福谷章子のまちづくり

さまざまな役割を持ちながら暮らす中で、日々出会い触れ合う人々、街、文化、自然、出来事についてつづります。

役割を全うする

2018年05月30日 | ひとり言


春菊の花が咲きました。
1cmにも満たない小さな花です。

種を撒いたのは1年で最も寒い1月末です。
春菊の発芽には適していない季節のようですが、思い付きで撒きました。
何とか目を出したものの、ちっとも育たず、ようやく3㎝ほどになって成長は止まってしまったようですが枯れもせず。

抜いてしまおうかと思いましたが、それも面倒でそのままにしておきました。

春になり、ハーブやミニトマトなどを新たに植えてそちらにすっかり気を取られていました。
ミニトマトには青い実がなり始めています。
 

そしてふと、三つ葉の陰の黄色いかわいい花に気がついたのです。

「植物はどんな状態に置かれようと最後までその役割を全うしようとするのね。たいしたものね。」
と、米寿の母がポツリと言いました。

何気ない一言なのでしょうが、珍しく心がドキンとしました。

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花に囲まれた墓地に思う

2018年04月30日 | ひとり言


木曽福島の街並みは、近年、建物の意匠が統一されつつあり、合わせて魅力的で美味しい食事場所や歴史的な観光スポットも整備されています。
歩いていて、とても楽しい街並みとなっています。

しかし、私が感じる木曽の魅力はそれだけではないのです。
洗練され統一感ある美しい街並みは大好きですが、もっと魅かれるのは人々が生活をしている空気を感じる街だから。

この百花繚乱の春に三岳の村を走っていて、魅かれたのは墓地です。
墓地と言えば、大きな公園墓地が都会では一般的ですが、ここでは一族ごとに墓地を管理している様子がうかがえます。
  

芝サクラで囲まれていたり、しだれサクラに見守られていたり、菜の花が揺れていたりと、どこも美しく飾られていて「暮らしの歴史が続いている」ことを実感します。

川べりの古い家並みも生活感が漂い、山間の水辺での生活は日々どんな様子なのだろうか?
と、想像します。
住んでいる人たちの息遣いが聞こえてきそうな気がします。

職住が分離された街並みに長く居ると、人の一日の生活とか一生とかが如何に分断されているかということに思い至ります。

一日一日を丁寧に生きる人になりたい・・・なんて思っているGW前半です。
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誰にも平等な一人の時

2018年01月19日 | ひとり言


誰にでも平等に与えられているのは、「一日24時間」だけだとこれまで考えていました。
その他は、決して平等ではないのが当たり前なので、そのことを前提に考え工夫すべきと思っていました。

ところが最近もう一つ、誰にも平等なことがあることに気づきました。

それは、人は誰でも一人で死んでいく、ということです。
生まれるときは母の力を借りますが、死んでいく時は一人です。

臨終の枕元に何人いようと、葬儀に何百人参列しようと旅立つのは一人。
大金持ちでも貧困にあえいでいても、友が多くても孤独でも、旅立つときは誰ともいっしょには行けない。一人です。

このことは議員時代に、ある委員会で同僚の議員が発言してからずっと心に引っかかっていました。
その時の私には、それほどの覚悟をもって医療や介護や死に向き合うことが出来ずにいたということでしょう。

つまり要するに、結局人は最後は1人になるのだから、せめて生きている時は人と関わって生きていくのが人間社会で生きる意味なのだろうと思うのです。
だからみんな仲良くしましょう!などと気楽なことをいう気はさらさらありません。
気に入らないものは気に入らないのだから。

ただ、死を感じ始めた人がその未知の時を迎える恐怖はいかばかりだろうか?と想像すると、寄り添い方のイメージも変わってきます。
不安や恐怖に固まり、否定の鎧を着た人に静かな笑顔で向き合い続けることは難しいかもしれない。

それでも、一期一会なんだと思えば、少しは優しくできるだろうか?
ありのままを受け入れることができるだろか?
もしそうでなければ、情緒をもつ生き物である人としては寂しすぎる・・・そう感じます。



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人生たそがれ時に思う 忘れるから生きていられる

2018年01月05日 | ひとり言


年金をおろしたい。
という母とともに郵便局へ。
ATMはがらすきでしたが、暗証番号を思い違いしていて3度打ち間違ってブロック!!!

