30分を超えていた。
ルンビニーに来た理由はあの御釈迦さんが生まれたところはどんな所か見てみたくなったので、歩くルートを外れてここまで来た。
ここルンビニーは何もない所である。大きなお寺があるだけで食堂さえない。
とにかく、そのお寺が泊まれるようにしてくれたので助かった。
しかし、食べる所が外の駄菓子屋のような小さな店でプリー(直径10cmほどのポロッタのようなものでそれほど良くない。)だけを食べる。
この大飯ぐらいの俺にはそれだけでは足りるわけがない。
ここは有名な所であるから、ホテルやロッジがあり、たらふく食べたり飲んだり出来ると思っていたのに、予想外だ。
小さな小汚い店でプリーを食べ、そこでトルカリ(ご飯にカレー)があるか聞いたら、俺の言っていることがわからないのか?
そのおばあさんはお金がいくらだということばかり、俺が聞きもしないのに言うのである。
おばあさんは俺が貧乏で、お金を持っていないものだと思っているのだろう。
気分が悪いのであまり食べないで出てきてしまった。あ!腹減った。
この辺はもう山の方の人とは人種が違う。顔を見てもあのアーリア系人が多くなってきたのがよく分かる。
今日午前中までは本当に山の中を歩いていたのだろうか?それはずーと昔のことのように思えてきた。
これからは平らな所ばかりになるのだろうな。
Lumbiniの寺で泊まる。
出費 12.25ネパールルピー
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筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-215
8)ネパールを歩く
日記から-38
6月5日 (火曜日) 曇りのち少し晴れ
今日が最後の山越えではないかと思う。
そこに到着する前、頂上だけを見せたヒマラヤが見えた。朝の曇りからは考えられないような景色が広がった。
本当にラッキーであり、ヒマラヤが最後に「さよなら」と言っているようだ。
俺も「ヒマラヤよ! 次の時まで、また会う日まで、、、」 何だか寂しい気がする。
この様に現地の人は荷物を自分の体が隠れてしまうほど担ぐのである。
大したものである。しかも、彼らは裸足である。本当に感動してしまう。。。。。
最後の山登りが終わってから、下界が見え盆地が下に広がり、前とは違った風景である。
小さな頂上から歩くほどに川の水が岩をエグリ、鋭い岩の渓谷と変わって来た。
即ち、また山の中のような気がする。人家が少ないので泊まる所をどうしようかと思っていた。
そしてやっと見つけた所が4~5軒の家があるだけの村である。
そこがチャルチャレという所で、そこで泊まる。
山の村の様子
今日も昼は食堂でチャン(酒)を飲んだりしてだいぶ余裕がある。また、昼寝も少しした。
それで今日は45kmである。夏はこの様な距離は簡単である。
出費 24.50ネパールルピー
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-214
8)ネパールを歩く
日記から-37
6月4日 (月曜日) 晴れのち曇り
朝はすがすがしくポカラにいるときよりか気持ちが良い。
午前中は晴れていて気分も良いし、水は何処からでも流れ出していて手に入れるのが楽である。
その水で歯を磨いたり、ヒゲを剃ったりしながらゆっくり時間をつぶしながら歩く。
昼を過ぎても太陽が出ている時は日陰で休み、昼寝などもする余裕の歩きである。
それでもこの頃は日が沈むのが遅くなってきているので、今日は47km歩け、疲れず余裕がある。
やはり夏は50kmは普通に歩けるようだ。それにしても今日は雨が降らず助かった。
今日は特に昼の一番暑い時に雲が多くなり太陽を遮ってくれたので助かった。
今日の最後の7kmごろから水が手に入らなくなって来た。山が乾燥しているのである。
この後、数日で山から下りて平野へと入って行く。この辺は川が大きくなってきて,川幅が大きくなり大きく道路は迂回している。
だから、目の前に見えている村に行くのに5km~7kmなどという時がある。
とにかく、山がだんだんゆるやかになって来ている。もう少しでまた平原だけの世界になってしまうのだ。
平原は新鮮な景色で良いかもしれないが、やはり俺は山が良いような気がする。
山の村の様子
夕方、小さな村に着く。今日は昨日より気分的にも体力的にもやはり余裕がある。
そこの小さな村の食堂で「アル」というインドの酒を飲む。緑色した酒でロキシーより口当たりはましである。
しかし、色がいかにも着色しているようでいやだ。
アルというのはこの辺ではジャガイモという意味だから、酒アルはそれで出来ているのだろう。
それにしても色はどのようにして着けているのだろうか?
出費 24.00ネパールルピー
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-213
8)ネパールを歩く
日記から-36
6月3日 (日曜日) 晴れのち雷雨
今日からまた歩き始める。今日は日本の秋晴れの様な良い天気だ。しかし、暑い。
昨夜は雨が降ったので、道の横では何処からでも水が流れてくる。気持ちが良い。
午前中は晴れで、ヒマラヤの山々が見え、結構すがすがしい午前中であった。
ところが、午後からは雲が出て来て、太陽の光を遮り暑くなくなり助かりはしたが、その後雨が降り出した。
その雨はたいしたことがなく、一度は雨が止み雨宿りをしたが、その必要はなかったようだ。
その後、また、歩いていたら雨が激しく振り出し雷が凄かった。その時は雨宿りをする所がなくずぶ濡れになってしまった。
やっと、屋根を見つけ長い間、雨宿りをしていた。そうしていたら、周りが暗くなりだした。
その時に雨が小降りになってきたので、歩き出したら食堂を見つけそこで夕食を食べ、その2階で泊まることにした。
今日は雨宿りをずいぶんしたが、40km歩くことが出来、あまり疲れることはなかった。
出費 14.00ネパールルピー
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-212
8)ネパールを歩く
日記から-35
6月1日 (金曜日) 晴れ
6月2日 (土曜日) 晴れ暑い
蒸し暑い日が続く。この調子ではインドの天気が大変であると思われる。
ポカラの湖で泳いだりして今は暑さをしのいだりしているが、インドでは40℃以上らしい。
歩き出したら、暑さをしのぐのも大変だ。
俺は夕食をこのスルジェで毎日食べているが本当によく食べるのである。
その量が普通の人の3倍は食べているようだ。だから、ここの主人もいい加減呆れている。
俺は主人が何か言うのではないかと心配だ。
6月2日の朝はポカラを離れようと思ったが、お金の両替で良いレートのブラックマーケットが6月1日に見つからず止めた。
2日の日は山田さんというよく食べる女の子と一緒に両替をしてその後、いろいろな物を食べ歩く。
その後も夕食を3人前食べてしまったので自分も驚いてしまう。
このところ日本人旅行者の社会の中でしばらくいたので、いろいろな日本人がいて、その性格が見えてくる。
ポカラの様な大きなツーリストスポットに来た時、数日間は日本人であれば誰でも良いから日本語を話したいので話す。
だが2週間も同じ所で泊まっているとやはりいろんな人がいることが客観的に見えてくる。
それにしても周りの人は俺には結構親切でいろんな物を俺にくれたり、夕食の時なども俺に多くを取ってくれたりする。
どちらにしても俺が話をしたくない人は相手も話したくないようである。
ここポカラでは毎日幾らぐらい使ったか分からないほどだ。スルジェでは泊まりと夕食で24ネパールルピー。
その他はケーキ代、ロキシー代で20ネパールルピーぐらいかな。だから、全体で一日50ネパールルピーぐらいであっただろう。
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