福井市議会議員、「鈴木しょうじゅ」のふんとう日記

福井市議「鈴木しょうじゅ」です
生活相談℡0776-27-3800かshouju_suzuki@yahoo.co.jp

ふんとう日記5月28日

2007-05-29 01:11:41 | Weblog
●5月28日(月)
 午前中は街頭演説に出発。少しずつ暑くなってきた。演説中暑くなり、Yシャツで演説。後援会員の方が仕事中に出てきてくれて「がんばってね!」と激励。市内4箇所で演説。

 お昼ご飯&休憩

 午後13:30~予算説明会。いろいろな質疑があったが、これからの本議会でさらに明らかになっていくと思われる。
 ひとつだけ気になったのが、予算のひとつとして質疑された「成和中学校損害賠償請求事件判決後の対応について」
 みなさんの中にも記憶している方も多いと思う。障害を持ち、片目を失明している生徒の、視力が残る目の視力を教師の体罰によって奪ってしまったという事件。この事件の賠償の形態について質疑があった。議論中には「体罰は認めるべきか?」というような議論まであがった。

 教育現場には「体罰は必要悪」「愛情で生徒を殴ることもある」というような論調の方もいる。教育行政の「たてまえ」では「体罰禁止」が主流となった今も、なかなか体罰はなくならず、いまだに続いているし、議論も続いている。

 僕は「体罰反対」です。
 まず、生徒と教師という関係でなければ、「暴力」であるはずの行為を教育現場で認めることは許されないと考えています。これが教師と生徒という立場を介して行われると「教育行為」である「体罰」にすりかわる。
 時に、この「体罰」は取り返しのつかない事態を生み出す。それが、成和中学で起きてしまった。成和中学だけではない、全国各地で起きている。
 本当は、「暴力」だとしても、多くの人がそれが「教育行為」だと信じると、教育行為に錯覚してしまう。これが集団心理の本当に恐ろしいところだと思う。この集団心理が長い間続けば、その錯覚はさらに根深いものとなっていく。

 「体罰禁止」を教育行政が掲げだしてから、まだ歴史が浅い。それ以上に「体罰」を是認してきた期間のほうがずっと長い。

 錯覚や思い違いは誰にでもある。教師と生徒という特殊な関係の教育現場で、このような錯覚が起こることはある意味、必然ともいえると思う。このような人の弱さや、限界を乗り越えていくのが組織や制度の力。

 教育行政がこのまま体罰禁止を誇示し続けることが、集団心理の生み出した歴史的な矛盾を乗り越えていく確かな「チカラ」となると僕は思っています。「教育現場に暴力を持ち込まなくても生徒を導いていける」そんな教育こそ目指すべきと感じ、そんな教育行政を守ることも僕たちの仕事なのだろうとふと思った。

 夕方から、父と打ち合わせ。

 夜は、お世話になった後援会員に訪問。「これからが本当のたたかいだからね!」と気の引き締まる一言もいただきました!がんばります><!

 訪問後、会議。

 帰宅したのは21:30。もう、クタクタ^^;一眠りしてから日記を書く。時間は夜中の1時過ぎ。明日も仕事はいろいろある。本会議の質問作りもぼちぼちはじめねば^^;

ふんとう日記5月26日

2007-05-27 00:45:26 | Weblog
●5月26日(土)
 今日は、朝はあかりは眠ってくれた^^;昨日は深夜までぐずっていたのでよかった^^;
 あかりが寝ている間に街頭宣伝の原稿を練り直す…。
10時から米松方面で街頭宣伝。演説していると家から人が出てきてくれて、「鈴木さんでしょ!当選してよかったね!」と^^。「こんどは参議院の選挙だね、がんばって!」と激励☆。計6箇所で演説し後援会員の家も訪問すると「おぉ、当選してよかったなぁ!体には気をつけてよ」と温かい激励。後援会員すべての家を訪問しようと思っている。半年はかかるだろうが応援してくれたみなさんに直接「ありがとう」を言いたい(まだ、訪問してない方いましたらメールくださいshouju_suzuki@yahoo.co.jpへ)。時間はかかりますが必ず行きます!

