徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-アメリカ編-18

2013-01-24 09:20:48 | 世界徒歩旅行記

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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4、アメリカを歩く-9

*家に泊めてくれた-4

 また、ある家では夫婦が同じ職場で働いていて、給料が同じであった。
だから、家の中の家事を平等にしようというのだ。
旦那は、家事のうち料理、食事の後 片付け(食器洗い)が担当、婦人は掃除、洗濯が担当だった。
そのようにはっきりと分業になっていた。それである日、こんな事があった。
旦那が仕事でいない時で、婦人と昼食をしなければならなくなった時のことであった。
彼女はぜんぜん作ろうとしなかっただけではなく、その家で昼食をするというのだが、私にはどんなファーストフードを食べたいかとだけ聞くだけであった。
結局、ハンバーガーを外で買ってきて食べただけであった。
その時も台所には山のようにたまっている食器があったのだが、彼女は洗おうともしなかった。
まさに完全な分業であった。一切相手の仕事には手を出さないのであった。
家庭の中では果たしてそれでいいのだろうか?と思った。

 白人と黒人の夫婦の家に泊まった時である。だからか、その白人の旦那でも黒人の友人がいる。
その彼らと共にマスを釣りに行ったり、遊んだりした。釣りは私だけ釣れなかったのだが、彼らは少しだけ釣った。
他にタバコの葉の栽培をしているところに彼らと一緒に行ったりもした。
タバコという物がこの様な葉から出来ているのだと私は始めてみる物で感心し、彼らはこれを栽培すれば他のものを育てるより金になるのだと言っていた。
その時までは私の黒人に対してのイメージが都市にいる黒人で少し怖いイメージがあったが、ここでそのイメージが変わった。

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14、ヨットに乗る-650

2012-08-24 08:02:54 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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「歩き終わり、次はヨットへの挑戦の日記」

14、ヨットに乗る-650

その7

 今はアテネで街の中だから特に感じるのだろうか、歩いていた時の自然の中はなぜか落ち着いたのであった。
そこには規則のようなものがあり、それは裏切らないし、それを守れば死ぬようなことがない。

 もちろん厳しい自然もあった。
オーストラリアの砂漠で夕食を食べようとテントの中で食事を広げていた時であった。
黒い雲が見る見る近づいて来たのであった。「黒い雲が来たな」と思ったとたんにテントのポールは折れ、滅茶苦茶になってしまった。
広げた食事を守るために体は動けずに、そのまましばらくジーとしていたら寝入ってしまった。
そうしたら突然、胃痙攣であった。
それは腹に接触しているテントのシートが風で冷たくなったのと、昼食を食べずの空腹で胃に負担がかかったからであろう。
そのテントの中は滅茶苦茶だ。だから、砂が食べ物の中に入っていた。それでも、とにかく食べた。
また、そのオーストラリアの砂漠では暑さが46度~50度になり、カカドゥーという鳥も木から落ちてしまうと言われていた。
その暑さは実際に車のボンネットでは目玉焼きが出来るのだ。

 パキスタンの砂漠ではすさまじい嵐に遭い、前に倒れるようにして歩かないと歩けなかった。
もちろん目を開けていられず、参った。
たまに風が弱くなると、前に倒れる様に力をかけていた力が余って駆け出してしまうのであった。

 暑さの反対に寒さではアメリカの中央と東側のトルコは寒かった。
冬のアメリカでは中央の平原はあまりにも寒くマイナス15度~20度のときが会った。
また、パキスタンから入ったトルコの東側では海抜が1500m~2000mで冬は寒く、マイナス20度~35度であった。
それだけではなく、高度が高いので木が育たないのか砂漠化していて影がないのであった。
即ち、真っ白な世界の中を歩き目が痛かった。
さらに風が吹くと風が当たっている側はズボンがカチカチに凍るのであった。

 雨の中はポンチョを持っていてもあまり使わなかった。
それは汗をかくようだと内側が濡れ、後で臭いが出るからである。雨水よりかしまつが悪い。
それで荷物だけを濡れないように防水していた。
それでも一日雨に当たっていると体は冷えるし、精神的にも惨めに感じて嫌であった。
それと、雨に濡れた服は次の日にまた着なくてはいけないが、テントの中では乾くことがないので、濡れた服を次の朝着るのが辛かった。

