長い間、投稿をしていませんでした。
去年(2022年)の夏にこの旅行記の本をアマゾンから電子書籍(kindle)とペーパーバックを出しました。
その題名が「歩けば世界が見える!」です。アマゾンの書籍で検索すれば出てきます。
以下がその本のプロローグです。関心がある人は読んでみてください。
歩けば世界が見える!
単独徒歩 世界3万4千キロの旅
プロローグ
青春時代の徒歩の旅
オーストラリアの広い1,250kmのナレボー砂漠に入る前にポツンとあった一軒の家でのことだった。その家の男が私をヒッチハイカーだと思ったのか?声をかけて来た。彼に「俺は歩いているのだ。」と言ったら「去年も日本人がオーストラリアを横断する為にこの前を通った。彼はリヤカーを引いていて水を20ガロン(約80ℓ)積んでいた。お前は何㍑担げるんだ?」その水の量に衝撃を受けた。私が「9リットル」と答えたら、「この砂漠はその量では超えられない。やめろ!」と何度も言ったのだった。私は「行ける所まで行くさ。」と覚悟を決めた。
――第一編の「オーストラリアを歩く」から――
私は、この地球上3万4千kmを歩いて旅をした。40年前、20代のことである。アメリカ横断の距離が5千kmだからどれくらいか想像してみてほしい。
日本を初めにアメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、マレーシア、タイ、バングラデシュ、インド、ネパール、パキスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、旧ユーゴスラビア、オーストリア、ドイツ、スイス、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルそして最後にはヨットにも乗った。そこには様々な人種、民族、文化との出会い。。。
人間の限界に何度もぶつかりもした。しかし、飢え、渇き、寒さ、暑さ、疲労だけではなく暖かい人々の人情、、、何かが私を突き動かし、自分の限界を超える力をくれた。その「何か」は一体何だったのだろうか。各人違うだろう。
旅のキッカケは友人の帰省の時、自転車で帰ったという話からで、それは大変面白く刺激的だった。「彼が自転車なら、俺は歩いて帰ろう。」と思い実行した。それがこの世界徒歩の旅の始まりだ。
何処の国でも歩いていた時、人々はこの様に聞いて来た。「どうして歩いて旅行をするのか?」また「一人で?寂しくないのか?」などで、それに対して「歩くことは人間のできる一番自然な姿だから」とか「何時も学生時代から人のやらないこと、変わったことをやろうとする性格だから」と答え、一人で歩いたことは「一緒にする人がいなかったからだ。」と答えたものだ。
旅での問題は「今日の歩きが終わったが、どこで寝ようか?」と考え、毎日夕方になれば、寝るところを探すことであった。日本以外はテントを持っていたが、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどは自然が多いのでテントを張ることもできたのだが、それでも歩き終わった時の場所が人々から見られイタズラをされない所を探すのは簡単ではなかった。まして、アジアでは人口密度が高いので何処にでも人家があり、テントを張ることができない。それだからどこで今日は寝ることができるのかと毎日不安でもあり必死であった。幸いなことに警察署、お寺、病院、学校、ドライブイン、普通の家などに泊まることが出来たことは今思っても本当に感謝をしている。ほとんどは好意で泊まらせてくれ、人情の厚さを感じた。
ただし「今日は泊まる所があるのだろうか?」と、毎日が行き当たりばったりで「今日はどうなるかわからない。」という意味で、言うなれば「毎日が小さな挑戦」であった。毎日夕方まではどうなるのか分からなかったが、とにかく、最善を尽くし一日歩く目標の距離を達成した結果、どのような所であれ、泊まれたこと事態に充実感があり、達成感があり、大変な感謝であった。
人は自然の中での極限だけではなく人間社会の中でも壁にぶつかることがあるだろう。特に、今回のコロナ禍の社会封鎖などの様な考えられない状況の中で、今までのようではいけないと思っている人も多くいるのではないだろうか?この様に先が見えない社会の中や生活の中で壁にぶつかった時などに私が経験したような「毎日が小さな挑戦」の考えを持ち、最善を尽くせば道が開けるのではないだろうか。そういう意味でこの旅行記を通し少しでも何か感じることができればと思うのである。
ただし、私が歩いた時代はミネラルウォーターもなく、透き通っていない水も多く飲んだ。衛生的でもなく、病気も多くあり、十分な環境が整っていない中、仕方なく歩かざるを得なかった。心配することは、これを読んで同じ様な経験をしようとし、病気や事故、ましてや死に至らないかである。あくまでも、挑戦をするのであれば、目の前の「小さな挑戦」からしてほしいものである。
歩くほどに人の親切が身に染みて、徒歩旅行の面白さを実感し人情を感じ、以前は無信教であった私が、摂氏48℃の砂漠、マイナス35℃の高地の酷寒など偽りのない自然環境の中から得た経験から、目に見えない何かを感じるようになった自分をも発見した。また、多くの宗教があるアジアを歩いた中から宗教のことも考えるようになったのである。
他にお伝えしたいことはアメリカを歩く前に日本を離れ、海外と日本の情報の違いを感じSNSが存在する前ではあったが、一方的なマスコミの情報に疑問を持ったことから、世界がどのようなものか自分の目で見て、人々と会話をし、確かめたいということからであった。
この旅行記は
第一編 :日本、アメリカ、オーストラリア、
ニュージーランド
第二編 :東南アジアからインド
第三編 :パキスタンからヨーロッパそしてヨット
の3冊に分かれている。
また、本書の中には、どこの国でも「日記から」がある。その日記は率直な気持ちを毎日書いていたものの中からピックアップしたものである。これを通して私の経験した気持ちを皆で共有してほしいのである。