 お昼ご飯を食べて一休み

 午後は参議院予定候補の山田かずおさんといっしょに街頭宣伝。西村きみ子市議やさとう正雄元県議もいっしょに参加。市内5箇所で演説。僕は当選のあいさつもかねての演説。車などから手を振ってくれる人や。最後までじっと聞いてくれる人もいてくれた。山田さんの演説を聞いていてふと気づいたのが「こんどの参議院選挙は、将来、『あの選挙が日本の曲がり角だった』と振り返ることになると私は思う」の一言。
 憲法を変えるための法律を作り、戦争するためのくにづくりが公然と行われている。格差や貧困が広がる中、来月6月にはさらに庶民増税がやってくる。その直後の7月に行われる参議院選挙は「日本の平和」「くらしの問題」の両方が問われる選挙。「二人の息子に、銃を握らせたくはない」「日本共産党は、戦前戦後を問わず反戦平和を訴え続けてきた。憲法を守り平和と暮らしを守りたい」とひとりの父親としての素直な気持ちも訴える山田さんを見て、僕も素直に「がんばれ」と思った。
 夜から会議に参加。帰宅は22時。あかりが泣いている^^;
 「この子が大きくなったときに、日本はどんな国だろうか?」
 と思いながらミルクを作り飲ませる。

ふんとう日記5月25日

2007-05-25 23:09:38 | Weblog
●5月25日(金)
 今日は、市役所以外の市の管理施設の見学。新人議員の研修の一環です。清水町の保健センター・フェニックスパーク・AOSSA・防災センターの見学をしました。

 見学していて強く感じたのが育児事業。清水町では、旧清水町時代から「赤とんぼ」という保育園に行く前の子どもさんとお母さんが遊ぶ場をつくる事業があるのだが、お母さん同士・子供同士の交流の場となってよろこばれているそうだ。福井市ではAOSSAにひとつ。清水町の施設はお母さんと子供でいっぱいだったが、AOSSAの施設は親子が一組だけだった。AOSSAでは、臨床心理士などの専門職もいて子育て相談や家庭の相談などにも対応できる施設となっていて、施設としては進んでいるが、いかんせん駐車場代が高くて、利用が進んでいない状況。公共施設を使用するときに、高い駐車場代を支払うことに抵抗がある方は多い。AOSSA職員も「雨の日は、利用者ががくっと減る。自転車で通う方がほとんどだから…。議員さんたちに駐車場代をどうにかしてもらいたい」ともらしていた。
 「都会なら、都心部で高い駐車場代を支払うのは当たり前」という方もいる。しかし、ここは「都会」ではない。ここは「福井」だ。「福井の方々がどうすれば公共の施設を気軽に利用できるようになるのか?」を議論しなければはじまらない。 福井駅から少し離れたところに53億円もかけて地下駐車場を作る計画がある。しかしそんなお金があったら、駅周辺の駐車場代の値下げこそほんとうに市民や県民から求められている「開発」ではないのかな?と思った。「郊外の大規模商店は無料で駐車場がある。駅では有料駐車場しかない」この不平等を正すことから福井駅周辺都市年戦略を考える必要があるのではないのか?
 「必要なものはハコモノではない、ホントに市民に役立つ制度」と清水町と福井市の施設を見比べて強く感じた。

 夜は、またあいさつに訪問する。7月に迫った参議院選挙が自然と話にあがる。僕としても、次の参議院選挙はこの日本の未来を大きく左右する選挙だと思う。
 ひとつは、くらしの問題。トヨタに代表されるような大企業が何兆円というボロ儲けをしている影で、働いても働いても貧困から抜けだせないワーキングプアと呼ばれる若者がいて、生活保護世帯よりも少ない収入で生活する高齢者もいる。貧困と格差が広がっている。このようなくらしの格差を政治の力で打開することこそ今、本当に必要と訴える。

 もうひとつ重要なのが、憲法の問題と思う。安倍首相を先頭にして、政府与党は5月14日に憲法を変えるための法律を作った。しかし、「なぜいま憲法を変えるのか?」の明確な理由を述べていない。

 僕の日記を読んでくださるみなさんに問いたい。
 「今までに一度でも『憲法が悪い』」と思ったことがあるだろうか?
 「そんなこと思ったことないよ」という人がほとんどではないだろうか?

 じゃあ、なぜ変えるんだろう?

