徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-682

2014-12-31 08:42:06 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(パキスタン)-303

11)パキスタンを歩くまで

10月1日(月曜日)~10月8日(月曜日) 快晴が多い。

 この期間は天気がよく、非常に暑い。
10月2日にカラチを離れ、モヘンジョダロを見て、ローリー(Sukkur-サッカに近い所)という所で泊まる。

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数千年前の文明の地、モヘンジョダロ。この遺跡と現代の家とそんなに差がないのではないか?

 この歴史的に有名な遺跡であるモヘンジョダロの周りにはあまり木がないと思っていたが、それほどでもなかった。
この遺跡はレンガで出来ている。その時期がB.C.2500年であったが、今住んでいるパキスタン人の家がやはりレンガ造りである。
今の人々の家の周りにも木などはあまりないので、本当に4500年前と今とは外から見た限りではあまり変わりがないのではないかと思われる。
だから、このモヘンジョダロの遺跡のレンガが本当にそんなに古いものなのかなと思うのである。

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有名な文明が生まれたインダス川

 10月5日にラホールに着き、Y.M.C.A.に泊まる。
ここでは面白い日本人にたくさん会い、毎日明け方4時ごろまで話をしていた。
一人は伝道師の植松さん、また一人はいろいろな所を旅行して面白い戸田さん、そして、デリーからの清水さんである。
その他にオートバイで旅行をしている大学生もいた。彼らは話していてもいろいろな情報や知識があり面白い。
ここではお酒が手に入りにくいので、その代わりに彼らとは毎日チャーイを飲みながら話をしていた。

 他にはここY.M.C.A.に泊まっている間にマネージャーがパキスタンの新聞社に話をして、その新聞社の記者からインタビューを受ける。
それは俺が世界を歩いているということでのインタビューであった。
次の日には自分の記事が載っているウルドウ語の新聞を見て、内容は分からないが良い思い出になった。

 ここパキスタンに入った9月26日から10月8日まで13日間の出費は 760パキスタンルピーぐらいであろう。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-681

2014-12-30 07:43:12 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(パキスタン)-302

11)パキスタンを歩くまで

9月26日(水曜日)~30日(日曜日)の続き -2

 このカラチでは一つ困ったことがあった。
それは自動車が結構多く、しかもスピードが速いために、広い道路を横断するのに苦労をしたことである。
インドでは車が大したスピードで飛ばすこともなく、自動車の台数も多くはないから、道路を横断した時に苦労をした覚えがない。
その感覚でカラチで横断しようとしたら、駄目なのである。
ここは道路も広いこともあり、渡り切らないで、車がすぐ近くまで来ていて、危うく轢かれそうにしばしばなる。
この様なことではインドからもし日本に直接帰っていたら、車のスピードと台数の感覚についていけず、車に戸惑うのではないだろうか?
とにかく、インドからパキスタンに入りカルチャーショックを起こしたのである。

 カラチ(パキスタン)はインドに比べると他には物価が高いことである。
チャーイ(紅茶)が1杯で1パキスタンルピーである。インドの東の方では1ルピーで3~4杯飲める。
インドの首都デリーでも1ルピーで2杯飲める。
また、チャパティー(薄いパンのようなもの)がここでは50パイサ(ルピーの下の単位、100パイサで1ルピー)である。
インドではこのチャパティーが25パイサであるが、大きさがインドのものが半分ぐらいであるから、値段的には同じである。

 今日9月30日は魚を食べた。その魚は250gで6~7ルピーであった。(魚の名前は分からない。)
もし、インドとパキスタンの国境を越えていたら、この海の都市カラチに来ることがなく、トルコまで行っていただろう。
その様になると、魚などとても食べることは不可能であった。ここ、カラチに来たおかげで、新鮮な魚を食べられた。
ありがたい!

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カラチの漁港で魚の水揚げをしているところ


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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-680

2014-12-29 07:31:42 | 世界徒歩旅行

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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

今日からパキスタン編である。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(パキスタン)-301

11)パキスタンを歩くまで

9月26日(水曜日)~30日(日曜日)―1

 インドを離れ、飛行機でパキスタンのカラチに来た。
ここで入国の時に一つ面白いことがあった。空港の中では入国手続きのため多くの人が列をなし、待っていた。
もちろん、俺もそこに並んでパスポートを手に持って、待っていたのであるが、その時であった。
入国の係員が、その大きな赤いパスポートを見て俺を呼ぶのであった。
「お前は日本人だろう。」と言いながら、俺を列の一番前まで連れて行って、すばやく入国させてくれたのであった。
この時、日本とパキスタンとの仲がいいのだと分かり、日本がパキスタンにずいぶん良いことをしているのだと思った。
日本に生まれたことをありがたく思ったし、誇りにも思った。多くの日本を背負って苦労をしている人々に感謝である。
また、俺はこの日本の印象を壊すようなことをしてはいけないとも思った。

