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日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-88
3)タイ編
日記から-52
1月8日 (日曜日) 快晴
この辺りは本当に町がない。
今日は水を持たずに歩いたので、今日の夕方は水が手に入らないのかと少し焦る。
何故、水を持たないで歩いていたかというと、昼飯を食べた時に少し英語が話せる奴のせいである。
彼はこの国道一号線即ち、アジアハイウェー沿いは小さな村が幾つもあると言うことから、安心して歩いていた。
しかし、実際は町と町を通るのではなくバイパスのような形式になっていて村のような所も通らない。
おかげで、夕食も食堂では食べられず、水田で田植えや稲刈りの時に休む四方が開けっ放しの小屋の近くに水があり、その水で自炊である。
材料もないので、ただのスープだけを作り、それで我慢する。
今日は夕日が沈む少し前にタイで初めてのテントを張る。
そのテントを張った場所は水が少なく乾いている小川の橋の下である。夕食を取った先ほどの小屋の近くである。
今日歩いた距離は結局48kmでる。
出費21B
日本をはじめアメリカ、オーストラリア、ニュージーランドそしてシンガポールからヨーロッパのポルトガルまで歩いた旅行記です。
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12、シンガポールからヨーロッパまで歩く(タイ)-88
3)タイ編
日記から-52
1月8日 (日曜日) 快晴
この辺りは本当に町がない。
今日は水を持たずに歩いたので、今日の夕方は水が手に入らないのかと少し焦る。
何故、水を持たないで歩いていたかというと、昼飯を食べた時に少し英語が話せる奴のせいである。
彼はこの国道一号線即ち、アジアハイウェー沿いは小さな村が幾つもあると言うことから、安心して歩いていた。
しかし、実際は町と町を通るのではなくバイパスのような形式になっていて村のような所も通らない。
おかげで、夕食も食堂では食べられず、水田で田植えや稲刈りの時に休む四方が開けっ放しの小屋の近くに水があり、その水で自炊である。
材料もないので、ただのスープだけを作り、それで我慢する。
今日は夕日が沈む少し前にタイで初めてのテントを張る。
そのテントを張った場所は水が少なく乾いている小川の橋の下である。夕食を取った先ほどの小屋の近くである。
今日歩いた距離は結局48kmでる。
出費21B