徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

8、オーストラリアを歩く-104

2010-03-31 17:45:42 | 日記
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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8、オーストラリアを歩く-104

・日記 12-84

1月20日 (木曜日)  快晴  86日目

 今日は歩きが非常に早い。道路に上下があっても毎時6km近くで歩いている。
この数日の道路の上下で歩きに慣れが出てきたようだ。
だから、Yass に6時ぐらいに着く予定だったが、5時に着くことが出来た。
しかも、今日は充分な休みまで取ってのことであるので、完全に道路の上下に慣れてきたということであろう。
ここ4日間は上下の道に慣れるために少し無理をしたかもしれない。
明日からはユックリ歩くことにする。

 Yass のキャラバンパークに泊まろうと価格を聞いたら、一泊5.50ドルだそうだ。
それだったら町の安ホテルで泊まったほうが良いだろうと思い、ホテルを探す。
探したホテルが一泊9ドルなので、そこで泊まることにする。
それにしても、自分のテントを使いシャワーだけ施設を使うキャラバンパークが5.50ドルであるとは非常に高い。

 ホテルを見つける前にラジオを買おうと思い電気屋に入る。
そこでは小さく持ち運ぶラジオが前はあったそうだが、今はないと言う。
それでも一生懸命探してくれ、いろいろな話しを長くする時間があった。
俺が山には木が少ないのではないかと聞くと今までは皆が木を切り倒してしまったのだと言う。
しかし、近年ではそれが許されず、木を植えるように変わってきているというのである。
それとこの辺はウールで使う羊がすごく多い所だそうだ。

 夜は何時ものようにホテルの飲み屋に入る。
ホテルとはこんな所が便利である。自分の部屋から下におりて行くと酒が飲めるのである。
この飲み屋の終わる時間が10時で、カウンターの隣の席の男とそれまで飲んでいた。
結構その男と気が合い、楽しく飲めた。

出費 A$25.00



8、オーストラリアを歩く-103

2010-03-30 20:41:29 | 日記
私は現在韓国に住んでいるのですが、今日本に中古のヨットを買いに来て書類の件で時間がかかっています。
思うようにインターネットが使えず、投稿をつずけるのが大変です。
それで毎日書きつずけられなくて申し訳ありません。
それでは何時ものように書きます。
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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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8、オーストラリアを歩く-103

・日記 12-83

 1月19日 (水曜日) 快晴  85日目

 約一週間前に壊れたラジオを直し直し使っていたが、昨夜、懐中電灯を点けながら直した。
それでもこれ以上直すことが出来ず、このラジオを捨てることにした。
ここしばらくは朝夕の余裕のある時間にラジオを聴けない。またラジオを聴かずに歩かなくてはならない。寂しいものだ。
次の町、Yass でラジオを買えるだろうか?

 今日は昨日より少し暑いと思う。
そして少し、うす曇りがあるように思える。その様な状態の中、今日も55~56km歩く。
昨日、今日と道路の高低があり、なかなかきつい。
きついと言っても足の太股だけに負担がかかるだけで、後は今までと同じである。
やはり、明日Yass に着くには今日最低54kmは歩かなくてはいけない。

 羊のことである。
毛を刈る前は毛が長く羊らしいく良いのだが、毛を刈ってしまったやつは何とも見っともない動物である。
羊が毛を刈った後は足が結構細く長いのである。
前に羊の毛を刈る職人に聞いたのだが、1年に1回、毛を刈るようである。
それにしてもあんなに1年で伸びるのだろうか?

 小さな丘を多く見ることが出来るが、悲しいかな、どの山もあまり木が生えていない。
どちらかというと山が坊主に近い。本当にこの国は濃い緑が少ないようだ。
多くの人の話しでは、昨年、今年と2年間(他の人はこの7年間)雨が降らず、干ばつが続いていると言う。
それが原因で緑が少ないという話もある。
大陸全体が塩分が多いこと、水が少ないことなどこの国に緑を増やすための努力は並大抵ではないようだ。

 今までは歩ていて何処でも止まって、すぐにその場所で立ちションが出来たのに、このルート31号線に入ってからはさすがにそれが出来ない。
昨日からはこの31号線にアデレードからの国道20号線も一緒になり、一そう車が多くなったからである。
だから、朝と、夜はテントの中でも車の通る音がうるさい。
その中でも特に、トラックの音はより一そう大きく、頭に来る。

出費 A$9.40



8、オーストラリアを歩く-102

2010-03-27 10:45:00 | 日記
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8、オーストラリアを歩く-102

・日記 12-81

1月18日 (火曜日) 快晴   84日目

 この辺は町が近いし、暑さが和らいできたので、水も食糧もあまり持たなくてすみ、非常に荷物が軽くなる。
だから、歩くのも軽くなり、楽に歩ける。ただし、これは平らなところでの話しである。
今日は珍しく山を越える。山に入ると人家もないので、水と食糧は運ばなければいけない。
そうなると、さすがにその時は一時間に6kmは歩けず、5km位が精一杯であろう。
この様に朝から夕方まで山を登り下りで水と食糧を一杯運ぶと一日55km歩くとちょっときつい。
だけど、もし、毎日がその様な所を歩くと慣れてしまうであろう。人間とは順応力があるからである。

