徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-133

2010-12-31 08:20:56 | 世界徒歩旅行記

=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-133

6)バングラデシュを歩く

日記から-13

2月25日 (土曜日) 快晴

 朝、昨日の学生の1人が食堂で朝食を奢ってくれる。そして、彼はこの村の人々に俺を紹介していた。
また、彼は俺が今日到着するダッカのホテルを紹介してくれた。それは彼がそのホテルのマネージャーを知っているというからである。
彼は昨日の内からホテルのマネージャーに対して手紙まで書いてくれた。

 今日、約半月前タイから到着したダッカに再び着く。
そして、昨日の学生が紹介してくれたホテルに着いた。
そこで昨日、書いてくれた手紙を見せる。そうしたら、すぐに泊まることが出来た。
普通、ホテルに泊まる時は「お前はどこの国から来た。」という質問から始まり、長々と聞くのである。
今日はそれがない。やはり手紙を書いてきたから面倒がない。
このホテルの価格は30タカで部屋にトイレとシャワーが付いていて、俺は満足している。

 夜になり、部屋に帰ってくるとマネージャーが変わり、昼のマネージャーではなくなった。
そのマネージャーはパスポートを見せろと言い、あげくの果てはパスポートを預かるとも言うのである。
俺は「今まで、この様にパストートを預かるというホテルは初めてだ。」と言い張る。
やっとのことで、パスポートが返ってくる。
この日本のパスポートはどこの国でも行けるので、パスポートを高く売買している組織があるというのを聞いている。
だから絶対にパスポートは預けたくないのである。

出費 70タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-132

2010-12-30 07:36:24 | 世界徒歩旅行記

=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-132

6)バングラデシュを歩く

日記から-12

2月24日 (金曜日) 快晴

 朝食をもらい出発するのだが、それを待っている間、半ズボンとTシャツでは非常に寒い。
この様なことは久しぶりである。歩くのに一番良い天候である。だから、あまり汗を掻かない一日であった。

 夕方、下にテントを張るのに良い小さな橋を見つけたが、周りに人が多くいたので、日が沈み人々がいなくなるのを待つ。
その待っている間は土手に座り、農業をしている様子を見ながら、また美しい夕日を見ながら、約1時間ぐらい待っていただろう。
そろそろテントを張ろうかと思っていたところ、2~3人が来て、「何をしている。」などと話かけてきた。
その中の一人が英語が出来、親切にしてくれて高校に案内してくれ泊まれる様に計らってくれた。
結局、今日もテントを張らずベッドを与えられた。 ここの人達も親切である。
ただ、太陽が沈むのを見ているだけで泊まる所にありつけるとは俺は何と運のいい男だ。

 この高校には4人の学生が下宿している寮のような所がある。その中の1つのベッドが開いていたのである。
その他、夕食もくれる。夕方、歩いていた時は食堂がなく、今日は夕食を食べずにテントを張ろうと思っていたので大変助かる。
学生の4人は日本についてや日本語についていろいろ質問をした。それでも俺は疲れていたので、早めに眠らせてもらう。

 
   4人の学生と英語が出来るバングラデシュ人。

 そういえば、今日の昼、あのアメリカからのボランテアで来ていた人々の中の卓球などを一緒にした高校生の人達と道路上で再会した。
彼らはオレンジと透き通った水をくれた。ありがとう。

 水のことで思い出した。
ここバングラデシュではあのオーストラリアのように雨水は使わない。井戸水だけである。
田舎ではほとんどその水が透明でなく濁っている。
味が良い時はたくさん飲むが、鉄の味がしたり、他の味がしたときはあまり飲まない。
水をあまり飲まない分「チャ」を2杯なり飲む。そのチャが2杯で1~1.5タカぐらいである。

 道の両脇に牛のクソを手で固めて、乾かしている。その乾かした物はたぶん彼らが使う燃料であろう。
しかし、小さな子供達が牛のクソを集めるのに頭の上に竹のカゴを載せている姿は他の国では見たことがない。
牛のクソが臭くないのかな。彼らは牛のクソは汚いものだとは思っていないのだろうな。
また、彼らは道端で小便をしたり、クソをしたりする。この時、彼らの周りに人がいようがいまいが関係ない。
クソや小便は人間も動物も出てしまうものである。それほど汚いものではないのであろう。

  出費 12.5タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-131

2010-12-29 07:22:28 | 世界徒歩旅行記

=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-131

6)バングラデシュを歩く

日記から-11

2月23日 (木曜日) 快晴

 今朝、出発しようと思っていたら、村の人がもう一日休んで行けと言うので、言葉に甘えることにする。

 今日は少し寒いくらいの一日である。それは今日歩いていないこともあるが、少し天候が変わったのであろう。
涼しい風が吹くこの村を一日中歩き回り、そして、食事をもらい、またブラブラした。
英語を話す人が少ない。彼らと話をするとまだ疲れないが、丸きり英語を話せない人と話をすると大変苦労する。
特に子供が集ってきた時は厄介だ。口々にベンガル語を話し、笑っている。少し英語が出来たらそれを繰り返す。
それに対して答える気がしない。

