徒歩旅行、世界一周、3万4千キロ

過去の世界徒歩旅行の記録を紹介

世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1024

2016-02-21 08:48:05 | 世界徒歩旅行

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-643

その7

11月14日(木曜日)

 昨日はあのスチアートのヨットでのパーティーの後、またヨットハーバーから離れて、昨日の空き地でテントを張った。
2日続けてテントであったが、テントでの生活はやはり気楽で僕にとっては悪くないものである。

 今日はクアルデェラという隣町まで行き、ホテルに泊まる。
それは明日からヨットに乗るので、洗濯やシャワーを浴びたかったからである。
このホテルはRedidencial Mario という名前である。
このホテルは新しく、部屋にはトイレがあり、自炊する所もあり、綺麗である。
宿泊料が900エクスードである。
冬のこのシーズンでは人も少なく泊まるには良いようだ。
早速、魚料理を作り、リラックスする。良いものだ。



11月15日(金曜日)

 今日はヨットに乗る日である。
ヨットの名前はChristopher Columbus である。
前にも書いたように42フィートの2本マスト、ケッチである。
このヨットのクルーは、デンマークのペアでベンダ(女)とヤン(男)
カナダのペアで2人、そして、オーナーのアレン、そして僕の6人である。


yacht-1.jpg
ヨット、Christopher Columbus 

yacht-9.jpg
ヨットの中、キッチン


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筆者は現在、韓国に在住して、以下の様な韓国ビジネスサポートをしています。韓国に関して聞きたいことがあれば、そのホームページをご覧になり、お聞きください。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1023

2016-02-14 07:54:59 | 世界徒歩旅行
発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-642

その6

11月13日(水曜日)

 朝は久しぶりにお湯を沸かし、コーヒーを美味しく飲む。
テントのシートが夜露で濡れていたので、乾くまで太陽のよく当たる所に置いておいた。
そのテントのシートが乾いたのは8時過ぎであった。それをユックリたたむ。

 今日はポルトガルに入った日に会ったイタリアで英語の教師をしているイギリス人の旅行者が訪ねろと言った人をこのヨットハーバーで探す。
その彼は以前ここでそのヨットに乗っていたのである。そのヨットのオーナーは良い人だということから僕に訪ねろと言うのであった。
先ずは、また昨日の飲み屋に行って見る。昨日も探したが、やはり その人はいないと言う。

 それでこのヨットハーバーの管理オフィースに行って聞いて見た。
やはり、その様な人はいないと言う。ただし、このオフィースでは他の人の名前を教えてくれた。
その人の名前はBenと言い、このヨットハーバーでは知らない人がいないくらい有名な人であると言う。
そして、彼に会ったら、やはり見るからにその様に人を包み込むような人である。
だから、オフィースでは彼に僕が探している人を聞いてみたら良いと言うのであろう。
しかし、やはり彼に聞いても同じで、英語の教師から聞いたヨットのオーナーはいないと言う。
仕方なくこのヨットに乗るのを諦めるかと、途方にくれているところに、そのBenのヨットの隣のスチアートという人が親切にしてくれた。
彼がいなかったなら、僕はヨットに乗るのを諦めていたかもしれない。

 そのスチアートという人はイギリス人で2人の子供とワイフの合わせて4人家族で、45フィート、一本マストのヨットに乗っているのである。
彼、スチアートの話では
この時期、貿易風を待っているヨットのオーナーはクルー(ヨットの乗務員)を探していると言うのである。
ヨットで長い航海をするとなるとオーナー一人ではウォッチを一人でしなくてはいけないからである。
このウォッチ(当直)とは大きな船は自動操縦しているので、小さなヨットが大きな船の針路や障害物を見て衝突しないようにすることである。
それでそのウォッチのためにヨットのオーナーはクルーを探しているのである。
一人でウォッチをやれば、24時間休むまもなく、船や外の状況に気を使わなくてはいけない。
ところが、2人でやればその役割分担が半分になるのである。そのウォッチ以外にも何かヨットの経験があればオーナーはもっと歓迎である。
だから、大きなヨットは少しでも多くの人を乗せたら、楽に航海ができると言うのである。

 それで、スチアートは必ず、ヨットに乗ることが出来るから心配するなと言うのだ。
そして、彼は言うだけではなく、実際に数件のヨットを当たって、クルーがいらないかを聞いてくれた。
その結果、一つのヨットを見つけてくれたのである。本当に彼には感謝する。
それに夕食まで彼のヨットで出してくれた。