 今日、坂の途中でパンクしている車があった。
その車の持ち主はおじいさんで困っている所を他の車のおじさん、おばさんが先に直してあげていた。
俺の歩くのが遅いので止まっている車を見つけたが、そこまで着く間にこの様に他の車が助けたのである。
とにかく何て親切な2人であろう。
俺もその後、そこに着いた時、おじいさんの後片付けなどを手伝ってあげる。
このおじいさんはチェコスロバキアからこの国に移民に来たようだ。
彼は日本語を習ったというのだが、彼の日本語は何を話しているか全然分からない。
また、このおじいさんは非常に行動が遅いようだ。
彼はパンクを直し、その道具を片付けるのだが、道具を集めて、しまうまでの行動が非常に遅く時間がかかり、しかも几帳面である。
片付けた後、ジュースをくれて終わったので、早く歩き出したかったが、なかなかそうも行かない。
これは日本人が持っているセッカチであり、日本人の悪いところかもしれない。
それにしても彼は遅すぎるようにも思うのだが、、、
とにかく、このおじいさんは「Take it easy」なのだ。

今、俺は早くこの旅を終わらせたく思い、焦っている。
アメリカ横断の時は「後残り20日間だ。」という時は「もう終わってしまうのか。」と心残りであった。
しかし、この旅は少し違う。苦しかったので、正直な話し、早く終わらせたい。
とにかく、後9日で終わろうと思っている。

出費 A$8.50



8、オーストラリアを歩く-101

2010-03-25 06:01:32 | 日記
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8、オーストラリアを歩く-101

・日記 12-80

1月17日 (月曜日)  快晴  83日目

 今朝、昨日の夕食時にモーテルに頼んであった朝食が届く。
それをおいしく食べて皆に挨拶をしに行く。
ロードワーカーのすべての人には挨拶できなかったが、とにかく出発。

 この大陸の東側に来たので結構人口密度も多くなっているかなと思ったが、Holbrook を出てから、また家が少ない。
まして、ロードハウス(ドライブイン)は一つもない。
地図には小さな村の名前があるり、店ぐらいはあるであろうと思ったが、両方ともそれがない。

午後は水がなくなり、水を手に入れる所がない。それで、明日まで我慢するかと思っていた。
そんな訳で水を手に入れるのは諦めていたのに、家が道路の近くにあったので、その家から水をもらうことが出来た。
この様に水を人家からもらうのは始めてである。

出費 A$0.00



8、オーストラリアを歩く-100

2010-03-24 07:44:50 | 日記
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8、オーストラリアを歩く-100

・日記 12-79

1月16日 (日曜日) 快晴  82日目

 Holbrook という所に朝10時ぐらいに着く。今日は日曜日だからか、街には人通りが少ない。
ここを歩いていると呼ぶ人がいるのである。知っている人がいるではないか。
こんな嬉しいことはない。
その人は昨日会ったロードワーカーのボスである。
彼らロードワーカーは皆シドニーからの人々で、この様な町のモーテルで泊まりながら、道路を修理しているのだそうだ。
今日は日曜日で彼らの仕事は休みである。
そのボスはコーラをくれ、皆が泊まっているモーテルに案内してくれ、お茶でも飲んで行けと言う。
お言葉に甘えて、モーテルに行くと、そこでは皆が昼からビールを飲んでいるので、それに甘える。
食べ物もあり、たらふく飲み、たらふく食べる。


ロードワーカーの人達と楽しく過ごしている俺である。

その後はこの町を出るつもりであったが、彼らは飲み屋に行こうというのである。
結局、昨日歩いた時に通ったArfa Dunger Club という飲み屋に行く。
その飲み屋のメンバー(会員)にロードワーカーの人達数人と俺が一緒になる。
その後、元の町に戻り他の飲み屋に入り、プールという普通より大きな台のビリヤードをする。
モーテルに戻ると、今晩はJim という人の部屋の相棒がいないので、そこで寝て行けということである。
シャワーを浴びて出てくると、彼らが仕事をする時に着るTシャツをくれる。
これで俺も今からロードワーカーである。
また、夕食はそのモーテルの食堂で食べ、まさにこのロードワーカーの中のメンバーになったようだ。
シコタマ遊んで、食べて、飲んで、物を貰い、泊まることになる。こんなことで良いのだろうか?
夜、寝る前にボスとまた少し話しをしてJim の部屋で寝る。
本当に彼らは良い人たちである。また、アッサリして気持ちよく、面白い人々である。
今週の金曜日にはシドニーに戻るそうである。シドニーではまた会えそうだ。
今度は俺が奢りたい。
それにしても久しぶりのベッドで寝ることになる。ありがとう!

出費 A$10.00