 それにしてもこの村のAlanddiという人には感謝する。3度の食事をくれ親切にしてくれている。
夜には彼の家族と会う機会がある。夕食の後、彼の奥さんとかお母さんとか姉妹が集り、いろいろ話をする。
もちろん、彼(Alanddi)が通訳するのである。また、今までこの国では女性を直接見ることがなかったのにこの家は違う。
この国で女の人の顔を見ながら話をすることが出来るとは思わなかった。初めての経験である。
と言うことは、この家族はこのバングラデシュでは考え方が進んでいる方であろう。

  出費 0タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-130

2010-12-28 06:44:17 | 世界徒歩旅行記

=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-130

6)バングラデシュを歩く

日記から-10

2月22日 (水曜日) 快晴

 朝、昨日の食堂に行く。顔見知りになったようで、大変居心地が良い。
昨夜泊まったビルを出る時、トイレはないかと聞いたのだが伝わらず、我慢をして出発。
仕方がなく、しばらく歩いて橋の下で用を足す。

 昼ごろまでにComillaに着くことが出来た。
ここでは靴を探す。今履いている靴はタイのチェンマイで買った靴で換えないともう後がない。
このチェンマイで買った靴は一日で穴が開いてしまったし、後ろの所がアキレス腱に当たり最悪の出発であった。
それを何とか持たして今日までに至った。
だから、今回靴を買う時は気を使って靴を選んだ。それだからか、現在まで半日使ったのだが、結構良い状態である。
それでも外見や作りはやはり安い感じがする。その価格は165タカ(1650円)である。

 Comillaを過ぎてから、この国では最高級のレストランという感じのオーナーがお茶を奢ってくれた。

 夕方、小さな町に着き、警察にボーディングハウスのことを聞いたら、ないというので、暗くなるまで歩いた。
その頃、学校を見つけたので、運動場にテントを張らしてくれないかと聞いたら、学校の前の家が泊まれるだろうと言う。
それが駄目でも回教のモスク(お寺)の後ろにならば、テントが脹れるとも言う。

  結局、クラブハウスに泊まらせてくれた。
この町では皆が親切にしてくれて、町の町長までが出て来た。何だか俺は突然VIPになったようである。
ほんの1時間前までは暗い中ミジメに歩いていた時は「家なし子」の様で、人々は笑っていたのにである。
とにかく、VIPなので待遇は良くなりはしたが、人々はうるさいほど俺の周りに集る。
特に子供はうるさいし、程度をわきまえていないので、始末に悪い。

 今日はとにかく、1泊出来たことがありがたく、また結構安心できる人と知り合ったので、良い一日であった。

  出費292.00タカ

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-129

2010-12-27 07:18:54 | 世界徒歩旅行記

=========================================================================================
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
=========================================================================================

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-129

6)バングラデシュを歩く

日記から-9

2月21日 (火曜日) 快晴

 朝は昨夜遅くまで歩いていたので、ゆっくり出発したかったが、このFeniの町を早く出発したい気持ちになり、朝食も食べず出発。
それで朝食を取ろうと食堂を探していたら、家が2~3軒だけの小さな村に食堂がありそこで食べる。
そこでは人々が俺にあまり冷たく当たらない。その代わり俺が彼らに気を使い和やかに話をする。

 10時ぐらいにお茶を飲み、その後すぐにイランで日本の企業で働いていたことがあるという男がまたお茶を奢ってくれる。
その人とはフレンドリーに別れる。この様に昼は昨日と同じように良い状態である。
昼食に入った所では1人の老人が大変親切であったが、その食堂に後で入って来た男が分けの分からない英語で俺にからんできた。
その男がうるさいので無視してその店を出てきた。この時も老人が助けてくれたので、店を出れたのである。
また、昨日の様に午後は運がついてないのかと思った。

 
  食堂の中、釜はバングラデシュのパン、ルティーを焼く穴が開いている。

 夕方食べに入った食堂で泊まれる所があるか聞いたら病院の前に泊まれる所があるというのである。
彼の話ではビルの1階を泊まれる様に貸してくれるというのである。今日は昨日のようではないかもしれない。

 このビルを貸してくれた老人にありがとうと言いたい。
彼は何の躊躇もなくすぐにそこの鍵まで出してくれた。寝る所が確保できたので、また先ほどの食堂に行く。
食堂に集った多くの人と分からない言葉で話していたが、結構楽しかった。

 その後が大変であった。このビルの1階はこの村の人々の為に解放しているテレビを見る場所である。
人々はしばらくすると多く集って来た。俺は疲れていたので、寝るように努力していた。
人々は俺に集まってくるかと思ったが、寝ていると思ったからか人々は集らず助かった。
それでも眠りながら荷物が気になり、完全に寝ることが出来ずうつらうつらしていた。
そんな状態で夜中の12時ぐらいだと思うが、誰も村の人がいなくなったようだ。

  出費 24.20タカ