 権力者にとって、特に安倍首相にとっては、今の日本国憲法が邪魔だから変えるんです。でも、この憲法は私たちには邪魔じゃない。

 「もう二度と戦争しないと決めた9条」も

 「みんなが人間らしくくらせる国を創りたいという想いがこもった25条」も

 今の私たちにこそ本当に必要な憲法です。

 日本が戦争やめてから、60年もたったら権力者が憲法を変えようとする時代が来てしまいました。60年以上私たちの平和とくらしを守ってきてくれた憲法。
 こんどは私たちがまもろうじゃあーりませんかぁっ!

ふんとう日記5月22日

2007-05-23 10:32:36 | Weblog
●5月22日(火)
 今日は午後から、6月議会の準備のための会議があるので、午前中は日本共産党議員団としてその打ち合わせ。あかり(今月生まれた娘)のオムツを替えてからすぐに市役所へGO!

 お昼は、市役所の食堂のオムライス(¥460円)以前も書いたが、味・ボリュームとも申し分なし。市役所の食堂は一般解放もしているのでみなさんも一度是非食べにきてください^^☆

 お昼から、会議が始まる。準備のための会議なので事務的な手続きが多い。しかし、その中に一つだけ、討論を要する議案が一つ。
 その内容は「国民健康保料の最高限度額が53万円から56万円に引き上げられる」ということ。私たち日本共産党は「反対」の立場で討論。市は「対象となる世帯が高額所得の方が多いから問題ない」という。しかし、人口や都市規模が似たり寄ったりの自治体で独自の国保料値下げが行われているところが多い。(40都市中31都市)福井市は独自の値下げは0(ゼロ)。こんな中「さらに保険料を高くするのではなく、福井市独自の値下げを行うことこそ必要」と反論。しかし、日本共産党+1(居眠りしていた議員一名)以外すべての議員の賛成で可決(ToT)

 一日中会議をしていたが、同会派の西村きみこさんは、夕方から夜中まで、まだ会議に参加。僕は地域の方といっしょに当選のごあいさつの訪問。「応援してるよ!でも、若いし、得票も多かったから期待されると思うけど、がんばりすぎちゃだめよ!」と暖かい声援(ToT)赤旗読者も増えて帰宅。

 あかりのオムツを替えてから、晩ごはん。今日は切らしていたビールを買ってきました。少し蒸し暑くなってきたから「一番絞り」がウマイ☆

ふんとう日記5月21日

2007-05-21 23:48:27 | Weblog
●5月21日(月)
 朝は子どもの泣き声で目が覚める。今日は朝からごきげんななめ^^;あやしたり、泣き止む間を縫って朝ごはんを食べる。
 10:00~市役所と福祉分野のことについて懇談。社会保障推進協議会といっしょに懇談。市役所側は介護保険課や国保、長寿~児童保育課まで、福祉分野の担当課が参加してくれた。小児医療費の無料化や、国民保険の問題まで要望は多岐にわたるが、「福祉分野は予算が削られる中で要望にこたえていくことが難しい」という返答が多かった。こちらも、「まず実態をつかむところからはじめてほしい」ということを特にお願いした。市役所の職員は、市役所内で事務仕事が主な任務になることが多いが、その書類が市民の生活を左右すること、そして制度が原因で生活が困難になる方を何人も見てきた僕たちとしては「制度を実行する立場の市の職員が実際の現状をつかむ」ということを忘れないでほしい。
 この懇談で僕自身が特に強調したのは資格証明書のこと。保険料が払えなくて保険証を取り上げられた人は資格証明書が交付される。この証明書は「私は保険料を払っていません」という証明であり、医療費も10割払わなくてはならない。ただでさえ保険料を支払うお金がない人が、通常の3~5倍の医療費が支払えるだろうか?支払えるわけがない。だから保険料を滞納している方が、症状が進んでから病院に来るケースが増えてきた。お金が払えないから、痛みや苦しみが耐えられなくなるまで病院に来ないからである。
 現在、福井市は「滞納が続く人が、いつまでも市役所へ相談にこない場合は資格証を発行し、保険証はとりあげられている」その数は約2000人。この中には悪質な方もいることも確かである。しかし、深刻な経済苦を抱えた人がそのほとんどだ。そして、その中に病気の症状を抱えている人もいる。「医療費が高いからと病院にこなくなる方もいる。資格証明書発行者の中から、病状が手遅れになって、命を落とす方がいたら取り返しがつかない」と理由を説明し「今のやり方では、取り返しのつかないことになる可能性がある。保険料の徴収はその人が生きていればいつでもできる。せめて、調査が済むまでは資格証明書の発行はやめてほしい。(もちろん、資格証明書の発行自体をやめてほしいのだが^^;)」と提言。…僕たちの声をどんな風に受け止めてくれたかどうかはこれから。引き続き行政をチェックし続けねば。

