徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -386

2011-09-30 07:31:30 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -386

13)イランを歩く

日記から-40

12月30日(日曜日) 快晴

 良い天気である。
この昨日泊まったカフェでは結局、俺一人で泊まっていたようだ。朝起きてトイレに行った時は誰もいなかった。
その後しばらくして2人の息子が来た。
昨日話せなかった分、今朝この2人がいろいろと俺に聞いて来た。
朝食のナン、パニール(チーズ)そしてチャーイを取りながら、彼らの話を聞き話しをした。
朝からしっかり食べることが出来、今日は助かった。

 昼食はテヘランの近くの郊外の食堂で食べる。
それは今までに食べたことがないもので、俺にとっては珍しく興味深かった。
これを食べるのには道具が必要なのである。その食べ物の他にボウル(どんぶり)とスリコギが出てくるのである。
その食べ物は豆とジャガイモそして肉を大きいまま煮込んだもので、それをその道具で潰す。
その時に汁があるので、ナンを切り取り、それをそこに入れる。そうするとその食べ物が程よい硬さになるのである。
それが出来たら、残ったナンにそれを着けながら食べるのである。これは大変美味しいし、豆が多いのも気に入った。
ここのお客が食べていたのを注文しただけなので、この食べ物の名前が分からない。それが残念だ。

 テヘランの中心にいよいよ近くなって来た時に一人の男が尋ねてきて、「お前はイランを歩いている日本人か?」と聞くのである。
俺は勿論「そうだ。」と答えると彼の父と兄弟がドライバーをしていて、彼らから俺の話を聞いたのだそうだ。
もう、テヘランの街に入ったのにこんなイラン人がいるとは思わなかった。

 テヘランに着く。この都市はさすがに大きい。
ところで、1kmごとのマイルストーン(標示)がこのテヘランの中心を基準にしているのではないようだ。
その標示が国道の始まりからで、本来ならもうテヘランの中心に着いていると思ったが、そこは都市の端の方で中心まではかなり時間がかかった。
とにかく、前に情報を貰って知っていた安ホテル「アミルカビルホテル」に着くことができた。

 このホテルには遅く着いたが、このホテルでいろいろな人々に会う。
一人の日本人は病気で寝ていたのであるが、同じ日本人であるからとフロントでは見てやってくれと言う。
病気であり日本人だということで俺も手伝いたいのと興味があったが、会って見てガッカリした。
それは病気だから動けないのは分かるが、他人を平気で使いながらもそれに感謝の気持ちが伝わってこないのである。
即ち、今風の若者である。それで大変ガッカリしてしまった。

 もう一人は今日ここに同じ様に着いたというオーストリア人で作家だという人だ。
彼はアジアに興味があり、この中東にはよく来るそうだ。
彼とは話が少し合い、明日31日の大晦日を彼と何かをしようということになる。
そこで一つの案はこのホテルには風呂がないので、取り合えず彼と風呂にでも行こうということになった。

出費 1530リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -385

2011-09-29 07:41:12 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -385

13)イランを歩く

日記から-39

12月29日(土曜日) 曇りのち晴れ

 朝はまた今日も一日中曇りかと思っていたのだが、だんだん晴れて来た。
ところが、晴れてくると寒さが増して来るのである。晴れれば寒く、暖かければ曇りである。
なかなか晴れて暖かくはならないのが残念だ。

 また、普段は昼食を食べようと思う時は不思議とカフェがなく、昼の前とか腹がイッパイな時にはカフェがあることが多い。
これもままならないことである。それでも今日は腹が減って何でも良いから食べたいなと思っている時に1台のトラックが止まった。
彼は「何をやっているのだ。」と俺に話しかけて来て、ナンとみかんなどをくれて大変助かる。
俺は今、現金が少なく節約して歩いているので、一日に朝、昼、夕食と3回もカフェで食べることはしたくない。
今日はまだカフェに入っていないが、このトラックの運転手のおかげで今日は昼飯が浮いた。助かった。
この様なことで俺は本当に貧乏性なのだろう。一日3回カフェに入って食べるのは贅沢だと思っている。
貧乏旅行者はカフェに入らずナンを買って自炊すればいいと俺は思うのである。
しかし、これから寒くなるとカフェで食べ、そこで泊まらせて貰い、昼にはカフェで食べる時に冷えた体を暖めることが出来る。
今後はカフェで食べないといけないであろう。