 その夕食の後は僕が乗れるようになったヨットのオーナーがスチアートのヨットにやって来たのである。
そのオーナーの名前がアレンである。それに加えスチアートの友人も集まってくる。
このスチアートのヨットは社交の場になってしまった。
僕が乗ることが出来るアレンのヨットは42フィート(約12.8m)で少し古いが2本マストの個性的なヨットである。

yacht-2.jpg
これから乗る2本マストのヨットとクルー達。

明日からが楽しみだ。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1022

2016-02-09 07:56:45 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-641

その5

11月12日(火曜日)

 今日はFaroを離れ、Viramouraへ行く。
夜にこの村に着く。ここは周りにあまり家がなく、ヨットハーバーだけのような村である。
従って、安いホテルなどはなく、今日はこのヨットハーバーから少し離れた空き地でテントを張る。
僕のテントは小さい半円を作るテントポールが折れてしまっていたので、生えている木を切ってそのポールの代用とする。
生きている木には申し訳ない。「木さん!ごめんなさい。」

 その様にテントを張って、夜にヨットハーバーの飲み屋(クラブハウスの中)で名前が「Wellis’s Bar」という所に行く。
ところで、テントを張ったまま、荷物も置いて、テントを離れるということは今までにあまりなかった。
テントを荒らされたり、物を盗まれたりすると思ったからである。
実際、周りには少ししか家がないので夜はほとんど人通りがないのであるが、、、、

 とにかく、この飲み屋で情報を集めに出かけて行ったのである。
この飲み屋はヨットハーバーの中にあるので、ヨットの人々はここに飲みに集まるのである。
ところが、そこでは思ったほど情報が集まらず、夜9時にはテントに帰って来た。
明日から本格的にしかも積極的にヨットを探そう。

 ヨットハーバーから離れている自分のテントに帰って来て、無事にテントがあることに安心する。
また、歩き終わってからの期間一ヵ月半ぶりにテントで寝るのである。懐かしい。

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世界一周、徒歩旅行、追加:ヨット編-1021

2016-02-04 04:32:58 | ヨット

発展した時代、昭和に生きた若者の徒歩+ヨット旅日記
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世界徒歩大旅行記3万4千キロを終え、追加編:ヨット
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日本、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドの約15,000kmを歩き終わり、1983年10月10日から1985年9月27日まで約2年間シンガポールからポルトガルのヨーロッパ大陸最西端であるリスボン近くのロコ岬まで約19,000km徒歩で横断。
その後、ポルトガルからヨットに乗るストーリー

13、ヨットに乗るまで-640

その4

11月10日(日曜日)

 今日はポルトガルに再び入る。
このポルトガルの南の海岸の町、Faroという町である。
この町はポルトガルの南の町では大きい方である。だから、ヨーロッパのツーリストスポットになっていて旅行者が多い。
だから、僕も観光客と思われて不当な値段を吹っかけてくる。即ち、ボルのである。
何だかこの町はふとインドにいるような感覚になるのである。
即ち、金を持っている人からお金をセビるのは当たり前なのだという感覚である。
これはアジアでは当たり前であったのに、ここに来て久しぶりに頭に来ている。
とにかく、久しぶりにアジアを感じた。それはこの国もアジアに似ているからであろう。

11月11日(月曜日)

 11日もFaroという町で泊まり、2日間はここにいた。
ここにいる間、決意を強いられた。少し神経も使った。
それはこれから行くViramouraというヨットハーバーで会ってもいない人にヨットに乗っけてくれと英語で話をしなければならないからである。
このヨットハーバーのことは僕が歩いていた時の初めてポルトガルへ入った日に会ったイギリスの旅行者から聞いたのであった。
また、彼は僕にこのヨットハーバーへ訪ねて行ったら、良い人を紹介までしてくれた。
だから、明日僕はその会ってもいない人にお願いし、ヨットに乗ろうとしているのである。
僕はヨットに乗ったことがないので、クルーとしては足手まといであるだろう。
また、それでは僕が料理ができるか、というと? オーストラリアではキッチンヘルパをしていたが、西洋人が好むもの作れるか?
西洋料理の種類もあまり知らない。
これではヨットのオーナーに訴えるものがないではないかと思うのである。
これでは、まるで試験の前の受験生の心情である。

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