 その後、新しく引越しした議員控え室を掃除…なかなかこれが時間がかかってしまった^^;

 お昼を食べて、いったん休み。

 午後から、道路の改修で道路課と相談。

 家に帰って、事務作業&子守

 夕方から、後援会員をあいさつ訪問。やはりみなさんよろこんでくれる「若いんだから、福井市政を変えてよ!」と期待も激励もいただいた。「がんばります!」

 その後、会議

 21:30過ぎに帰宅。…子供が泣いている。十分に子育てを手伝ってあげれないので申し訳ないとおもいつつブログを書いて寝ます…Zzz…

ふんとうする理由(ワケ)

2007-05-16 13:01:31 | Weblog
 そういえば、このブログには私「鈴木しょうじゅ」が、なぜ市議会議員を目指したかを書いていなかったので今日書きます^^;

 文章が長くなるので、読み飛ばしてもOKです・・・

 「どうして、市議会議員になりたいのか?」その理由を語るには、「『鈴木しょうじゅ』にとって、理学療法士とはなんなのか?」を書かなくてはなりません。
 僕にとって、「理学療法士」という仕事は特別な仕事でした。
 「理学療法士」=「リハビリのお手伝いをする仕事」ですが、やりがいを感じていたし、定年まで、いや定年後も体が動かなくなるまで、理学療法の仕事を続けたいと思っていたことも事実です。
 
 僕が、はじめて理学療法士としての仕事を強く意識したのは、実習のときでした。理学療法士になるためには、学生時代に最低6ヶ月以上の病院や介護施設での臨床実習が必須単位です。その1番目の実習先は岐阜県の飛騨高山(本州の北海道と呼ばれるほどの極寒の地。冬の朝、トイレの水が毎日、凍ってるほど)でした。2月の寒さが一番厳しいときに1ヶ月間の実習でした。
 実習先で、初めて担当した患者さんは、「Sさん」という患者さんです。ボクシング観戦が趣味の患者さんで、僕もボクシングが好きだったので非常に気が合いました。Sさんは脳出血による障害で右半身麻痺の患者さんでした。
 年は54歳、障害により仕事を解雇されていました。

 この患者さんのレポートを書くとき、僕は「病気のこと」を中心にレポートを仕上げました。しかし、指導してくれた先生は、42ページあるレポートの最後の
3ページだけを見て、「このレポートじゃ、意味ない」といってレポートを乱暴に投げ捨てました。このときは正直言って、一瞬で頭に血が上って、カッとしました。
 先生は言葉を続けます。
 「このレポートなら学校の図書館で書ける、あなたはこの病院に何しに来たの?」
 …頭に血が上っていることもあって、答えられず沈黙が続きます。先生がさらに 「あなたがこの病院でしか出来ないことは何?」
 「治療や評価を学びに来ました」と僕が答えると、
 「私でなくても理学療法士の技術はあなたに教えることが出来る。でも、あなたが今、担当している患者さんは、この病院にしかいないの。だったら、あなたは病気のレポートでなく、Sさんのレポートを書きなさい」
 この時は、はっきり言って泣きそうでした。先生への怒りはそのまま自分の愚かさへの怒りに変わり、Sさんという患者さんに向かい合わずに実習を終えようとしていた、「自分の卑怯さ」に恐れすら感じました。
 次の日から、徹夜でレポートを書き続けますが、睡眠不足と人生経験不足
とで「仕事をクビになった54歳」の生活面をどう考えたらいいのかわからず、文章はまとまらない、理論的でない部分もたくさんある。とにかく混乱しているレポート提出が続きます。また、先生も、容赦なく手直しを要求してきます。

