徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-185

2011-02-28 08:35:01 | 世界徒歩旅行記

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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-185

8)ネパールを歩く

日記から-8

4月19日 (木曜日) 快晴

 朝6時前に起き、荷物をまとめて、茶店に行きチャイ(紅茶)を飲んでいると皆が集まってきた。
7時ぐらいに7人皆で写真を撮る。俺のカメラをダージャリンで失ったのが今更ながら悔やまれる。
出発する時、皆からクラッカー、ビリー(タバコ)、マッチなどをもらう。嬉しかった。
皆の親切が痛いほど分かる。ありがとう!

 歩き出ししばらくすると、Bhojpurに行く途中の所でカナダ人に会う。
この人はボランティアで働いている人である。初めこの人を見た時は旅行者かと思った。
話をしている内に、彼はBhojpurの彼のオフィースに帰る途中だというのである。
それで、彼は俺に泊まって行けと勧め、俺は彼の所で一泊することにした。
彼のオフィースはBhojpurから少しはずれの所にある。

 夜はカナダ人のボランティアの彼、Perterとロキシー(焼酎)を飲む。
彼の話では日本のJOCV(海外青年協力隊)は結構お金をもらっている、それではボランティアではなく仕事だと言うのである。
カナダのボランティアやアメリカのPeace Corpは本当に些細なお金しかもらっていないと言う。
また、よく外国の登山隊がここの近くを過ぎる時は大変な騒ぎになるそうだ。
彼らはお金をがばがば使い多くの人々を雇い登山するのだそうだ。
俺も8000m以上の山を登りたい気持ちは非常にある。
が、その前に6000m以上を登るときのライセンスのために100万円が必要であると言う。
それに地元の人々を雇わなくてはいけないというから、経済問題と人々を多く連れて行くというので、8000m以上の山は登りたいが、俺は登る気にならない。
俺がエベレスト山を登るにしても単独だろうな。今の俺の体力なら8000m以上の山を登れるのにな。

 結局、今日は4時間の行程を3時間かけて歩き終わってしまった。
Perterに会わなければ、もう少し歩いていたのに、、、、

出費 33.00ネパールルピー

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-184

2011-02-27 08:25:35 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-184

8)ネパールを歩く

日記から-7

4月18日 (水曜日) 晴れたり曇ったりそして夕立

 今日一日このTiwari Bhanjyangの村にいることにした。
あまりにも小さな村なので、何もすることがない。
村には小さな銀行の下に3軒くらいの店があり、その真ん中の店の2階に昨日泊まったのである。
その銀行の屋根はというと、屋根が少し前に風で飛ばされたので、多くの人が今修理している。
その様子をしばらく見ていたが、これもすぐに飽きてしまうが、本当にノドカで良い。
この村の村長が皆と話をし、銀行に集まる人などの様子を見ていると本当に山奥の小さなエーリヤだけのことである。
この様なことが日常のことで平和で良いと思うのである。

 もう一つフォトグラファーの仕事も見せてもらう。
この本当に小さな村にフォトショップがあるのである。主人のMr.Siwahatが一人ですべての仕事をするのである。
5×5mmのフィルムを使用する日本のカメラを1つ使い、パスポート大の写真を撮るのである。
こんな田舎の村ではこの顔写真など必要なのかと軽く思っていたら、とんでもない結構多くの人が来るのである。
だから、この主人は一人では大変そうである。もちろんこの写真は白黒である。
(ちなみにこの前なくした俺のカメラに入っていたフィルムはカラーであった。)
白黒写真だから現像も焼きつけも彼一人で出来るが、焼つけの時には電気がないのでロウソクでするのである。
このロウソクでの焼つけの技術はたいしたものであるし、非常に良いものを見せてもらった。
さて、村人にとってはあまり楽しみがないからであろうか?写真を撮るときの皆の期待と真剣さが伝わってくる。
これが数少ないリクレーションの一つなのではないだろうか?
だから、写真を受け取りに来た人々の嬉しそうな顔と満足そうな顔が忘れられない。

 夕方から「ロキシー」が始まった。(酒飲みが始まった)昨日と同じメンバーである。
これが始まる前、一匹の鶏が犠牲になったようだ。ごめん!そして昨日と同じように酔った。
英語を話さない村長そして警察官、その彼ら2人からの痛いほど親切が伝わってくる。
そして、終わりにはネパールの歌と踊りである。彼らの歌や踊りは楽しいものが多い。
山の小さな村に暮らしているわりには驚いたことに、彼らは他の国の歌を知っていたり、他国にも行ったことがあると言うのである。
それにしても、俺は日本の民謡や歌で楽しい歌をお思い出せなかったのは残念だ。
俺も歌を歌ったのだが、彼らの歌の様に人を楽しませるという意味では負けてしまったようだ。
結局、3曲歌った。

出費 1.25ネパールルピー

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-183

2011-02-26 08:35:18 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-183

8)ネパールを歩く

日記から-6

4月17日 (火曜日) 夜中に雷雨そして快晴、夕立

 夜中に風と雨の強いのが来た。
昨夜、テントを川原で張ったが、山小屋の人が川原は危ないというので、高い所にある畑に移った。
その時も食事を作るのと暗くなるのを待つなどで、時間がかかっていた上にロキシーを飲み、酔いでたやすく移動できないほどであった。

