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徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

10、ニュージーランドを歩く-10

2010-05-15 07:19:42 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-10

・マオリ人

 オーストラリアは前からいたアバリジノ人を侵略して築いた国であったからか、彼らと白人の間には深い溝があった。
この国ニュ-ジーランドでは前から住んでいたマオリ人と白人は関係が悪くないのを感じた。
それは白人が始めてこの国に上陸した頃、侵略と言うより部族の長との交渉によって入って来たということを聞いている。
このことからお互いの関係が悪くないのではないだろうか。

 前に書いた通り、イースターの時にマオリ人の恒例の集まりがあって、そこでハギという彼らの料理をご馳走になった。
その時も彼ら、マオリ人の考え方は皆「誰でも来い。」というものであった。
だから、このイースターのイベントがあった前日から夕食を腹一杯食べさせてくれたし、ビールもたらふく飲ませてくれた。
前にも書いたが、西洋人は自分が腹一杯になったら相手も一杯だと思うからか、私が腹一杯に食べたことがなかった。
その点 マオリ人たちは違った。
私が食べた後でまだ足りないか聞いてくれ、一応断っても「もっと食べろ」と言ってくれた。
また、マオリ人はうなぎを食べることも、東洋人である私にとっては栄養補給に助かった。
西洋人はこの様な物は食べないからであった。

 旅が終わる少し前、即ち、ケープレアンガ(レアンガ岬)で終わったのだが、その少し前でのことであった。
 ニュージーランドには差別がないと言っても白人が多くいる飲み屋と、マオリ人が多くいる飲み屋とがあった。
その時、私はマオリ人の方の飲み屋に入った。
そこで飲んでいると、マオリ人のおじさんが話しかけて来た。
私がニュージーランドを歩いていると言ったら、大変気に入ってくれて、いろいろと話しをした。
たぶん、この国の住人であるマオリ人の自分がこの国を歩いていないのに、外人である私が歩いているということで気に入ってくれたのだろう。
彼の話では、この後のレアンガ岬までのコースはマオリ人が多くいるし、レアンガ岬はマオリ人にとっては聖地なのだと言った。
マオリ人が死ぬ時、このレアンガ岬に集まるのだそうだ。
また、この岬はいろいろな神話や話が残っているのだそうだ。
だから今後は多くのマオリ人が親切にしてくれ、いろいろな話が聞けるだろうというのであった。



10、ニュージーランドを歩く-9

2010-05-14 07:18:39 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-9

・その他の動物

 雨が多くジメジメしていた南の島の北の方まで来た時であった。
歩いている道の横であるおじさんが森の中に何かの罠をかけているのを見つけた。
その人話しかけ何を捕まえているのかを聞いてみた。
彼の話ではポッサム(英語の方言かもしれない)という動物を捕まえていると言うのであった。
罠を備え付ける時にリンゴを4分の一に切り、餌としていた。
そして、その罠を仕掛ける時に、以前の罠を回収するのだが、回収する時にポッサムがかかっていたら、コンボウで叩いて殺していた。
この動物はよく見るとミンクのようなイタチ系の動物であった。
罠は小さく足の先だけかかるようにして、あまり上までは罠がかからないようになっていた。
殺す方法やこの罠のことは毛皮になる大事な部分に穴が開かないようにしているからであった。
また、殺すためや罠には毒を使わなかった。それは毒で殺すことにより毛皮の色やツヤが悪くならないようにするためだろう。
このポッサムの毛皮は高く売れるのだそうだ。ポッサム狩りのこの人は毎日この仕事をしているのだそうだ。

他にこの国ではコインの絵にもなっているキウイという鳥がいる。飛ぶことが出来ない鳥である。
この国のおとなしい国民性が現れていて、この鳥がニュージーランドの国の象徴にもなっている。

 動物ではないが昆虫に困らされた。
前にも書いたが蚊ではないサンフライという非常に刺されると痒い昆虫。
これは湿気が多い南の島で多くその他の地方ではあまりいなかったように思う。
 また、この旅の終わりに北の端に近づいた時であった。
道路上に多くのコオロギが多くいたのであった。その数は大変なものであった。
道路上を歩いているので、コオロギを踏まないように避けようとするのだが、コオロギはどの方向に飛ぶのか分からなかった。
だから、注意して歩いていてもコオロギを踏んでしまたのであった。その時は心が痛いものだった。


10、ニュージーランドを歩く-8

2010-05-13 14:11:36 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-8

・羊と牛 

 ニュージーランドは人口が300万人、牛が300万頭、羊が600万頭と人間よりそれらが圧倒的に多い、酪農の国である。
(1983年のデーター、今はもっと人口、牛、羊が多くなっていると聞いている。)
南の島の南側では羊とは道路の上などで自然と出会う機会があった。

 ここニュージーランドでは羊に出合ったら、羊は逃げようとするので、羊の鳴き真似をして彼らを驚かさないようにした。
オーストラリアでも鳴き真似はしたが、早く歩かなければならないという気だけがあり、時間的な余裕がなかったように思う。
その鳴き真似であるが、鼻が詰まった時のような感じで「め~」と鳴くのであった。
そうすると不思議と羊が逃げないような気がした。
そればかりでなく、うまい鳴き声が出ると「め~」と鳴き声が帰って来た。
その後が「め~」「め~」の合唱であった。
そして、彼ら何百という羊の注目を浴びるのであった。


