発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(フランス)-589
22)フランスを歩く
日記から-15
7月28日(日曜日) 曇り 晴れ
今日は歩かないで、このY.H.にもう一日泊まる。
昨日のウルグアイの彼女が今朝は見えない。彼女に嫌われたのではないだろうか。
とにかく、昼の間Y.H.には、いることが出来ないので外に出る。
そして、朝からビールを飲みながら友人が送ってくれた「竜馬は行く」を読んでいた。
その後、昼からはワインに替えて同じ様にその本を読んでいた。
読書に集中していたからだろう、過ぎる時間が非常に早く感じた。
歩いている時も一生懸命歩くと同じ様に時間が過ぎるのを早く感じる。
Y.H.に戻ってもいい時間になり帰ったら、ウルグアイの彼女がいるのである。
彼女に会って話をすると今朝はお互いに見えなかっただけで、嫌われたというものではなかった。
それで彼女と夕食をしながら話をする。彼女は丸顔の女の子で体が太ることを非常に気にしているようだ。
だからだろう、砂糖を使わずにサッカリンを使っている。僕は一度だけ止めた方が良いと言ったが、これ以上言えない。
何故なら、彼女は僕の恋人ではないからである。
それにしても、彼女はまだ若く、女の子一人で南米からこのヨーロッパまでくるのであるから、勇気も頭も金もあるのであろう。
(彼女はまだ10代か、20代前半であろう。)
夜には5フランのビールを飲みながら、ウルグアイの彼女も含め、いろいろな人と話をしていた。
話題はコンピューターについてである。(この時点ではまだコンピューターが出始めたばかりである。)
このコンピューターと言っても、最近は驚かない。オ-ストラリアの田舎でも、それを見ているからである。
今日の最後にコンピューターの専門家が数人の人に数学の質問をしたが、僕はその答えが分かったが、他の人は分かっているのだろうか?
それで僕はただ笑っているだけであった。
出費 63.80フラン
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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