 この山道に入って初日は足に焼けどから始まり、2日目には嵐のような風と雨の中のテント。
そして、今日はたやすく茶店を探すことが出来ず、今朝の朝食一回だけしか取っていない。
だから、夕方は歩くスピードが落ちて、休み、休みであり最後は動けない状態で小さな村に入ってきた。
その村はBhojpurという町から4km手前の所にある村である。
その村に着き、あまりにも疲れたのである家の前で座り込んでいたら、人々が茶店を教えてくれたのである。
やっと、茶店に入り、食事が出来るか聞いたら、ドルカレー(汁のようなカレー)と乾燥したライスを出してくれた。
その食事をして、腹が落ち着いたら、そこに英語の出来る2人の人が現れた。
俺はまともな状態で彼らと話をすることが出来、彼らはこの村で泊まらせてくれるという。
その宿所は食べた店の隣にあり、そこに移動して、話を始めるとロキシー(焼酎)が出て来て、他に多くの人が集まってきた。
そして、そのほとんどの人が政府関係の役人で彼らは結構偉いようである。
また、彼らはここが故郷ではなく他の地域から来て一時的にこの村で働いていると言うのだ。
この村は本当に非常に小さい。が、良い感じの村である。

 この村に着いてしばらくしたらまた、雨が降り出した。
ここの人の話ではこのシーズンは毎日この様に夕方雨が降る天気だそうだ。これから先、夕方までには何とか家を見つけないと、雨でビショ濡れになりそうだ。

この村で知り合った人々
フォトグラファー   Mr. Sitaram Siwahat
銀行の上の方の人   Mr.Khem Nath Adhikari     一緒に泊まる。
泊まった家のオーナー Mr.Dharma Prasd Tiwari
面白い警察官     Mr.Hari Bhadure Korki
水道局の人      Mr. Rudra Neapanee
銀行のガードマン   Mr.Bhim Subba

この村の名前は Tiwari Bhanjyang  Bhojpur-district,Koshi-zone ,Neapul

出費 17.00ネパールルピー

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-182

2011-02-25 07:40:27 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-182

8)ネパールを歩く

日記から-5

4月16日 (月曜日) 晴れ、うす曇

 昨夜、紅茶を飲もうとテントの中で湯を沸かしていた時、右の足首の内側にそのお湯をいやというほど溢してしまった。
このところ足の靴ずれ以外は怪我がなかったのに、、、、
しばらくして、その部分を見ると大きな水脹れが出来ていた。今後、うまく治って跡が残らなければ良いのだが、、、
それにしても足の裏もあまりよくないのに参った。 とにかく、綺麗に治ってくれ!

 Dhankutaという町で銀行に行き、お金を換える。
ここではT・Cを換えるのに、えらく時間がかかった。

 その後もまだ、道路が続いている。ただし、もう舗装はされていない。それがHileまで13km続く。
その途中にJOCV(海外青年協力隊)の隊員がいるという話をイギリス人に聞くが、その隊員には会うのを止め、歩き続ける。
Hileからは完全な山道である。今日は山を2つ越えて来た。そして、川に下ってテントを張る。
明日は山道の登りからである。きついぞ!

出費 21.25ネパールルピー

 


12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-181

2011-02-24 05:29:31 | 世界徒歩旅行記

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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(ネパール)-181

8)ネパールを歩く

日記から-4

4月15日 (日曜日) 晴れでもすごく曇っている

 昨日はロッジに泊まったので、朝は寝坊をしてしまったようだ。
9時になり、昨日夕食を食べた食堂に行く。皆はまた親しく話しかけてきた。
この店の雰囲気が良く、また朝食を食べに来たのである。

 その後、銀行が開いているというので、顔を出す。
ネパールでは土曜日が休みであるが、日曜日は10時から開くというのである。
10時は遅すぎるがヒョットすると、銀行がその前に開くかもしれないと思い顔を出したのである。
しかしやはり、銀行は10時にしか開かないということで、これ以上遅くなるのは厳しいから出発。

 昨日より、車がすれ違う数が少ない。今日は午前中に山を登り、午後からは下りが多い行程だ。
昨日の酒がまだ残っていて、それがまた、山の登りにはきつい。
午後の山の下りで降りてきたら、川沿いは何処でもテントを張れそうで、早く今日はテントを張りたいと焦る。

 ダンクタ(Dhankuta)という所への登りに入る前の大きな川の橋を渡った辺りでテントを張る。
この辺りでは人々の数が少なくなってきているので、見られてもあまり気にならない。
彼らは俺がテントを張るのを珍しそうに見ている。
それでも、あのニュージーランドの時のように人がいないような状態ではない。
ここはそれにしてもアジアにしては人が少ないほうだと言えるだろう。

 暑いので、川原に行き、川の水を浴びる。スッキリした。

 今日のことで思い出すことは昼に2杯のドゥパ(ラーメン)を食べたのだが、10ネパールルピーは高かったように思う。
やはり、食べた所が山の頂上だったということで、高かったのだろうか?

 今日の夕食はテントで久しぶりに自炊をする。メニューはトマトと米だけである。
あ!それにロキシー(焼酎のような酒)、、、ロキシーは4ネパールルピー。

出費 17.50ネパールルピー