福井市議会議員、「鈴木しょうじゅ」のふんとう日記

福井市議「鈴木しょうじゅ」です
生活相談℡0776-27-3800かshouju_suzuki@yahoo.co.jp

ふんとうする理由(ワケ)

2007-05-16 13:01:31 | Weblog
 そういえば、このブログには私「鈴木しょうじゅ」が、なぜ市議会議員を目指したかを書いていなかったので今日書きます^^;

 文章が長くなるので、読み飛ばしてもOKです・・・

 「どうして、市議会議員になりたいのか?」その理由を語るには、「『鈴木しょうじゅ』にとって、理学療法士とはなんなのか?」を書かなくてはなりません。
 僕にとって、「理学療法士」という仕事は特別な仕事でした。
 「理学療法士」=「リハビリのお手伝いをする仕事」ですが、やりがいを感じていたし、定年まで、いや定年後も体が動かなくなるまで、理学療法の仕事を続けたいと思っていたことも事実です。
 
 僕が、はじめて理学療法士としての仕事を強く意識したのは、実習のときでした。理学療法士になるためには、学生時代に最低6ヶ月以上の病院や介護施設での臨床実習が必須単位です。その1番目の実習先は岐阜県の飛騨高山(本州の北海道と呼ばれるほどの極寒の地。冬の朝、トイレの水が毎日、凍ってるほど)でした。2月の寒さが一番厳しいときに1ヶ月間の実習でした。
 実習先で、初めて担当した患者さんは、「Sさん」という患者さんです。ボクシング観戦が趣味の患者さんで、僕もボクシングが好きだったので非常に気が合いました。Sさんは脳出血による障害で右半身麻痺の患者さんでした。
 年は54歳、障害により仕事を解雇されていました。

 この患者さんのレポートを書くとき、僕は「病気のこと」を中心にレポートを仕上げました。しかし、指導してくれた先生は、42ページあるレポートの最後の
3ページだけを見て、「このレポートじゃ、意味ない」といってレポートを乱暴に投げ捨てました。このときは正直言って、一瞬で頭に血が上って、カッとしました。
 先生は言葉を続けます。
 「このレポートなら学校の図書館で書ける、あなたはこの病院に何しに来たの?」
 …頭に血が上っていることもあって、答えられず沈黙が続きます。先生がさらに 「あなたがこの病院でしか出来ないことは何?」
 「治療や評価を学びに来ました」と僕が答えると、
 「私でなくても理学療法士の技術はあなたに教えることが出来る。でも、あなたが今、担当している患者さんは、この病院にしかいないの。だったら、あなたは病気のレポートでなく、Sさんのレポートを書きなさい」
 この時は、はっきり言って泣きそうでした。先生への怒りはそのまま自分の愚かさへの怒りに変わり、Sさんという患者さんに向かい合わずに実習を終えようとしていた、「自分の卑怯さ」に恐れすら感じました。
 次の日から、徹夜でレポートを書き続けますが、睡眠不足と人生経験不足
とで「仕事をクビになった54歳」の生活面をどう考えたらいいのかわからず、文章はまとまらない、理論的でない部分もたくさんある。とにかく混乱しているレポート提出が続きます。また、先生も、容赦なく手直しを要求してきます。

 実習の最終日、最終レポートを提出すると。先生は最初から最後までレポートを読んだ後、
 「ずいぶん、読みにくいレポートになったわねー。」
 「このレポートはSさんの生活面と病気の面がぐちゃぐちゃになってる。あなたが混乱した様子が非常によく出ている」「でも、その分、はじめのレポートより非常に大きなエネルギーがここには費やされている」

  「それが大切なの」

 「人間は誰しも、弱い部分は隠しながら生きていく。でも、私たち医療従事者は『病気』や『障害』というその弱い部分に関わることができる仕事。それは、その患者さんの人生の本当に大切な部分に関わらせていただけるということ。」

 次に先生がかてくれた言葉が僕の理学療法士を目指すきっかけとなりました。

 「ただ歩く練習をする理学療法士になるな。患者さんと、人生をともに歩む理学療法士になりなさい」

 この言葉を胸に、理学療法士になることを目指し続けました。そして国家試験に受かったときには「この仕事を一生続けよう」と心に決めました。

 人生の中で、ほとんど何の目的も持たずにきた僕に、はじめて「生きる目的」をあたえてくれたのが理学療法士という仕事です。

 理学療法士になって3年目に入った去年の4月、理学療法に関する法律が変わりました。それまでは、病気やケガによる障害がある人は、一生、理学療法を続けることが出来ました。ところが去年4月から、理学療法は原則半年を過ぎると医療行為として認められないという法律が出来ました。
 多くの患者さんは、介護保険という制度でリハビリを続けることが出来ますが、
僕の担当の患者さんの中で、2人の患者さんがリハビリが続けられなくなりました。

 二人とも、障害が重く、かつ家の経済状態が苦しい患者さんです。

 制度上、身体障害者手帳が2級以上の患者さんは医療費が無料です。
だから医療行為と認められれば無償でリハビリができた。しかし、医療行為でない介護保険では月、数千円を支払わねばならない。

 その患者さんに「月8千円、なんとか払えないか?」と聞くと
 「先生、それじゃぁ、おいらはリハビリできねぇわ…」と涙目で答えました…

 法律が変わると、リハビリ自体が出来なくなる…
 「どうしてこんなことになったんだ?」

 いろんなことを調べました。日本の政府の方針として、「医療・介護」などにかける予算をドンドン削るなかで起きたことだということ、他にも患者さんが長く病院に入院できないようにする法律もある事。

 「僕の目指す理学療法士は、単なる技術者ではない。患者さんと人生をともに歩むひとりの人間であり続けたい…」

 今、僕が理学療法士としてやるべきことは、「政治のあり方」を変えていくことで、患者さんの生活を守ること。

 「そのために市議会議員になりたい…」
         そう思うようになりました

 いろんな人の話を聞いたら、この福井市でも本当に生活が大変な人がたくさんいることに気がつきました。あるお家では、家のたんすの中から年金の通知を持ってきて「ほら、この少ない年金で家族三人分の食費・税金・保険料・家賃・光熱費・水道代を払ってる。また税金が上がった。もう生活できない…」
「もし、病気になっても病院には行きません。お金が無いから…」
「夫が過労で倒れました。貯金を削りながら生活しています。来年まで貯金が持つかどうか…」
 1けんや2件ではありません。約3000件のお家でいろんなお話を聞かせていただきましたが、200件以上がこんな深刻な悩みを抱えていました。

 「今、政治のあり方を変えていかないと、
        将来、本当に大変なことになる…」
      
     「逆に今から変えていければ…」

 そんな希望的観測も抱きながら、今日も僕はいろんな人に逢いに行きます^^

 そんな僕の「ふんとう日記」をどうぞ読んでください☆

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (さんさん)
2007-05-18 09:02:26
夏バージョンに変わったのね。「どうして奮闘するのか」よかったです。いよいよ議会が始まりますね。がんばってちょーだい。私も来週、あわら市へ自治体キャラバンで要請行動にいってきますよ。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。