 今日はその様にカフェで泊まることになる。
夕方になった時に一人のイラン人が近寄ってきて一緒に歩いたのであるが、その人がカフェの人であった。
俺と一緒に歩いている時に彼はいろいろ訊ねて来て答えていたのである。
彼はカフェの主人の子供でそのカフェで働いているのである。そこに今日も働きに出かける時に俺に会ったという訳である。
彼は夕食にチェロカバブを奢ってやるというのだが、俺は奢ってくれなくてもいいから、ここの床にでもいいから寝かせてくれと言う。
それでここで泊まらせてくれることになった。
その後、そこの主人のおじさんはいろいろとペルシャ語で話しかけてくるのだが、訳が分からなかった。
それでもおじさんと話をたくさんした。だから非常に疲れるので、早く寝かせてもらうことにした。
それにしてもここは客が来ないカフェである。これで食っていけるのだろうか?
(客の来ないカフェで泊まる。)

出費 400リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -384

2011-09-28 07:35:20 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -384

13)イランを歩く

日記から-38

12月28日(金曜日) 曇り

 朝、少し雨のようなものが降った気がしたが、一日濡れることなく終わった。
あまり寒くはない。今日は良い日だと思う。曇りなので一日中雲の動きを見ていた。
今朝は今にも雨が降りそうなので天気を恨んでいたが、終わってみるとそれさえも申し訳ない。
それにしても、天気などに自分の気持ちを左右されるようでは人間としてまだまだ修行が足りないと思うのである。
今日は一日曇っていたが、明日はなんだか晴れそうである。それは今、夜になり空を見上げたら、三日月が見えるからである。
だから、思わず拝んでしまった。

 今日の昼にカフェに入り、食事をした。
そこには今までに2回道路であっているトラックの運転手がいた。彼は何時もスウィートレモンをくれる人である。
他に少し前に会った警察官にも会った。何と偶然なことであろうか。
そこで彼らと少し話をして、俺は出発した。

 今日もテントを張るが、夕食の献立はジャガイモ、ニンジン、タマネギを砂糖と塩、コショウで煮込んだスープとナンである。
今日はそれでも野菜が多い方であるが、何時も大体この様な献立である。
それを食べた後、チャーイを飲むぐらいである。これが一日の唯一の慰めである。

出費 700リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -383

2011-09-27 07:48:33 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -383

13)イランを歩く

日記から-37

12月27日(木曜日) 雪、曇り、雨

 昨夜のうちに雪が5センチメートルぐらい積もっていた。
毎日この様な天気なので、歩いていると、ズボンは泥だらけになり、靴は水で冷たいし中まで水浸しである。
この様な状態では気が滅入ってしまう。
今日、通ったOomという町の中では水と泥で大変であった。車が泥を跳ね上げ走るので、顔とか服にシブキが着き何ともいただけない。

 Oomは結構大きな町である。
ここを過ぎてからは国道とバイパスと2つの道がテヘランへと続く。テヘランが近くなってきた。
それと、この町には川があり、ついに川に水が流れているのである。やはり、川に水があるのは良いものである。
「川が流れている町」何と響きが良いのだろうか。

 今日も札を拾った。しかも、100リアル札2枚も拾った。信じられない。

 その他今日も下痢であった。これでは天気と同じですっきりしない。早く下痢が治ってほしい。

出費 620リアル 拾ったのが200リアル 差し引き 420リアル

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -382

2011-09-26 07:45:49 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -382

13)イランを歩く

日記から-36

12月26日(水曜日) 曇り、霧雨

 一日中重い雲があった一日である。嫌な感じの日である。
そんな日はやはりついていない様である。朝のうちにカフェを通り過ぎたら、その後夜になるまでなかった。
今日は朝のチーズだけで、ナンは食べることなく夜までに至る。
この様に腹が減っているのにもかかわらず、腹が下って何回もクソをする。下痢である。
だから、力が出ず、歩くのが遅く一日かかって40km歩いたくらいであろう。

 夜というより、日が沈む頃(今日は曇りで日が何時沈んだかは分からない。)カフェに着く。
ここでは不思議と皆が俺を知っている。ここにはバスが止まっていて、彼らは俺を見て「ザヘダンから歩いている人だろ。」と言っているようだ。
カフェの人も感じがよく、気持ちが良かった。

 この後、歩き続けると暗い中ではあるが検問所に行き着き、そこで呼び止められる。
ここでは今までにないほど厳しいチェックである。特に荷物のチェックである。
これほど荷物を厳しくチェックされたのは始めてである。一体何のためのチェックなのだろうか?
何とかチェックが終わり、歩き続けることが出来た。

 外は暗く、霧雨なので早く歩き終えたい。
その検問所から1kmぐらいの所に道路の下の水路(水はない)と交差している所でテントを張る。
(橋とは呼べないのでこの様に書いた。)

 今日はまた道路で札を拾った。それは100リアル札である。
今まで2回は200リアル札であり、今日で3回目である。札など拾うこと自体が本当に少ないことである。
前にも書いたが、アジアでこの様にお金が落ちている国はなかった。
この国は本当にお金に対して気を使っていないというか、お金持ちの国なのであろう。

出費は500リアル、拾ったものが100リアル