福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

6年前を振り返り、失われた命に黙祷

2017年03月11日 | 歳時記


みんなの広場前の路上で遊ぶ子どもたち。
その姿を微笑ましく眺めながら、6年前を思いました。

6年前の同じ日の同じ時間、私はこの場所にいました。
高圧鉄塔の電線が揺れに揺れ、路上でもゆらゆらと大きく揺られているような気持ち悪さを感じたことを覚えています。

あの日から私たちはどう過ごしたのでしょうか。
あの時感じ考えたことは、6年後の今どのように解決されているのでしょうか。

節目に振り返り、被災地に思いを馳せながら大切なことを見つめ直そうと、当時のブログを繰ってみました。

11日は情報収集に明け暮れ、翌12日の夜は区役所に駆けつけて市の体制やこの街の様子を確認しました。災害時の情報収集と対応

その後、情報収集にはツイッターが有効でした。必要なのは正確な情報

救援物資の収集輸送に直ちに動き出したのは、地元の教会でした。誉田チャペルから救援物資

千葉市議会の議員団も義捐金を送ることを決めました。救援物資は本日も そして議員団も

学校給食は、牛乳と主食の対応でした。食料品と燃料を届けたい

そして計画停電が始まる。街のスケッチ

千葉市として市民から支援物資を集める取り組みが始まります。今、わたしたちに何ができる?  緑区役所の救援物資 

千葉市内でも被害が大きかった美浜区の状況です。千葉市内の被害状況 美浜区の液状化

原発事故から水道水の安全性について不安が広がりました。水道水の安全性について 

同時に放射性物質への不安感が高まり、学びましたが不安感は簡単には払しょくされません。 見えないことが不安なのかな

さまざまなイベントが自粛され、おゆみ野にも自主規制の空気が漂いました。4月3日は「ふれあい市with笑顔&桜ウォーク

そして再び、情報源について問題提起をし、情報調達どこからしますか?

自粛ムードの中、統一地方選に突入していきました。

振り返ると、
正確な情報が必要なこと。
直ちに機動的に動けるのは、直接現地とつながっている民間団体であり、それは市民の連携によって活きたこと。
被災地から離れた地域では、力を蓄えて被災地を支えること。
蔓延する不安感を払しょくするのは簡単ではないけれど、学び続けること。

6年前の3月のブログを読み返し、この場で私たちは何ができるかすべきかを、繰り返し考えていかねばならないと思っています。

たくさんの失われた命に黙祷を捧げます。


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