 羊たち
 「め~」の鳴き声も様々であった。

低い低音の羊、「め~~~」と長く伸ばす羊、「め~め~」とバイブレーションを使う羊などであった。

 彼ら羊たちは本当のところ「早くお前なんかどこかへ行ってしまえ!」「早くどけ」などと思っているのではないだろうか。

 その他、北の島では柵の中で羊も牛も飼われていたが、羊はその柵の中でも逃げようと必死であった。
それに比べると牛は逃げなかった。私を見てじ~としているだけであった。
牛は「この馬鹿な男、自動車が進む道路の反対側を歩いて何をしているのだ。」とでも思っていたのだろうか。
普通、私は車が通る反対方向で歩いていた。
即ち、このオセアニアでは車が左側通行なので、私は右側を歩き、アメリカでは左側を歩いていた。
さて、羊は「変なやつが近づいてきた。さあ、行こう!行こう!」などと思っていたのかな。
私は「その内にお前たち、羊も牛も食べられちゃうんだぞ!」と思っていたのであった。

 これら羊、牛、豚、ニワトリなどを運でいるトラックにあった時は、閉口した。
特に雨が降っている時などはひどいものであった。
これら家畜自身の臭いがすごいのであったが、それはその家畜が出す大便小便が一緒になっているのであった。
それに雨の水でそれらが飛んでくるのであった。ひどい時はその汚い水のシャワーであった。
英語で「牛のクソ」と言う「畜生、クソッタレ」という意味の単語があるが、まさにその通りであった。



10、ニュージーランドを歩く-7

2010-05-12 07:00:07 | 旅行
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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10、ニュージーランドを歩く-7

・水について

 南島ニュージーランドでは西海岸を北に上って行った。
南島の東側は平野が多く牧場であるが、西側は山が多く起伏があり自然が多いところである。
特に南の島の西側が綺麗だと思った。景色を見ていて気持ちが良かった。
雨が多いので、水が十分にどこからでも湧いて出ていた。
小さな丘があれば必ず道路の横にも涌き水が出ていた。よく水をそこから飲んだものだ。
川の水も上流には人家がないところが多いので飲んでも差し支えなかった。
南の島の南側の湖は非常に綺麗であった。
テアナウ湖、クイーズタウンで有名なワカティブ湖、ワカナ湖などでそこからは湖水さえ飲めるようだった。
従って、オーストラリアの様に水を運ぶ必要はほとんどなかった。

 南の島でもHokiteka より北の方に上がってきたら川の色が透明でなくなった来た。
山からの水に色が着いていた。これは土壌が柔らかいから雨により水に溶け出しているのであった。
この様な水も飲まなくては駄目な時も何回かあった。

 水難ではこんなことがあった。
雨が多いので、橋の下で何時もの様にテントを張った時であった。
そこはテントの中が平らになっていなく斜めになっていた。
高いところに寝ていたのだが、自分も知らずに低い方へ寝返りをしたら、ヒンヤリとした。
ヒンヤリしたから起きてしまったのだが、懐中電灯をつけて驚いた。
それは寝ている間に雨が多く降り川の水が増え、テントの半分は水に浸かってしまっていたのであった。
これ以上水が増えテントが流されては困るので、夜中にテントを少しだけ移動した。
この時はそれ以上水が増えないことを祈った。
 今思えばこんなことでは考えが甘かったと思う。鉄砲水が来ていたらどうなっていたのであろうか。



10、ニュージーランドを歩く-6

2010-05-11 07:20:06 | 旅行
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10、ニュージーランドを歩く-6

・天気1-2

 余りにも雨が降る日が続くので、空を見上げながら大きな声でこの様に叫んでいた。
「今日も雨かよ!」、「雨水がそんなにたくさんあるのかよ!」「このぐらいで雨が止んでくれ!」
また、誰かが天から雨を降らしているかのように「ばか!キチガイ!早く雨を止ませろ!」
等とも叫んだものであった。
ところが、7日間このように叫びながら歩き、8日目であった。
今までの雨が嘘のように止み、雲一つない快晴の日であった。
しかも後ろを見るとその快晴の中に美しいマウントクックの山が見えたのであった。
それはすばらしいものであった。
それを見た時に今までの雨はこのすばらしさをみせるための準備であったのかなと思った。
そう思ったら、天に向かって毎日いろいろな悪口を言っていたことを非常に申し訳なく思った。
 この様に雨が降らない日が珍しいほどの南島で、2~3日雨が降らないとこれで良いのかと疑いたくなった。

 ここニュージーランドでは空が晴れているのに雨が降ることがあった。
雨雲があってもそれは遠くにあるので雨は降らないように思ったのだが、雨が降るのであった。
それに比べオーストラリアでは雨が降りそうな雲なのに雨が降らなかったものだった。
やはりニュージーランドは雨の国だからこの様なのだろう。

 それにニュージーランドでは風に悩まされた。
風はあまりにも強く、風が当たっている方は雨のため濡れていたが、その反対の面は乾いていたりもした。

 南の島では風が強かったので、テントを張ることが出来ない時もあった。
従って、テントをつぶして寝た時もあった。
その時はシートが体にくっつき、風がシートの熱を奪い、体を冷やして寝られなかった。

 また、風は手を凍らせて動かなくもした。
即ち、雨で濡れた手に風が当り手の感覚がなくなった。
この寒さと雨で自然と小便がしたくなるのだが、この感覚がなくなった手ではすぐにチャックを下ろせないのであった。
雨のためパンツの中まで濡れているので、中で小便をしても変わらないのだが、後で臭いが出ると困るのでパンツの中では出来ない。
その小便が出てくるところが寒さで小さくなっているのと手に感覚がないのでその重要な部分を取り出せないのだった。
また、それ自体に感覚がないので外に出ているのか、いないのか分からなかった。
自分にそれが出ていると納得させて、小便を中に濡らしてもしかたがないと思いながら小便をした。
とにかく、この様に小便は一苦労であった。
思えば、この1~2か月前まではオーストラリアで暑くてバテて体が動かなかったのが、ここでは寒くて体が動かなかった。
同じオセアニアでもこれほど違うのであった。