 実習の最終日、最終レポートを提出すると。先生は最初から最後までレポートを読んだ後、
 「ずいぶん、読みにくいレポートになったわねー。」
 「このレポートはSさんの生活面と病気の面がぐちゃぐちゃになってる。あなたが混乱した様子が非常によく出ている」「でも、その分、はじめのレポートより非常に大きなエネルギーがここには費やされている」

  「それが大切なの」

 「人間は誰しも、弱い部分は隠しながら生きていく。でも、私たち医療従事者は『病気』や『障害』というその弱い部分に関わることができる仕事。それは、その患者さんの人生の本当に大切な部分に関わらせていただけるということ。」

 次に先生がかてくれた言葉が僕の理学療法士を目指すきっかけとなりました。

 「ただ歩く練習をする理学療法士になるな。患者さんと、人生をともに歩む理学療法士になりなさい」

 この言葉を胸に、理学療法士になることを目指し続けました。そして国家試験に受かったときには「この仕事を一生続けよう」と心に決めました。

 人生の中で、ほとんど何の目的も持たずにきた僕に、はじめて「生きる目的」をあたえてくれたのが理学療法士という仕事です。

 理学療法士になって3年目に入った去年の4月、理学療法に関する法律が変わりました。それまでは、病気やケガによる障害がある人は、一生、理学療法を続けることが出来ました。ところが去年4月から、理学療法は原則半年を過ぎると医療行為として認められないという法律が出来ました。
 多くの患者さんは、介護保険という制度でリハビリを続けることが出来ますが、
僕の担当の患者さんの中で、2人の患者さんがリハビリが続けられなくなりました。

 二人とも、障害が重く、かつ家の経済状態が苦しい患者さんです。

 制度上、身体障害者手帳が2級以上の患者さんは医療費が無料です。
だから医療行為と認められれば無償でリハビリができた。しかし、医療行為でない介護保険では月、数千円を支払わねばならない。

 その患者さんに「月8千円、なんとか払えないか?」と聞くと
 「先生、それじゃぁ、おいらはリハビリできねぇわ…」と涙目で答えました…

 法律が変わると、リハビリ自体が出来なくなる…
 「どうしてこんなことになったんだ?」

 いろんなことを調べました。日本の政府の方針として、「医療・介護」などにかける予算をドンドン削るなかで起きたことだということ、他にも患者さんが長く病院に入院できないようにする法律もある事。

 「僕の目指す理学療法士は、単なる技術者ではない。患者さんと人生をともに歩むひとりの人間であり続けたい…」

 今、僕が理学療法士としてやるべきことは、「政治のあり方」を変えていくことで、患者さんの生活を守ること。

 「そのために市議会議員になりたい…」
         そう思うようになりました

 いろんな人の話を聞いたら、この福井市でも本当に生活が大変な人がたくさんいることに気がつきました。あるお家では、家のたんすの中から年金の通知を持ってきて「ほら、この少ない年金で家族三人分の食費・税金・保険料・家賃・光熱費・水道代を払ってる。また税金が上がった。もう生活できない…」
「もし、病気になっても病院には行きません。お金が無いから…」
「夫が過労で倒れました。貯金を削りながら生活しています。来年まで貯金が持つかどうか…」
 1けんや2件ではありません。約3000件のお家でいろんなお話を聞かせていただきましたが、200件以上がこんな深刻な悩みを抱えていました。

 「今、政治のあり方を変えていかないと、
        将来、本当に大変なことになる…」
      
     「逆に今から変えていければ…」

 そんな希望的観測も抱きながら、今日も僕はいろんな人に逢いに行きます^^

 そんな僕の「ふんとう日記」をどうぞ読んでください☆

ふんとう日記5月15日

2007-05-15 21:30:57 | Weblog
●5月15日(火)
 朝は、子守と事務作業で10時過ぎに…急いで市役所へ向かうと西村きみこ市議が「ちょうどよかった!議員控え室の整理を手伝ってほしいの」と荷造りを手伝う。袖まくりして荷造りを手伝う。来たタイミングがよかった(悪かった?)