通帳以外持ち歩かない母を再び車に乗せて自宅に引き返し、身分証明になる保険証を携えてもう一度郵便局へ。
書類を書いて手続きをし、結局1時間以上かかってようやく目的を達成しました。

暗証番号の勘違いに
「私はいったいどうなっちゃったのかしら?」
と、どっぷり落ち込む米寿。

パスワードをたびたび忘れて、パスワードを忘れた方はこちらというリンクに都度お世話になっているわが身を見ているようで、イタイです(^^;

記憶力がたそがれだねえ、お互いに。
人生も後半、終盤を歩んでいくには、
「忘れる自分はおかしい」という考えを捨てて「忘れる自分が正しい自分」という考えにシフトしなければと気づきました。
それは、無責任なことではなく謙虚になるということ。
謙虚になればおのずと対策も考えるでしょう。
そもそも、人は忘れるから生きていられるのだと割り切って、過去のことにはとらわれずに目の前で起きていることを楽しみましょう。

明日は、我が家の一族大パーティーが予定されております。
その時間を楽しむために今日は準備作業が目白押しでしたが、年金引き出し作業でスタートから躓き立往生。
結果、夕方になって米寿と還暦が台所で右往左往するオセオセの一日となりました(^^;

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スーパームーンに今年を誓う♪

2018年01月01日 | ひとり言


2018年を迎えました。
新しい一日を、いかがお過ごしでしたか?
元旦のご挨拶は普通太陽ですが、遅くなってしまい月になりました。
そして、今夜の月は2018年のスーパームーンです♪

大きなお月様に見守られて昨年を振りかえると、2017年は私的分野において特に大きな変動がありました。
3月に、母が我が家に来ることを決意し、実家を手放す覚悟を決めました。
5月には、次男に女の子が生まれ、私は2男2女のおばあちゃんになりました。
6月に母は我が家に居を移し、同居生活が始まりました。
8月に実家売却の契約が成立し、下旬には子どもたち家族が集まってわが母の歓迎会をしたものの、母は疲れが出て寝込み、高齢者の体調管理に関する認識が甘かったことを反省しました。
12月には舅の七回忌。まだ1軒残っている空き家と向き合っています。

後半の私生活は、ひたすら母の体調の変化と向き合い、施設にいる義母の「ここを出たい帰りたい」コールに付き合いながら、高齢者と幼子とに向き合うスリルと楽しさを味わってきました。
一方で、母が家を手放したということは私にとっても故郷が無くなったということで、その喪失感との闘いでもありました。

そんな私生活に翻弄されながら、仕事やボランティアでは
「活動を一つ一つ吟味して、自分自身でしっかり取り組んでいくこと、サポートをすること、他の人を信じて委ねることを整理する」
ことを試みました。
その結果、
・みんなの広場の仕組みや運営形態について具体化し、
・社会福祉法人の公益活動も具体的にモデル取り組みが始まり、
・子どもたちの居場所は具現化し、困り感の実態把握もいくらかできたように思います。

サポートする活動もそれなりに頑張りました。

あと一歩も二歩も不足しているのは、「他の人を信じて委ねる」ということです。
それは押しつけるのではなく、私がやるよりも他の人がやったほうが上手くいくことから自ら手をひく、ということです。

なぜそれがうまくできなかったのだろう?

思うに、昨年は私生活では喪失と向き合う年でしたから、「これ以上の喪失感からの逃避」だったのかもしれません。
手放したくないという・・・。
周囲にとっては、迷惑なことだったのではないでしょうか。

2018年は、踏まれ利用されてもびくともしない橋になろうと、昨日(2017年の大晦日に)決めました。

昨年は試練の年ならば、今年は清算の年にしたいと思います。
質量ともに、身軽になることを目指します。
さて、できるかな(^^)

今年もどうぞよろしく願い申し上げます。

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