徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-508

2014-06-30 06:12:10 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-130

6)バングラデシュを歩く

日記から-10

2月22日 (水曜日) 快晴

 朝、昨日の食堂に行く。顔見知りになったようで、大変居心地が良い。
昨夜泊まったビルを出る時、トイレはないかと聞いたのだが伝わらず、我慢をして出発。
仕方がなく、しばらく歩いて橋の下で用を足す。

 昼ごろまでにComillaに着くことが出来た。
ここでは靴を探す。今履いている靴はタイのチェンマイで買った靴で換えないともう後がない。
このチェンマイで買った靴は一日で穴が開いてしまったし、後ろの所がアキレス腱に当たり最悪の出発であった。
それを何とか、もたして今日までに至った。
だから、今回靴を買う時は気を使って靴を選んだ。それだからか、現在まで半日使ったのだが、結構良い状態である。
それでも外見や作りはやはり安い感じがする。その価格は165タカ(1650円)である。

 Comillaを過ぎてから、この国では最高級のレストランという感じのオーナーがお茶を奢ってくれた。

 夕方、小さな町に着き、警察にボーディングハウスのことを聞いたら、ないというので、暗くなるまで歩いた。
その頃、学校を見つけたので、運動場にテントを張らしてくれないかと聞いたら、学校の前の家が泊まれるだろうと言う。
それが駄目でも回教のモスク(お寺)の後ろにならば、テントが脹れるとも言う。

 結局、クラブハウスに泊まらせてくれた。
この町では皆が親切にしてくれて、町の町長までが出て来た。何だか俺は突然VIPになったようである。
ほんの1時間前までは暗い中ミジメに歩いていた時は「家なし子」の様で、人々は笑っていたのにである。
とにかく、VIPなので待遇は良くなりはしたが、人々はうるさいほど俺の周りに集る。
特に子供はうるさいし、程度をわきまえていないので、始末に悪い。

 今日はとにかく、1泊出来たことがありがたく、また結構安心できる人と知り合ったので、良い一日であった。

出費292.00タカ

================================================================================
筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
www.shozonkb.com
================================================================================



世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-507

2014-06-29 07:51:53 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-129

6)バングラデシュを歩く

日記から-9

2月21日 (火曜日) 快晴

 朝は昨夜遅くまで歩いていたので、ゆっくり出発したかったが、このFeniの町を早く出発したい気持ちになり、朝食も食べず出発。
それで朝食を取ろうと食堂を探していたら、家が2~3軒だけの小さな村に食堂がありそこで食べる。
そこでは人々が俺にあまり冷たく当たらない。それだから、俺が彼らに気を使い和やかに話をする。

 10時ぐらいにお茶を飲み、その後すぐにイランで日本の企業で働いていたことがあるという男がまたお茶を奢ってくれる。
その人とはフレンドリーに別れる。この様に昼は昨日と同じように良い状態である。
昼食に入った店では1人の老人が大変親切であったが、その食堂に後で入って来た男が分けの分からない英語で俺にからんできた。
その男がうるさいので無視してその店を出てきた。この時も老人が助けてくれたので、店を出れたのである。
また、昨日の様に午後は運がついてないのかと思った。

Image-08.jpg
食堂の中、釜はバングラデシュのパン、ルティーを焼く穴が右の端の方に開いている。

 夕方、食べに入った食堂で泊まれる所があるか聞いたら病院の前に泊まれる所があるというのである。
彼の話ではビルの1階を泊まれる様に貸してくれるというのである。今日は昨日のようではないかもしれない。

 このビルを貸してくれた老人にありがとうと言いたい。
彼は何の躊躇もなくすぐにそこの鍵まで出してくれた。寝る所が確保できたので、また先ほどの食堂に行く。
食堂に集った多くの人と分からない言葉で話していたが、結構楽しかった。

 その後が大変であった。このビルの1階はこの村の人々の為に解放しているテレビを見る場所である。
人々はしばらくすると多く集って来た。俺は疲れていたので、寝るように努力していた。
人々は俺に集まってくるかと思ったが、寝ていると思ったからか?人々は集らず助かった。
それでも眠りながら荷物が気になり、完全に寝ることが出来ずうつらうつらしていた。
そんな状態で夜中の12時ぐらいだと思うが、誰も村の人がいなくなったようだ。