 午後、先週、保険福祉課に頼んで調査をお願いした書類を確かめる。調査内容は「福井市で、年齢65歳以上・世帯収入が150万円以下の人数」なんとその人数は「33,030人!」。福井市の総人口は27万人弱。七人に一人は、月額12万5千円以下で生活する高齢者ということになる。その中から家賃・食費・水道光熱費を支払った後に、保険料や税金を支払わねばならない。福井市の国保の保険料の平均は年額16万円。月額では1万3千円くらい。12万5千円以下のお金から、生活費を引いてなお、税金や国保の支払いをせまられる。3万人以上の高齢者の生活はギリギリといっても過言ではないのではないかと思う。まして、月の年金給付額が3万円に満たない高齢者も少なくない。このような高齢者の方が、もし病気に倒れたら…生活が壊れてしまうのではないだろうか…。
 この調査には、65歳以下の方は含まれていない。その他の低所得者も含めればその人数はもっともっと増えるだろう。市議会議員になって、市役所に調査を求めると、健康な自分には見えなかった福井市の影の部分がより鮮明に見えてくる。こんな市政の影にこそ、行政が光を当てていくべきと感じる。「そんな役割を担える議員にならねば!」と気を引き締める。

 その後、いろんな打ち合わせをしたり、作業したり、作成した書類の確認をとる。

 夜、知人のお通夜に参列してから帰宅。

 最近家に帰るのが待ち遠しい。だってかわいい娘のあかりちゃんがいるから^^☆…夜泣きさえなければ、最高なのにな…^^;

ふんとう日記5月13日

2007-05-13 23:47:09 | Weblog
●5月13日(日)
 朝は、非常に弱いほうだが、子供の夜鳴きのため、なおのことツライ^^;
 午前中は、子守と、赤旗を呼んだり、必要な書類の整理をしたりと、なかなか外に出て行けなかった^^;

 14:00~AOSSA(アオッサ)で開かれた「住み慣れた地域、わが家で暮らし続けるには」(主催:高齢者の人権を守る市民の会)という講演を聞きに行った。弁士は安岡 厚子さん(NPO法人サポートハウス年輪の理事長)。市議会議員も経験したことがあるという異色の経歴の持ち主。「いかに、老後をその人らしくすごしていけるか」をモットーに重ねてきた苦労話や成功例や失敗例の話をはじめ、東京で試行錯誤を重ねながらがんばってきた話を聞くと、もと理学療法士としての血も騒ぐ><。
 特に、心に残ったのは2点(他にも多く心に残ったが、とても書ききれない^^;)
 一つは、「いい見取りを実現することが、後に残された家族、知人、医療・介護スタッフたちの人生にも、『あったかいもの』を残していく」の一言。医療現場でも、「命の尊厳」が問われるこの時代に、亡くなっていく当人だけでなく、その周りの人々をも巻き込んだ視点に、圧倒された。「こんな見方を身に着けることって重要だなぁ」と感慨深く思ってしまった。
 もう一つが、僕が「議員経験も持つ安岡さんに、新人議員の僕に何かアドバイスをください」と言うと、「新人なんだからカッコつけなくていい。素直に現場の声を議会に届ける議員さんになってくださいね」の一言。簡略、しかし的をついている。「それがやっぱり大事なんだよなぁ」とこの一言にも感慨一押し。

 また、夜からは当選のご挨拶に歩く。「若いから、がんばって!」「これからが本当に大変だと思うけど、体には気をつけて」とやはり暖かい反応に心も癒される。「子どもの医療費を小学校卒業まで無料のための署名なども集めに来ます」と言うと、みなさん「うん、そういうイイことは是非、また来てね」と^^☆

ふんとう日記5月10日

2007-05-10 23:49:08 | Weblog
●5月10日(水)
 今日は、朝起きて、洗濯をしてから、市役所へ出勤。カミさんが家にいないので家事もやらねば^^;市役所で生活相談のファイルを整理してから、提出せねばならない書類を提出しいたらお昼に。

 お昼は、市役所の食堂のオムライスを注文。¥460円だがボリューム・味とも納得の味☆

 昼過ぎ、選挙後の処理の書類提出などしてから退院したカミさんと赤ちゃんを迎えに行く。わが子はやはりかわいい^^☆そうそう、名前は「あかり」に決定です。

 市議会議員になって新たに整理せねばならない書類のためのファイルなどを100円均一で購入。政務調査費で落とせたのだが、領収書をなくしてしまったのでこれは自腹を切る^^;。