 さて、この国に入り感じたことは国が違うと、いろんなことが違うのだということである。
このカラチはやけに町が広い。特に道路など広く作られている。それでか何だか町の感じがサッパリしている。
それでいて品物は豊富である。だからかインドに比べこの国の方が金があるように感じる。

 このカラチは上に書いたように街の感じはサッパリしているが、800万人が住んでいると言う。
高い建物がなく、だだっ広い街の雰囲気からすると、そんなに人が住んでいるとは思えないのである。

 市場などはインドに比べると綺麗だ。水道はカルキなどのような消毒薬が入っている。
あまり美味くはないが、インドの様に不衛生ではなさそうで、安心できる。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-679

2014-12-28 08:20:51 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-300

10)バングラデシュ、インド、ネパールを歩き終わって見て

再度インド-2

 インドでは山と平野では人間とか文化が非常に違っているように思った。
山に入っていくと俺は安心した。それは山の人々と俺が似ているからだと思うが、人々が俺に対して親切になって来たからである。
それはこの山では人々が話しかけて来て親切にしてくれた後、「お前は何人だ。」と聞くのである。
それに対して平野では「お前は何人だ。」と始めに聞き、それに答えて彼らの思っていた通りであれば親切であった。
これは大きな違いだと俺は思うのである。

 ダラムサラで自炊をしながら休養したおかげで俺がかかった肝炎らしい病気は治ったように思われる。
それにしても、このダラムサラではよくチャンを飲みに行き、チベットの人々とよく話をした。

 パキスタンとの国境へはこのインドのパンジャブ州の国内問題でその州さえも歩けるか不安の状態であったが、国境まではラッキーに行けた。
それでもその国境は越えることが出来なかった。それでニューデリーに戻った。
ここですぐにパキスタンの近い都市ラホールに飛んで行きたかったが、そこへの飛行機は1ヶ月待たなくてはいけなかった。
それで仕方なく、カラチに行く。
そのパキスタンへは、俺一人だけでなくこのデリーから安宿で知り合った日本人と一緒に飛ぶ。
この様に他人との旅は今までなかった初めてのことであった。

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世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-678

2014-12-27 08:44:07 | 世界徒歩旅行

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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-299

10)バングラデシュ、インド、ネパールを歩き終わって見て

再度インド-1

 再度インドに入ったすぐは俺がネパールから出て来たネパール人に見えたのか、人々は俺をあざ笑ったり、汚く言ったり、石を投げられたりした。
俺はネパール人がインド人より悪いとは思わないのになぜだろうか?
それよりかその様に人種差別している彼らよりか俺の方がましな人間ではないかと自分に言い聞かせるのであった。
また、俺が本当は何人(ナニジン)であろうと関係がないではないかと思っていても、
「俺は日本人だ。」と言いたい気持ちにも問題があると思うのである。
それは俺自身の中に「お前らよりましな日本人だ。」と俺も人種差別をしている馬鹿げた考えがあるからである。
情けない話である。この考えを無くそうとしても子供が石を投げられれば、またその考えが出て来るのである。
とにかく、人間であれば自信というものが必要であるが、それをインド人がネパール人を差別する様な馬鹿げた方法ではいけないと思うのである。
俺は「地球人」だ。

 また、この再インドでは病気で体が動かなかった。
2~5km歩いて休みを取らなくてはならなかった。一日30km歩くのが辛かった。
オーストラリアを歩いた時の毎日70~80km歩いたことからすると考えられない。
そして、この時期は暑かった。その暑い中でも歩いていて微熱が出ていて寒気があった。
そんなある日、雨の中を歩き、夜は高熱が出た。
俺はこのインドの田舎では病院を信じられないので、町の病院に行きたいから、無理をして歩いたのであった。

 そして、体が動かないのにやっとニューデリーに着いた。!
そこでは安心したからだろうか?すべての病気が出たように思う。
10日間ベッドの中でただ熱を出そうと必死に冬に使う寝袋で汗を出した。
その前に回虫がいることを予想し虫下しの薬を飲み、みごとその回虫の大きいものが出た。
この時期は本当に健康のありがたさを実感し、人間の体のすばらしさを感じた。
とにかく、一日、一日と体がよくなっていくのを感じたのであった。自然の神秘である。

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