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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く (イラン) -386
13)イランを歩く
日記から-40
12月30日(日曜日) 快晴
良い天気である。
この昨日泊まったカフェでは結局、俺一人で泊まっていたようだ。朝起きてトイレに行った時は誰もいなかった。
その後しばらくして2人の息子が来た。
昨日話せなかった分、今朝この2人がいろいろと俺に聞いて来た。
朝食のナン、パニール(チーズ)そしてチャーイを取りながら、彼らの話を聞き話しをした。
朝からしっかり食べることが出来、今日は助かった。
昼食はテヘランの近くの郊外の食堂で食べる。
それは今までに食べたことがないもので、俺にとっては珍しく興味深かった。
これを食べるのには道具が必要なのである。その食べ物の他にボウル(どんぶり)とスリコギが出てくるのである。
その食べ物は豆とジャガイモそして肉を大きいまま煮込んだもので、それをその道具で潰す。
その時に汁があるので、ナンを切り取り、それをそこに入れる。そうするとその食べ物が程よい硬さになるのである。
それが出来たら、残ったナンにそれを着けながら食べるのである。これは大変美味しいし、豆が多いのも気に入った。
ここのお客が食べていたのを注文しただけなので、この食べ物の名前が分からない。それが残念だ。
テヘランの中心にいよいよ近くなって来た時に一人の男が尋ねてきて、「お前はイランを歩いている日本人か?」と聞くのである。
俺は勿論「そうだ。」と答えると彼の父と兄弟がドライバーをしていて、彼らから俺の話を聞いたのだそうだ。
もう、テヘランの街に入ったのにこんなイラン人がいるとは思わなかった。
テヘランに着く。この都市はさすがに大きい。
ところで、1kmごとのマイルストーン(標示)がこのテヘランの中心を基準にしているのではないようだ。
その標示が国道の始まりからで、本来ならもうテヘランの中心に着いていると思ったが、そこは都市の端の方で中心まではかなり時間がかかった。
とにかく、前に情報を貰って知っていた安ホテル「アミルカビルホテル」に着くことができた。
このホテルには遅く着いたが、このホテルでいろいろな人々に会う。
一人の日本人は病気で寝ていたのであるが、同じ日本人であるからとフロントでは見てやってくれと言う。
病気であり日本人だということで俺も手伝いたいのと興味があったが、会って見てガッカリした。
それは病気だから動けないのは分かるが、他人を平気で使いながらもそれに感謝の気持ちが伝わってこないのである。
即ち、今風の若者である。それで大変ガッカリしてしまった。
もう一人は今日ここに同じ様に着いたというオーストリア人で作家だという人だ。
彼はアジアに興味があり、この中東にはよく来るそうだ。
彼とは話が少し合い、明日31日の大晦日を彼と何かをしようということになる。
そこで一つの案はこのホテルには風呂がないので、取り合えず彼と風呂にでも行こうということになった。
出費 1530リアル