発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロ
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(再インド)-268
9)再びインドを歩く
日記から-50
8月23日(木曜日) 晴れのち雨
昨日泊まらせてくれたレストハウスのマネージャーは朝食までくれると言っていたが、彼が来るのは10時にならないと来ないと言う。
そんな訳で今いる人には朝食をくれとは言えず、出発。
それでも出発する前は暖かいお湯を使ってシャワーをし、体全体を暖め、綺麗にして出発した。
気持ちが良かった。(この東南アジアやアジアではお湯を使えるような高級なホテルでは泊まっていないからである。)
夕方、今日35~36km歩いた所でツーリストロッジがあると言うので、そこまで行くときに雨が降り出す。
この雨が本格的に降り出す。それが半端でなく体はずぶ濡れである。
降り出しは霧のような感じで強くなかったのであったが、その後目茶目茶降り出した。
こんな時は不思議と雨宿りするところが見当たらないものである。
やっと、そのツーリストロッジがあるという村に着いたが、そこは泊まるのに150ルピーまたは75ルピーだと言う。
その価格を聞き、アホらしくて外に出る。その外には茶屋の一軒だけである。
だから、濡れた冷たい体にムチを打ちまた歩き出す。そして、5km歩いた所に駅があった。
ここも駅と茶屋だけである。仕方がなく駅で泊まれないか聞いたら、泊まっても良いと言うのである。
助かった! それだけではなくチャーイと夕食もくれた。ありがとう!
この駅では彼の考えがどのように変わるかまだ分からないので、その濡れたままで、その駅員のするチェスを見ていた。
俺の格好は濡れた半ズボンとTシャツである。この寒い格好で、チェスが早く終わらないか待っていたのである。
やっと、9時に夕食を取ることが出来た。その後は比較的早く眠ることが出来たので助かりはした。
この駅員は駅に異常がないか見回っているガードマンの役割である。
彼は酒に酔っ払いながら「お前はどこへ行くのだ」などと分からないヒンディー語で話しているようなのである。
この様に彼が話す時、彼は息を俺に吹きかけながら話すのである。やめてほしい。
それにしても酒を飲みゲームをし、のんびりして、ガードマンの仕事が出来るのだろうか?
出費 10.75ルピー
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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。
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