徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-298

2011-06-30 07:49:53 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-298

10)バングラデシュ、インド、ネパールを歩き終わって見て


始めのインド

 非常に人間的な国であると思う。いろいろな種類の人間がいて、彼らを見て俺はずいぶん悩んだ。
その欲望だけで生きている人に腹が立ち怒った。しかし、怒ったとて何もならなかった。
それより自分でその気持ちに耐える方が、自分にどれだけプラスになるか分からないと思うのである。
それでもついケンカをしてしまったことがあった。まだまだ人間が出来ていない証拠である。
そんなことで俺は一生歩いて旅をしても立派な人間になれないように思われる。
とにかく、このインドは俺のいい人生勉強になったと思う。


ネパール

 この国は山が美しく、大変いい感じで歩けた。
また、良い経験をした。それは現地人と同じ様にゴムソウリで歩いたり、裸足で歩いたりしたことである。
これらは俺が歩く靴を手に入れられなくて、仕方なくしたことであったが、それは貴重な経験であった。
本当に人間は体を鍛えれば足の裏が、登山靴の底のゴムより固くなれるのである。
それには俺が関心をし、彼ら現地人にはとてもかなわないと脱帽した。

 また、山を見ながらいい休養が出来た。
ポカラではメインの荷物を置き、簡単な荷物だけでアンナプルナB.C.までのトレッキングコースを4日間で歩いて来た。
そこはとても綺麗で忘れられないものであった。

 ネパール人は顔が日本人に似ていて親近感を持てる。
だから、俺はインドからこの国に入って来て安心した。そしてネパールの人々も俺を見てあまり違和感を感じないようだ。

 ところが、よく見てみると本当のネパール人の考え方は日本人よりか西洋人に近いように思われる。
例えば、自分の専門の仕事以外はネパール人はただ見ているだけで、その仕事が簡単であっても手伝おうとはしない。
それで、俺が一回手伝ってあげたことで、いつの間にか俺がその専門だと思われたのか、継続してやらされてしまった。
だから、俺が他のことをしていても、呼びに来て「してくれないか」と言うのであった。

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-297

2011-06-28 08:21:50 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-297

10)バングラデシュ、インド、ネパールを歩き終わって見て

バングラデシュ

 バングラデシュはモスレム教徒の人が多く、ほとんどの人は酒はやらない、女も買わない、そして嘘はつかないということで一見、人々は真面目そうである。
しかし、彼らアーリア系人は裏と表がはっきりしているように思う。(この表現は的確ではないかもしれない。)
それは彼らが人間の欲望に大変正直に生きている人達ではないかと思うからである。
この3つの国の中でもバングラデシュが一番その様な面で単純と言うか良い言葉では素朴だと言えるのではないかと思う。
このバングラデシュでは珍しいことがあると自分の見栄や外見などなく、他人などを押しのけ見に行くのである。
その点はインドでも同じであるが、インドでは珍しいものがあったら、自尊心が少しあるので一度は過ぎさる。
それでも見たいと言う欲望があるので、また帰って来て、人だかりの中に入り見るのである。
そういう面でインドとバングラデシュの違いは同じ欲に主管されるが、インド人はこの辺での経済大国だという自尊心がある。
その様な見栄がないから、バングラデシュの方が素朴であったように思う。それでバングラデシュの方がよかったような気がする。
バングラデシュにいた時は早くインドに行きたかったが、今ではバングラデシュが懐かしい。

 

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-296

2011-06-26 07:52:02 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-296

9)再びインドを歩く

日記から-78

9月23日(日曜日)~26日(水曜日) 晴れ

 この期間はニューデリーに戻り、再度外務省に行き国境を通り抜ける許可が出るか聞いたり、パキスタンにに行く飛行機を予約したりした。

 ニューデリーは暑い。ここに着いた時にウワサで国境が開いたと言う話が流れた。
そんなはずはない。俺が昨日その国境にいたからである。
それでも、すぐに外務省に行き確認をしたが、やはりウワサだけであった。

 国境越えが無理だと分かると、ここ、ニューデリーに長居をしたくないので、すぐにパキスタンに飛ぶ予約をした。
一番早くパキスタンに入ることが出来るのはラホールではなく、カラチである。
ラホールは多くの旅行者が予約をしていて、そこには1ヶ月以上待たなくてはいけないと言うのである。
何てこった! 昨日見た国境の向こうの地200~300mだけ行くのに1ヶ月以上待たなければならないなんて!
パンジャブ州の騒動が始まったのがほんの2~3ヶ月前だと言う。3ヶ月前であれば難なく通れたのに残念だ。
しかも、パキスタンの方では国境を閉めていないようなのである。インド側が問題でインドでは何かと最後まで苦しめられた。

 とにかく、インドで俺は今まで体を治すために長い時間を使ったので、そんなに長く待ちたくない。だから、早く行けるカラチに行くことにした。
そのパキスタンのカラチとラホールの距離は1200kmぐらいあるのである。
だから、カラチに着いてからも、ラホールまで乗り物を使って移動し、ラホールから国境までもバスを使い移動しなければならない。