 その様に厳しい自然でもやはりすばらしい自然美を見せてくれた。
それはニュージーランドで毎日雨が降っていて空に向かって「今日も雨かよ!」「早く雨が止めよ!」という独り言を言っていた時であった。
1週間、毎日雨が降り、その雨が終わった次の日に遠くに見えるオセアニア最高峰マウントクックが見えた時にその不平不満が消えたのであった。
それはあまりにその山の美しさに一週間の重い気持ちがすっ飛んでしまったのであった。

 また、夏のスペインも暑い。
毎日、10時間~12時間歩いていると夕方寝る所を探すのが一つの大きな仕事であった。
スペインはあまり毒蛇も毒の虫もいないと思っていたので、シートだけを引いて寝ていた日が多かった。
それでも、寝る時にシートに穴が開くといけないので、小さなサボテンを避けて場所を探している時であった。
この時も独り言で「ここも良い所ではない。」「ここも駄目か!」と言いながら探していた。
それで長い時間探した後、いい場所を探し当てた。そして、シートを敷いて腰をかけた目の前にすばらしい夕日が沈んで行くのであった。
独り言の相手がこの景色を見せようと「ここまで来い。」と言っていた様に思うのであった。
その夕日が綺麗で、またそのここまで来いと言った気持ちが「お前は分かったのか!」と思ったら、涙が止まらず30分は涙が出ていたのであった。

 この様なことから自然の中では落ち着くのであろう。

 これで日本に帰ったのであった。


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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-618

2012-07-16 07:31:53 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-618

23)スペインを歩く

日記から-26

9月 10日(火曜日) 快晴 晴れ

 やっとまた歩き出すことが出来る。
今日!ついにマドリードを出発である。歩けるということが嬉しく思うのである。
ところが、これから行く最後の目的地であるポルトガルのリスボン近くのヨーロッパ大陸の最西端まで後2週間ぐらいしかない。
何だかそのことが寂しく思うのである。
マドリードで待っていた期間が3週間であったから、その期間以下でこのシンガポールからの長い旅が終わってしまうのである。
この待っていた3週間は僕の旅に一度「水を差した」感じになったが、最後の旅を楽しくしかも有意義に過ごしたいものである。
この何年間は毎日、一日の終わりには寝る場所を確保するのに苦労をし、この頃はそれに神経を使うのが疲れた感じもあった。
それにしても、今まで毎日、寝る所を探すのに苦労はしたが、どんなカタチであれ必ず寝れたということ自体が不思議である。
ところが、もうその歩きが終わるのかと思ったら、この期間は出来るだけテントを張るか、シートだけで寝るかして、自然の中に触れていたいと思うのである。

 3週間の歩かないブランクがあったのだが、まだまだ歩きは大丈夫だ。
この間、体が少し太ったようだ。もっともこれは当たり前でもある。
何故なら、毎日何もせず、酒と海産物とサラダをふんだんに食べていたからである。
そう言えば、昨日の昼も魚を買って来て自分でフライにして食べたし、夜は夜で中華料理屋で魚の酢豚のような物を食べた。
これでは太らない方がおかしい。
太ったと言っても歩いている時には普段の体重から10kgは下がっているので、この3週間で5kgぐらいは元に戻ったぐらいであろう。

 3週間ぶりにテントを張る。

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-617

2012-07-15 08:27:34 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-617

23)スペインを歩く

日記から-25

9月 3日(火曜日) 
9月 4日(水曜日) 
9月 5日(木曜日)

 戸籍抄本は受け取り、手続きをして、パスポートは3日に手に入った。
ところが、お金がまだ送金されていない。
母親にお願いして、僕が日本に置いて来た僕のお金を送ってもらうのだが、その手続きが上手くいかないようだ。
母親は海外に送金などしたことがないのと、送り先が郵便局であり少し不安があるからであろう。
送金の方法を熟知していないからだとは思うが、こんな時、まだまだ海外は遠い存在であると思うのである。