 夜から、元福井市議会議員の西村たかじさんと加茂河原で訪問。後援会員はみんな「おめでとう!」と当選をよろこんでくれる^^☆中には、私は職場の人にも「鈴木しょうじゅを応援してって頼んだの。当選したときは嬉しくて嬉しくて、ワクワクして寝れなかったわ☆」と。当選後、後援会員を訪問すればするほど、3019票は「みんな」の力で集めていただいたものだったと強く感じる。しんぶん赤旗日曜版も増。

 帰ってから娘のおもり。お腹がすいたり、お下が汚れるとすぐ泣き始めるが、理由がなかなかわからず1時間も泣き続けたり。しかも昼夜を問わず。う~ん、子育ては大変だと深夜に実感。

 そういえば、僕の初当選とあかりの誕生はいっしょな年、だから議員としての歩みとあかりの成長は一緒ということになる。
 「いっしょにがんばろうね」と思いながら、あかりのオムツを替える。赤ちゃんの便はあまり臭わないなぁ…^^;

ふんとう日記5月8日

2007-05-08 22:38:28 | Weblog
●5月8日(火)(今日の日記は長いです…^^;)
 午前中は、今の青年の働き方をどう考え、青年議員としてとんな行動をしていくのかを日本共産党の青年対策の方や民青同盟の代表や福井県労連幹部の方も交えて話をした。現在、福井県全体で(県が人数をつかんでいるだけで)1万人以上の若者が不安定な働き方を続けている。しかも、その数は上昇し続けている。そんな中で僕も一人の若者としてどんな行動ができるかをみんなで話し合ってみた。まずは「実態をリアルにつかむところからはじめよう」ということだった。まず、県がつかんでいる数値も大まかなもので不安定雇用の若者の数をつかみきってはいない。それと最近、テレビをにぎわす、「ネットカフェ難民(年収の低い若者などがホテルなどに泊まるお金を節約するためにネットカフェのナイトパックで安価に夜を過ごしている)」などの過酷な生活を強いられている若者の実態調査に乗り出すということを確認した。「そんな若者たちの生の声を市議会に届けるところから運動を始めていこう!」とみんなで確認。日本共産党の青年対策の方も「若い世代たちの問題」と線を引いてしまわないで「私たちが若者世代とともに取り組まねばならない問題としてできるだけ一緒に行動したい」。県労連幹部の方は「助けが要るときは言ってくれ。労働法など、労働組合でつちかってきた経験が役に立つはず」とみんなで協力の意思を確認。

 13:30~市議会の全員協議会。今日初めて市議会議員のバッジをつけてもらった^^(写真のせときました)これからのことをいろいろと会議。本格的に市議会議員としての仕事が始まることに身も引き締まる。

 16:00~事務所で打ち合わせ

 18:30~改憲の国民投票法案に対しての反対デモ行進に参加。「憲法を変えて、もう一度戦争できる日本をつくる」という動きが安陪首相をはじめとして国ぐるみで行われている。こういうことを許してはいけない!と緊急でデモ!
 光陽生協病院を出発して、市役所までデモ行進。緊急で集まったデモだったが、100人以上参加。。「憲法9条をまもろう!」「教え子を戦争におくらない!」などと訴えながらみんなで市内を練り歩く。車の中からや通りを行く人たちが「はて?なにをやっている集団だ?」といった顔で見る。「みんな気づいてくれ、今、平和な日本を壊そうとしているヤツらが権力を握ってるんだ。こんなことを許しちゃあいけない!」と思いながら、少しでも目を引くように街頭のみんなに手を振り目が合えばあいさつ。何人かは振り替えしてくれたり、あいさつを返してくれたりもする^^

 20:00~カミさんと赤ちゃんの顔を見にいく。「ホッ」と一息。

 20:30~「夜、街頭がなくて道路が暗くて怖い」という電話があったので現地を調査。自分の足で街頭のないくらい通りを歩き。周辺の民家で聞き取り調査。道路周辺の家では「暗いから困っているんです」「あそこの信号までは街頭があるのに、急にこの近くになるとないんです。夜中は暗くて困ります」などの声が多数あった。明日は、さっそくこの声をもとに市役所と交渉だ。

 21:30に帰宅。クタクタです。ビール飲んで、ごはんつくって寝ました。