 飛行機代は(ニューデリー~カラチ)1,148ルピー
ニューデリーでのこの4日間の生活費は分からない。

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-295

2011-06-25 08:59:36 | 世界徒歩旅行記

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9)再びインドを歩く

日記から-77

9月22日(土曜日) 快晴

 良い天気である。  この様な天気ではテントを張っても安心である。
しかし、朝は農民の人々が早く起きて作業をするかもしれないので、早めに出発をする。

 そんな訳でインドとパキスタンの国境には早めに着く。それが8時前である。
その時間はあまりにも早すぎて、国境が開くのは9時30分からだと言うので待つ。
この時間が長く感じた。それはこの国境を通れるかどうか分からないから長く感じたのであろう。
この間、朝の軽食を取ったりチャーイを飲んだりして、時間をつぶす。

 その9:30 早速、出入国事務所に出かけて行き、出国審査をする。
ところが、審査を担当している人が無情にも「駄目!」だと言うのである。
「この国境を通りたかったら、ニューデリーまで戻り、許可をもらって来い。」と言う。
そのニューデリーでは今まで何回となく外務省まで行き聞いてみたが、許可書を出してくれなかった。
また、そこに行っても同じである。それを十分知っているので、この審査員にお金を見せて見た。
俺がした「袖の下」の出すタイミングが悪いのか、(周りの人がその様子を見ていたかもしれない。)彼は許可をくれなかった。
このお金は20ドルを始めに出したが、足りないかも知れないので後で100ドルも出した。
それでも駄目であった。

 この国境からパキスタンのラホールまでは20~25kmである。
また、パキスタン側の国境、入国審査書までは見える所にあり、その距離が200~300mである。すぐそこに見えるのである。

 本当に馬鹿みたいな話しである。
目の前に見えているそこに行くのに、飛行機を使いバスを使い回ってそこまで行かなくてはいけなくなった。
結局、余分なお金と無駄な時間を費やさなくてはいけない。
この状況はただ、パンジャブ州が不安だというので、インド政府が隣の国の国境を塞いだのだ。
俺たち旅行者には何も関係がないことなのである。

とにかく、今日はニューデリーに戻る。

出費 2.00ルピー 朝食 (歩いて国境までの経費)
この後、  食費     3.00ルピー
      リキシャ   2.00
      バス     2.50
      酒      32.00
ニューデリーへの交通費  39.00

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-294

2011-06-23 08:11:05 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-294

9)再びインドを歩く

日記から-76

9月21日(金曜日) 曇りのち晴れ

 今日はこのパンジャブ州の州都であるアマリッサル(Amaritar)に泊まらず、通り過ぎようと思う。
それはこの都市が今大変混乱しているかもしれないし、大きな都市を歩くのが俺は好きではないからである。
だから、今日は長く歩くことを覚悟し、朝は早起きをして、出発である。

 アマリッサルまで行く途中、警察の検問所があった。しかし、止められることもなく過ぎ去った。
次にアマリッサルを過ぎた所には軍隊の検問所があった。そこも何の問題もなく通り過ぎた。
このぶんではパキスタンの国境までは問題なく行けそうだ。
問題はそのパキスタンとの国境を通り、越えられるかである。

 アマリッサルでは有名なゴールデンテンプルを見ることもなく通り過ぎたのである。
ここでこの町を通り過ぎる時にあのチャンデガールのときの様にまた道を迷ってしまう。
もっと早く人々にしかも何回か聞けばよかった。

 アマリッサルを過ぎ5kmぐらいの所で人に止められ、少し話をしたが笑ってしまった。
それはどういうことかというとこうである。
田舎の道で2~3人の男に話しかけられ、今日は余裕があったので、止まりそこに行った。
彼らはチャーイを奢ってくれながら、「お前はどこから来たのか」とヒンドゥー語で話しかけるのである。
俺はまだヒンドゥー語は話せないが、これだけ長い間この国にいるので大体は何を言おうとしているのか分かるのである。
その他、彼らは「お前は世界の共通語のヒンドゥー語を話さないな。」とも言うのである。
俺は「日本から来た。」と英語で話をしたら、彼らは「その日本はネパールのどの辺にあるのだ。」と言うのである。
また、彼らは「お前は世界の共通語であるヒンドゥー語を知らないのか?」と言うのである。
彼らはまるっきり分かっていないと思い、俺は「ヒンドゥー語はインドの共通語で世界の共通語は英語だよ。」と言い。
それに俺は地面に地図を書き出した。「まずはインド、そしてネパールはここ。」という風にである。
彼らは今まで地図というのを見たことがなかったかの様に、一つ一つの国を説明するごとに驚きを表した。
「バングラデシュはここ。ミヤンマーはここ。」と話しをし「ここが東南アジアのタイ。」とまで行くと彼らはどれだけ分かっているのだろうか?
「日本はこんなに遠いところだ。」と書いて最後まで説明してあげたが、本当は分かっていないのではないかと思う。
それにしても楽しい時間をすごした。彼らはそれでか?チャーイを2杯奢ってくれた。

 今日は泊まる所を見つけるのに苦労をする。
結局、国境まで後6~7kmの所に水田があり、その一画に少し木々が生えている所があるのだが、そこでテントを張る。
その時が暗くなる少し前だったので人に見つかることなく、その場にテントを張ることが出来たようだ。
このインドではテントを張ることは久しぶりである。やはりテントの中は多くの人にうるさく話しかけられずにすみ、落ち着ける。

出費 17.15ルピー