徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1020

2016-01-31 08:12:08 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-639

その3

 11月9日(土曜日)

 セビリア!
 僕が何故セビリアにいるのか? ここには8日の夜の列車で移動したのであった。
このスペインにいて有名なセビリヤを見ないで過ぎて行ってしまいたくなかったからである。
セビリヤは「セビリヤの理髪師」などで有名である。その町は一体どんな町なのか見たかったのであった。
この町は古く、スペインの伝統のある町である。

 夜にふと考えたことがある。
人間とは何にでもマヒしてしまうものであると思うのである。
それは時に人間の社会がそうなっているのではないだろうか。もし、自然に触れているとマヒはしないであろう。
 例えば、臭いについてである。
常に人間は家の部屋なり、ビルデングの事務所なり空気が動かない所にいる。
同じ所で空気が動かないので、始めは臭った臭いも長い間、同じ臭いを嗅いでいるとその臭いが分からなくなる。
これは音でも同じことが言える。同じ音を聞いていると初めはうるさいと思った音もうるさく感じなくなる。
これは心も同じことが言えるのではないだろうか?感動も始めはしていても同じ事が続くとはじめの感動がなくなる。
これが怖いことである。
また、暑い赤道の国ではあまり発展している国がない。これは一年中温度の差があまりないし、食べるものは果物など一年中ある。
これでは人間が生活するのに困らない。新しく何かを生み出さなくても生活が出来るのである。
これも生活にマヒした結果、刺激がないからかもしれない。
結して、暑い国が悪いといっているのではない。
常に生活には刺激が必要であり、その刺激がなければ、作りながらでも生活しなければならないと思うのである。

それにしても自然の中にいると常に刺激的だと思うのである。

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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1019

2016-01-28 07:38:30 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー


その2

 マドリードに戻る。
9月の27日に旅が終わったが、その後、ポルトガルを回り、フランスのボルドーに行ったが、すぐにマドリードに帰ってくる。
9月10日以来、一ヶ月ぶりでマドリードである。
その時は新しいパスポートを作る為、戸籍抄本を日本から届くのに待ったのが、3週間であった。
長い時間、待っていても比較的、厭きないのがこのマドリードである。

 このマドリードのは11月の7日(木曜日)までいた。
マドリードでは日本人がよく集まるペンションに泊まる。
前の3週間と今回の約一ヶ間、ここにいても一度としてプラドー美術館など有名なツーリストスポットには行ったことがなかった。
このマドリードにいた間は毎日、朝から地ワインの量り売りを買い飲んでいた。多い時はその量が一日に3 ℓぐらいであった。
それを飲みながら、日本人が持って来た本を交換しながら読んでいた。
毎日が本当に怠惰で時間をただ過ごしていたという感じであった。

 それというのも、人々の中にいると非常に疲れるのである。
それは自分が思っていたこととあまりにも違うことからであったようだ。
例えば、日本については僕が「日本は‘道‘のあるすばらしい国だ。」と思っていた。
ところが、僕が日本人の若者に会って話したり行動を見たりしたら、ガッカリするのであった。
それは日本の本当の精神とはあまりにも違い、人に対しての心を見ることが出来ないからであった。
それでもその様に思っても、僕は言葉で彼らには説明できないのである。
また、行動で見せることも出来ないのであった。
それは僕自体がその‘道‘を持った実体になっていないからであろうと思ったのである。
即ち、まだ僕は経験不足だと思わざるをえないのであった。
だから、また旅に出る必要があるのではないだろうかとまた思うのである。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1018

2016-01-25 10:56:14 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

今日からしばらくはヨットのことを書いてみます。

13、ヨットに乗るまで-637

その1

 歩きの旅が一まず終わったが、次の目標はヨットである。
前にも書いた様に陸地を徒歩で歩いたのだから、地球の海の部分はヨットで横断すれば、地球一周するのに無動力で完全に一周することになる。
だが、ここで問題は僕がヨットを乗ったことがないのである。操縦の仕方が分からない。
だから、とりあえず、ヨットを持っている人に乗せてもらい、操縦を覚えなければならない。
その為にはヨットのハーバーに行かなくてはいけないが、人の話ではこの9月の終わりの時期ではまだ早いと言うのである。
即ち、大西洋をヨットで横断するのに最も良い貿易風が吹くのが11月、12月なのだそうだ。
それで、1~2ヶ月間、時間があるのである。とりあえず、ポルトガルの町をバスや歩きで旅行をする。
ポルトガルの第二の都市ポートではポートワインが有名なのでそこではワイナリーを見学しに行く。
あのポートワインの独特の甘さが何ともいいものである。

 その後はフランスのボルドーに行くことにする。
ここではユーゴスラビアで会ったホテル経営の人がいたのである。
彼とシンガポール人のワイフには4ヶ月前に140ドルを貸してあげたのである。
彼がくれた住所は嘘かもしれないが、とにかく、金を返して貰うのと、ボルドーでぶどう狩りのアルバイトをするために列車でフランスのそこまで行く。

