昨日は花見川・稲毛・美浜区役所で、10時30分から17時まで乳児(1歳未満)をお持ちのご家庭対象に給水が行われました。
午後には、小学校でも。
柏井浄水場の東側施設の放射線ヨウ素の測定値は25日に130ベクレルを示していましたが(東側施設からの給水は止めています)、26日には(示されたのは27日午後)、63ベクレルに下がっていました。
西側施設は54ベクレルから43ベクレルに下がり、乳児が摂取しても差し支えない数値です。
稲毛区役所の給水現場では、三々五々、親子づれが容器をもって給水に来ていました。
若いお父さんは、「実際のところ、どうなんでしょうねえ・・・。」と、いたって冷静です。
ちょっと救われた気がします。
取り乱した親ほど子どもにとって不安な存在はないからです。
実際のところ、この時点では数値は下がっていたのです。
折しも、その日の午後に緊急学習会を開催しました。
「食の信頼向上をめざす会」がメディアと行っている情報交換会の報告などを聞きながら、安全の指標について学び、考えました。
日本消費生活アドバイザー・コンサルタント協会食生活特別委員会の副委員長蒲生恵美さんも、
「現段階で検出されている放射性物質の値は心配ない。消費者や流通は過剰に反応しないでほしい」【毎日新聞】と言っています。
しかし、参加者からは、
- 洗濯ものが外に干せない
- 朝起きたら不安
- チェルノブイリの大きなヒマワリを思い出す
- 放射能が体にどんどん蓄積するのではないか
- 深呼吸が外で思いっきりできない
- 気持ちが沈んでしまう
- 恐ろしいものばかりが来るので、将来のイメージが構築できない
- 原子炉の構造もわかるほどににわか物理学者になったけれど、どんどん不安になる
などの声がたくさんあがりました。
私たちは、見えないことに対する限りない恐怖心をもっているのだということを、あらためて実感しました。
この場合の見えないものとは二つです。
一つは、放射性物質、もうひとつは、将来に起きること。
前者は基準値を設けて測定し、安全であることを確認する努力を続けながら克服することができます。
しかし、それでも安全であることを認められないとしたら、それはもう・・・。
後者は、これは誰にもわからない。そしてあらゆる場所と時代において、この試練から逃れることはできないのではないかと思います。
先人たちは、この不安をどのようにして克服してきたのか、なぜ今、私たちはそれが受け入れられられないのか。
受け入れられない私たちには、何が足りていて何が不足しているのか。
そんなことを、考え直してみる必要があると感じます。
ただ、原発の状況は日々悪化傾向にありますね、チェルノブイル以上にならない事を願うのみです。
不安が全くない生活は、あり得ないのかもしれませんね。
天命の中で、人事を尽くす・・・。まさにそのことを、以前に、県立千葉南高等学校の卒業式の挨拶で述べたことがあります。
その話の事例も、地震災害の山古志村でのことでした。悲惨な状況の中でも、ひたむきに頑張っている人たちのことを思い、私たちがまずは一歩ずつ進まねば!と思います。