出費 24.20タカ

================================================================================
筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
www.shozonkb.com
================================================================================



世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-506

2014-06-28 06:29:28 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-128

6)バングラデシュを歩く

日記から-8

2月20日 (月曜日) 快晴

 今朝も朝食を食べさせてもらう。
それはルーテーという薄いパンのような物であるが、今までのルーテーとはチョット違い荒いボロボロしたものである。
それと蜂蜜のような木の汁をそのルーテーにつけて食べるのである。
この様にその国の人と深く付き合うとその国の本当の料理が食べられて大変嬉しい。

 昨夜は、このバングラデシュの家でお世話になっているが、ここでは奥さんとは顔を合わせることが出来なかった。
奥さんはカーテンの向こうでベンガル語を俺の隣にいる旦那さんに話しかけそれで会話をしていた。
また料理を出してくれるが、カーテンの向こうからお皿が出てきて奥さんの手だけを見たぐらいである。
これが敬虔な回教の家なのだろうか?マレーシアでは女性は外に出ていたし、頭にスカーフは被っていたが顔をは見れたのにな。
この国では女性はこの暑いのに溶接工のようなマスクの目の部分が付いた布を頭から被っている。
即ち、完全に女性の姿は見ることが出来ないのである。女性が自由ではないということである。
だから日ごろ、圧迫されているからか、彼女達は顔が見えなくても好奇心が強く質問が多いようである。
彼女たちも本当は外に自由に出て、話したいだけ誰にでも話がしたいようである。

 今日は昼食を食べていても、休む時にお茶を飲んでいる時も人が多く集り、大変であった。
それでも何とか無事に終わった。しかし、夕食を取った時から、今日の悪運が始まった。
一人の英語の出来る人が、今日は市場に泊まっても良いというので安心していた。
そこに老人がやって来て、ここでは泊まるなと言う。俺はそれではということで橋の下にテントを張った。
このテントを張った時も人々がたくさん集まって来てそのテントを張る様子を人々は見ていた。
俺はもう寝る状態のまま人々がいなくなるのを待っていたら、先ほどの老人がやって来て言うのである。
「ここでは人々が動揺するので、テントを張らないでくれ!」
地元の老人が言うので仕方なく移動することにした。この先6kmにFeniという町がある。そこにホテルがあり、泊まれると言うのである。
先ほどテントを張った時と同じように多くの人々が集まり片付けるのを見ていた。暇なのだ。
その時はもう暗かったので周りにいた人々の中には火をつけてテントを片付けるのに協力をしてくれた人もいた。

 この暗くなった道を一人で歩いてやっとFeniという町に着いた。
ここにはダッカの観光案内でもらったホテルの一覧書にもホテルがあるというのは知っていた。
そのホテルを尋ねたが、価格が違い、そのホテルに一覧書を見せ怒ってやった。
そのうち彼らは「部屋がない。」と言い。それでまた俺は怒る。4軒ほどその様に喧嘩をして出て来た。
何度もこの様に夜の街をさ迷って、「今日はこの町で泊まれるのかな。」と思いながら歩いていた。
リキシャにも安いホテルはないのか聞いてみた。もう最悪の状態である。
やっと見つけたホテルも汚く最悪なホテルが20タカであった。信じられない一日であった。
今日の様な時、俺はバングラデシュを大嫌いだと言うのである。
この国は外国から多くの援助を受けていながら、それでも外国人からお金を多く取ろうとしている。
その様な町の商人は最低である。(この様に書いたらス~とした。)

 この汚いホテルでシーツが汚いので換えてもらったら、その換えてもらったシーツがあまり綺麗でない。
そして、換えたシーツは綺麗にたたんでまた倉庫に入れていた。即ち、シーツを洗わず何回も使っているのである。
どうりで汚いと思った。
今日は夜9時過ぎまで歩き回った。だから疲れて早く寝よう。

Feniのホテル泊

出費40.40タカ

================================================================================
筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
www.shozonkb.com
================================================================================



