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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-2
その他、シドニーでの2週間の休みの内には旅の途中Port Augusta 近くの休憩所で知り合ったColin,Micky,Windy 達とも再び会った。
始めはMr.+Mrs. Christie の家で彼らに会った。
このChristei家では酒は飲まなかったので、この老人夫婦は私が酒を飲まない日本人だと思っていたことだろう。
だが、その老人たちの前で、Colin は私を酒でも飲みに行こうと誘った。
せっかく、おとなしく良い日本人を装っていたのに、化けの皮がはがれてしまった。
その日はColin達が酒を奢ってくれた。
だから、次の週に日本食を私がご馳走してあげるということでまた会った。
しかし、彼等がまた結局お金を出してしまった。
何と言うことだ!
ニュージーランドのビザの事を聞くのと日本語を話したかったので、市内にある日本人事務所に行った時のことであった。
担当者と話をしていたら、隣の人が「中村さんではないか?」と言うのであった。
担当者とはオーストラリアを歩く前に一度会っていたので、歩いた内容を話しているときのことであった。
それにしても「どうして私の名前を知っているのか」と聞くと、歩いている時に一番初め会った日本人自転車野郎の友達であった。
私の話しをその自転車野郎から聞いて知っていたと言う事であった。彼とも友達になった。
彼はワーキングホリデイで長期のホームスティーをしていた。
そのホームスティーの家はというとHarbor bridgeを西側から真正面に、しかも大変近く見ることが出来る一等席の場所であった。
家の庭の終わりが海につながり、そこにはボートが係留されていた。ボートを格納しておく屋根までついていた。
この海はあまり潮の干満もなく台風もないので、家が海の真横まで作れるようだ。
もっとも、家は岩盤の上に出来ているので庭は坂になっている。その下ったところで庭が海と接していた。
家はもちろん大きくすばらしい家であった。
私はアメリカでもガーデナー(庭師)をしていたので、アメリカの金持ちの家の庭をよく見て知っていた。
それはスイミングプールのある家、テニスコートのある家などである。
それでもこの様に海に接してボートがそこに接岸している家は見たことがなかった。
この様な家に住んでみたいものであった。うらやましい。
さて、この家でホームスティーをしている彼はここで何をしているのかというと、左官をしてあげているのだそうだ。
彼はオーストラリアの家は適当に作っていて、トイレの床のタイルなども排水のために排水溝に流れるように傾斜が作られていないと言っていた。
日本の職人は本当に優秀だとその時に思ったものであった。
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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9、ニュージーランドを歩くまで-2
その他、シドニーでの2週間の休みの内には旅の途中Port Augusta 近くの休憩所で知り合ったColin,Micky,Windy 達とも再び会った。
始めはMr.+Mrs. Christie の家で彼らに会った。
このChristei家では酒は飲まなかったので、この老人夫婦は私が酒を飲まない日本人だと思っていたことだろう。
だが、その老人たちの前で、Colin は私を酒でも飲みに行こうと誘った。
せっかく、おとなしく良い日本人を装っていたのに、化けの皮がはがれてしまった。
その日はColin達が酒を奢ってくれた。
だから、次の週に日本食を私がご馳走してあげるということでまた会った。
しかし、彼等がまた結局お金を出してしまった。
何と言うことだ!
ニュージーランドのビザの事を聞くのと日本語を話したかったので、市内にある日本人事務所に行った時のことであった。
担当者と話をしていたら、隣の人が「中村さんではないか?」と言うのであった。
担当者とはオーストラリアを歩く前に一度会っていたので、歩いた内容を話しているときのことであった。
それにしても「どうして私の名前を知っているのか」と聞くと、歩いている時に一番初め会った日本人自転車野郎の友達であった。
私の話しをその自転車野郎から聞いて知っていたと言う事であった。彼とも友達になった。
彼はワーキングホリデイで長期のホームスティーをしていた。
そのホームスティーの家はというとHarbor bridgeを西側から真正面に、しかも大変近く見ることが出来る一等席の場所であった。
家の庭の終わりが海につながり、そこにはボートが係留されていた。ボートを格納しておく屋根までついていた。
この海はあまり潮の干満もなく台風もないので、家が海の真横まで作れるようだ。
もっとも、家は岩盤の上に出来ているので庭は坂になっている。その下ったところで庭が海と接していた。
家はもちろん大きくすばらしい家であった。
私はアメリカでもガーデナー(庭師)をしていたので、アメリカの金持ちの家の庭をよく見て知っていた。
それはスイミングプールのある家、テニスコートのある家などである。
それでもこの様に海に接してボートがそこに接岸している家は見たことがなかった。
この様な家に住んでみたいものであった。うらやましい。
さて、この家でホームスティーをしている彼はここで何をしているのかというと、左官をしてあげているのだそうだ。
彼はオーストラリアの家は適当に作っていて、トイレの床のタイルなども排水のために排水溝に流れるように傾斜が作られていないと言っていた。
日本の職人は本当に優秀だとその時に思ったものであった。