9月 6日(金曜日)
9月 7日(土曜日)
9月 8日(日曜日)
9月 9日(月曜日)

 僕がいるこの時期にこのペンションに初めて日本人が来た。
彼は学生でワンダーフォーゲル部だそうで、酒はよく飲むのだそうだ。
それで、一緒に飲みに出る。
長い間飲んだ最後、彼は飲まなくなり、彼の酔っている様子がよく分かった。

 この日本人といる間は中華料理、スペイン料理など外食が増えた。
僕一人では自炊をしながら、節約をしていたがそうはいかないので、金をよく使った。

 この日曜日は見たいと思っていた闘牛をついに見に行った。
日本で言ったら、野球場の様な形をしたすり鉢型の競技場である。
今日は日曜日ということもあるし、競技場が大きいので、人が非常に多い。
この前、見ようとして見れなかった地方の闘牛場とは桁が違う。
このスペインの闘牛は以前メキシコで見た闘牛と似ている。
それは、牛を人の前で殺すのが目的だから競技中にも牛があまりにも元気だといけないのだ。
それで、牛を弱らせるために鎧をつけた馬に跨った人が長い槍で牛の急所を攻めて弱らせるのである。
その後、闘牛士が最後に長い剣を牛の急所に一度に剣の長さすべてを差込み、牛がガックとなり死んで終わりである。
わりと呆気なく殺す。また、その様子は完全になぶり殺しである。可愛そうな感じもした。
闘牛をする時間は6時から始まり8時までで終わる。その間、6回行い、6頭が死んで行った。
この闘牛を育てる時には小さい頃からイジメで反抗心を養うのだそうだ。イジメてもそれに反抗する牛をまた集めて徹底的に反抗する牛だけを集めるのだ。
だから、その牛は非常に闘争心がある牛に育つそうである。
人間も、イジメ続けたら、大人しくならないことがよく分かる。
この闘牛の場合は体力があるのでイジメにより反抗心が闘争心に変わるのだが、人間は弱い子供がイジメられるから始めは耐えているだけである。
それが何時爆発するか分からないのだ。

 9日に日本からの送金も受け取ることが出来た。

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-616

2012-07-14 09:35:51 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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  フレッド一家と当時の僕。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(スペイン)-616

23)スペインを歩く

日記から-24

9月  2日(月曜日) 快晴

 夜、9時にフレッドの家に行く。
ところが、この時間でも彼はまだ帰って来ていないので、僕は少し待つ。彼は10時ぐらいに帰ってくる。
その後から彼と一緒に30km離れたAlcalaの町に行くと言うのである。この町は歩いて通り過ぎた町であるからまた戻って行くカタチである。
その町まではフレッドのオートバイに2人乗りで出かける。彼はスピード狂であるようだ。
夜の道路を100~120kmで走るからである。
夜中にそのスピードで走ると始め僕は通常歩いているから感覚が慣れていないので、怖く感じる。
人間がこの様なスピードでいられるのが異常であると思ったりするのである。
このスピードに慣れるということは人間の感覚が鈍くなったということではないだろうか?などと思うのである。
また、このスピードでは少し間違えたらすぐに死んでしまうのだろうな!などとも思ってしまう。
そんなことを思っている内に、このスピードに慣れて、怖くなくなって来るから不思議である。
ああ!また僕も感覚が鈍くなって来たのだな!

 そのAlcalaの町に着き、彼の友人の家を探したり、待ったりして時間を費やした。
やっと友人と会えたのが、夜の11時過ぎである。
そして、飲み屋に入り、少し酒を飲みに行く。これが一回目である。その後、その友人のアパートに行く。
そしてまた、外に飲みに出かける。これが二回目である。
この様に無茶苦茶なことをすると、何だか20歳位の時のことを思い出す。
その後もちろん、ペンションまでオートバイで帰ったのである。
その時は気分が良いのでオートバイのスピードのことなどは頭になかった。こんな事で良いのかな?
あまりにも遊び過ぎ結局、ペンションに着いたのが早朝の4時である。

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