 ヨーロッパでの列車のコンパートメントは今までの歩きの旅とは違い贅沢な旅行である。
ボルドーに着き、貰った住所に電話をかけてみてもその様な番号もないし、住所を聞いて行ってみようとしたが、その様な住所はない。
やはり、ユーゴスラビアで会ったフランス人という男は詐欺師であり、多分フランス人ではなかったのではないかと思う。

 その後はその金のことは諦め、アルバイトを探すためにブドウ畑を歩き回る。
このフランスでは英語で話しかけても土地の人は一向に答えようともしない。
話が全然伝わらず、相手の話も分からず、苦労をする。
その上、隣のぶどう畑までが広いので、一日にぶどう畑を聞き回っても数件しか聞くことができない。
それでも数件、聞いて回ったが、この辺の人達の人当たりが悪いので、ぶどう畑で働くことは止めた。
それで、このヨーロッパであまり金を使わずにヨットを乗る時期に合わせて長期滞在するのにいい所はないか考えた。
その結果、そこはマドリードではないかと思い、働かずにそこにしばらくいることにする。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1017

2016-01-22 08:11:54 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

歩きの最終編

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-636

24)ポルトガルを歩く

日記から-9

9月 28日(土曜日) 晴れ  

 旅は終わったが、まだ、このロカ岬にいる。
朝、コーヒーを沸かし朝食をテントの中で取る。良いものだ。
もう一度、ロカ岬に行く。今朝は霧が出ていて海が見えない。まるで雲海の上にいるようだ。
やはり、地の果てであり、最西端の土地にふさわしい光景である。

 旅で学んだこと。

1、すべての物に心をもって接しなさい。
動物、植物、無機物までもこの世の物すべてに対して、、、

2、自然と同化しなさい。 
  余分なエネルギーがいらない。無関心になれというのとは違う。

3、自分の心を動じないようにしなさい。
  無心になれということであるが、いろいろなものを見た時に生じる感動をなくせと言
うことではない。

4、愛とは親の愛しか本当の愛ではない。
  恋愛などは一時の愛であり、本当の愛ではない。

 また、こんな事も旅では考えた。
何故、人々はいろんな状態で生まれてくるのだろうか?
例えば、貧乏人であるとか、身体障害者、金持ちなどである。
それらは人々に超えなければならない試練を与えられたのではないだろうか。
その中で放棄してしまえば、その人は何の発展もないのであろう。
生きている時にその試練を乗り越えなければならないのではないだろうか。
金がある金持だからといって試練がないわけではないのである。だから、人は生まれたときには一線に並んで生まれてきているのだろう。

 自然とは神様なのかもしれない。
その自然に触れるために次は海に出たい。周りに人間の社会がない所でである。

次はヨットである。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-1016

2016-01-21 09:05:50 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

port-6.jpg
崖になっているヨーロッパ最西端のロカ岬

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ポルトガル)-635

24)ポルトガルを歩く

日記から-8

9月 27日(金曜日) 晴れ  
の続き。


 もう一度、崖の上に上がり、石碑に書いていることを見る。
そこにはこの様なことが書いてある。

CABO DA ROCA 

AQUI,,,,
ONDE A TERRA SE ACABA 
E O MAR COMECA,,,,,,,,
(CAMOES)
PONTA MAIS OCIDENTAL DO 
CONTINENTE EUROPEU 

LATITUDE 38°47’NORTE
LONGITUDE 9°30’OEST 
ALTITUDE 140M ACIMA DO NIVEL
MEDIO DAS AGUAS
何の意味かはよく分からないが、「ヨーロッパ大陸の最西端、ロカ岬」そして北緯、西経、海抜などが書いてあるのではないだろうか。

 その後は崖の上にあるレストランでイカの焼いた物、オリーブ、チーズなどとワインを食する。
これらの価格が1170エクスードである。結構、高かった。

 そして、テントをここで張ることにする。
人はいないが、人からは見えないような所でテントを張る。これで自分の世界が生まれるのだ。
このテントの生活もしばらくはなくなるのだと思うと寂しくなる。

 テントの中で一人になるとこの旅でのいろんなことが思い出されてくる。
そのいろいろな事は僕を育ててくれたのだろうか?
日本を離れてもう3年になろうとしている。一口に3年と言っても中学生が高校生になる。
これには大きな成長があり体格的にも違ってくる。
また、生まれた子供は乳を飲んでいたのが普通の物を食べ、歩けるようになり、十分話をするようになる。
これぐらい違うのが3年の歳月なのである。
僕はこの3年で一体どれだけ成長したのだろうか?ただ、歳を取っただけではないだろうか、、、、、、、
しかし、そうは思いたくない。また、まだ成長し切れていないということを知ったということ事態がまだ成長する可能性があるのではないだろうか。
と言う事で、未来に希望を持とうじゃないか。

また少し続く

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