世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-505

2014-06-27 06:14:07 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-127

6)バングラデシュを歩く

日記から-7

2月19日 (日曜日) 快晴

 チタゴンを出発する。
昨日は歩くのも遅く、バングラデシュ人のせいで精神的に大変疲れていた。
このバングラデシュでは人々が「お前は何処から来た。」と言う質問を一日何十回とし、それに答えて行かないといけないのである。
それにしても、今日は昨夜街を歩き回ったわりには足が軽い。だからか、人々が話しかけてきても面倒に思わず、返事をしてあげたのである。
従って、人々と結構会話があり、不思議と楽しく歩けた。

 夕方、Sitkundという所の食堂で夕食を取っていたら、隣で食べていた人が今晩、家で泊まらないかと言ってくれる。
俺は喜んでそうすることにした。その彼の家に行く前に山へ出かけ、ヒンドゥー教の寺を見に行く。
彼の話ではこの後10~11日すると彼らの祭りがあると言い、彼はその準備で忙しいと言う。

 彼の家はこの町から1km離れた所で暗くなったので、リキシャを使い移動をした。
泊まる所は彼の家だと思っていたのに、実際はそれが彼の家の前にあり、学生が泊まっている寄宿舎のような所であった。
その後、彼の家でもう一度夕食を取る。大変助かる。その後のデザートをこの国で初めて食べる。
そのデザートは自分でバナナとご飯と砂糖とミルクを手で混ぜて作る物である。
アメリカで食べたライスプディンの様なものであるが、それを自分の手で混ぜて作るのである。
バナナをうまく潰すのがこのデザートをうまく食べるコツである。
夜遅くまで、学生と話をしていた。

出費 22タカ

================================================================================
筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
www.shozonkb.com
================================================================================



世界一周、徒歩旅行-シンガポールからヨーロッパまで歩く編-504

2014-06-26 06:07:12 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
+++++++++++++++
世界徒歩大旅行記3万4千キロ
+++++++++++++++


日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(バングラデシュ)-126

6)バングラデシュを歩く

日記から-6

2月18日 (土曜日) 快晴

 朝食を昨夜から親しくしていた山岳民族(Hill tribel)の人と取る。
彼は昨夜のチャ(紅茶)と今朝の朝食を奢ってくれる。ありがとう。
彼はこのバングラデシュ人には珍しく顔が東洋人のようであり、日本人にそっくりである。
だからか、よく気が合うのかもしれない。彼は蜂蜜の会社で働いているそうだ。

 ところで、俺は「早くこのバングラデシュを歩き終えたい、終えたい。」と思って歩いているようだ。
潜在的にそう思っているのか、マレーシアを見ているからか、イスラム教の国は俺に合わないのかも知れない。
とは言っても、彼らは俺に石を投げたりしたが、何もこれと言って俺に被害を加えているということもないのだが、、、、
この国の人々が俺の後をついてきたり、分からない言葉で俺に話しかけてきたら、俺は怒ったように話をし、何時も腹を立てているように思うのである。
俺は一体何者なのだ。俺はどうして何時も怒っているのだ。
俺はこの国より先進国から来たし、俺は彼らより学識があるということで上からものを見ているのではないか?
もっと同じ地点から彼らと一緒に話したり接したりしないとここ(この国)にいる意味がないと思うのである。

 とは言うものの昨日、PattayaにはJOCV(海外青年協力隊)がいると言うので、今朝はそこを尋ねてみた。
これはバングラデシュ人とは離れて、心に安らぎを得たいと思ったからである。
マレーシアでも自分から日本人を求めて会ったことがなかったのに、俺もずいぶん弱くなったものだ。
結局、今朝はJOCVに日本人がチタゴンへ出張していなかったので、俺はそのまま歩き続けた。

 俺も今日はチタゴンまで歩いた。
バスとトイレが付いている宿泊料が25タカのホテルで泊まる。
このホテルはコックスバザールで泊まったボーディングハウス(宿泊料20タカ)と比べると大変良いところだ。

出費 50.40タカ

================================================================================
筆者は現在、韓国に住んでいて以下の様な韓国とのビジネスサポートをしています。よかったら見てください。
www.shozonkb.com
================================================================================