発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、ヨットまで
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー
15、旅でのいろいろ総括 - 653
トルコの村を過ぎる時に注意をしなければならない子供達、だが、良い子供達もいる。
3、強盗にあったこと
トルコでは子供が集団で
パキスタンのバルチスタン(Baluchistan)砂漠では人がどこからともなく湧いて来る。人が湧いてくるという表現は適切ではないが、何もない土色のところから、突然人が現れるのである。
ある時は道もないところを歩いていると、どこからともなく、8~10歳ぐらいの子供がどこから現れたかわからないがついて来た。
私に何かを話しかけてくるのだが、はじめは無視をして歩いていたが、あまりにもうるさくついてくるので、その子供の話を聞いて見ることにした。
彼はパキスタン語で話すのでよくわからないが、よく聞いてみると「金を出せ」と言うのであった。
貧しい国を旅行すればこのようなことが日常茶飯事であるから、子供なので相手にしないで歩き続けていると、また現れて自分の背丈ほどもある農業で使う鉄のクワを持って来たのであった。
それで、その子供は私に襲いかかろうとポーズを取るのであった。
その様子を見て彼は必死で金を取ろうとしているのだと分かり、私は冷や汗をかいた。
もちろん、そのクワは簡単に取り上げることは出来たが、後で恐ろしくなったのであった。
それはこのクワは貧しい農民にとって生活必需品だ。それが無くなったら、子供の親がきっとそれを取り返しに来るだろう。
その親は子供にあの様な教育をするのだから、平気で人を殺すかもしれないと思ってしまったのであった。
この砂漠では隠れることも出来ない。親が私を見つけることはたやすいであろうなどとさまざま思いをめぐらすのであった。
また、子供から奪った重いクワをすぐに捨てたら、そのクワでまた子供が追ってきて襲われても困るし、クワを必死に探しに来られても困るので、適当な距離を置きクワを捨てた。
その後はよく後ろを振り返ったものであった。
またその様な砂漠で突然、警察官が車でやって来て、アフガニスタンからの難民が観光客を襲うから、歩いてはいけないと言うのだ。
その警察の話では「この前も観光バスが皆殺しに遭った。」と言うのだ。
しかし、私はここで旅を止めるわけにはいかない。私自身の責任で歩くのだということを一筆書き歩かせてもらった。
そうは言ったもののやはり、人影や人々の目には注意を以前より強めたが、恐怖は隠せなかった。
その後、前に倒れても倒れないぐらいの強い砂嵐の中、砂だらけになって国境に着いた。
そこで、無事に着いたことを警察に伝えると大変喜んでくれて泊まる所と食事を奢ってくれた。
パキスタンの次の国、イランは石油産出国により国が豊かだからか、盗賊には襲われなかった。
しかし、知り合ったイラン人に戦争で人を殺した生々しい話を聞くと「死」は非常に近いものであると感じた。
東側のトルコの厳冬は海抜が1500m~2000mということもありマイナス20度~30度の真っ白な世界であった。
そこは貧しいからかタカリや盗賊に遭うこともしばしばで、ある村を通り過ぎる時、12~15歳の子供10数人に「金を出せ」と言われたのであった。
彼らの中の一人はスキを狙い、ポケットに入れてあったマフラーを後ろから盗んだのであった。
そのマフラーはイランで寒くなるからと気づかって道路上、トラックの運ちゃんがくれた心のこもった贈り物であった。
そう思ったら、盗まれたということで諦めることは納得がいかなかったのであった。
私は20分ぐらい盗んだ子供を追いかけながら日本語で「それは必要なんだ」と言い続けた。
それを続けていたら、その子供達の中の一人が「止めてやれよ」というぐあいに盗んだ子供を説得し出すのであった。
その雰囲気が広まり、盗んだ子供は最後はあきらめて、私がマフラーを取り返しても抵抗を示さなかった。
この体験で集団の中にも必ずいい人がいるし、その人の心を動かせば皆が変わってくることを感じた。
それにしても人影を見ると恐怖を感じた。特に、他に誰もいない所では人が現れないか緊張をしたものであった。
トルコのイスタンブールからはヨーロッパである。
ユーゴスラビアでは貧しいので盗賊に遭うかもしれないと言われたが恐怖を感じることはなかった。
しかし、人の親切心につけこんで、お金を騙し取られたことがあった。
それは、フランスからの車の旅行者だという男がシンガポールから来たという女と車で旅行中、私にあったのであった。
旅行のためのお金がないから貸してくれというのであった。フランスに行ったら彼の住所のところに尋ねて行けば、お金を返すというのであった。日ごろ多くの人から助けてもらっていたので、騙されてもいいからとお金を貸してあげたが、現金を持っていなかったので、彼の車で銀行まで行きトラベラーズチェックを換えてあげた。もちろん、元いた場所まで戻り歩き出した。
この後この歩きの旅が終わり、フランスの住所の所はボルドーだったのでアルバイトも探すことを考えて、行って見たらやはりそのような住所はなかった。やはり彼はフランス人ではなく隣のイタリア人ではないかと思うのであった。イタリアではこのような詐欺をよくするからであった。
ヨーロッパを歩いている時に感じたことは人々が心に壁をつくり、相手に出来るだけ触れず自分だけの世界にひたっていることであった。
それはヨーロッパではペットを多く飼っていることからも想像がついた。
自分の欲求不満をペットに代用しているのであった。
だからあまりヨーロッパでは刺激的なことは少なかった。
それでもスペインで知り合ったスペイン人とは親しくなり、ポルトガルまで徒歩を終えてからまた会い、よく遊んだ。そのような熱狂的なスペイン人に会った時に少しアジアを思い出したものであった。
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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