●8月26日(金)
今日は■午前中:しんぶん赤旗配達・集金
■午後:生活相談と事務仕事
■夕方は会合 という一日です。
さて、22日~25日の東北岩手県へのボランティア活動の告です。
一言で言うと「まだまだ救援活動が必要な状況」でした。
今回だけでなくまた、いかなければとの想いを強くしました。
写真とともに被災地の状況を報告していきます。
◆釜石市
まず釜石市は町の中に建物が持ちこたえたものも多かったため、単純にガレキを撤去していけばよいということにならず町部にかなり瓦礫が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/72/5207e872096aa51676d9891541e2b097.jpg)
釜石市を歩く、僕達ボランティアスタッフ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/36/63011c7edf05a6c6d6828993fa4dcb37.jpg)
津波に持ちこたえた家の中にはガレキがいっぱいの建物も多い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/9d/163e1ec3002f867bc914f3dcba833174.jpg)
傾いたままの家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/52/1213d6e32db56f85d2b7ed9dd554c392.jpg)
厚みが1cmはある鉄柱も折れて転がっている。津波の威力の凄まじさ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6f/18e325d091f34e73831623f4d3cf3097.jpg)
地震で地盤沈下が起きており、潮が満ちていないときでも道路や漁港は海に沈んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/13/a2bcd6286c699591d6fb68bdbb5ef8cf.jpg)
津波で海岸に打ち上げられたパナマ船籍の巨大な船。最近ようやく撤去のメドが立ったらしい。
◆大槌町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ee/6eec18017f14f568c5a8b8ba7f8cb423.jpg)
大槌町を高台から見下ろした。町の中心部の多くが津波でさらわれてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/ee6bcc87334b94583b21d9dad94a0fb4.jpg)
大槌町大量のガレキの山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/0e/e293d7f95892d435012461aab11df7c6.jpg)
電気が来ないため地元のガソリンスタンドは足でペダルをこいで給油。
◆ボランティア活動「青空市場」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b6/5ad9d1ea0bfaf08ed2d0d1ec05a6d221.jpg)
仮設住宅で行った無料のフリーマーケット「青空市場」。食料品のところには列ができるほどでした。
日本共産党が、仮設住宅ごとに行っている救援物資の無料のフリーマーケット「青空市場」はどこでも喜ばれます。
避難所を出て仮設住宅にうつると「個人の生活」となってしまい、被災者であっても援物資を受けとることができなくなるなど、行政やボランティアの支援が十分に受けれなくなるという矛盾が生まれているからです。このような深刻な実態に対応しようと、日本共産党では「仮設住宅を訪問しアンケートで必要なものを聞いて届ける」「仮設住宅で無料のフリーマーケットを開く」などの活動を主に行っています。
被災者の方々から「本当に助かる」との声を何度も聞いて胸が熱くなりました。
◆福島第一原発の20km地点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d9/5f2027cd4c1aa19d097c253f5c08aaf7.jpg)
岩手からの帰りに福島第一原発へよりました。20km地点で道路は封鎖されていました。道路封鎖には全国から警察官が集まっており、この写真の封鎖地点は大阪府警の方たちが24時間、交代で封鎖しているそうです。「ごくろうさまです」と声をかけると「ありがとうございます」と。
周辺は子どもが避難し、それにともなって若いお父さんお母さんも多くが避難したため、住んでいるのは高齢者ばかりに。そして田んぼや畑も作れない。途中の道のりもさみしさが漂っていました。
途中みかけた住人の方は「とにかく、まず原発事故を収束して欲しい」と切実に訴えていました。
今日は■午前中:しんぶん赤旗配達・集金
■午後:生活相談と事務仕事
■夕方は会合 という一日です。
さて、22日~25日の東北岩手県へのボランティア活動の告です。
一言で言うと「まだまだ救援活動が必要な状況」でした。
今回だけでなくまた、いかなければとの想いを強くしました。
写真とともに被災地の状況を報告していきます。
◆釜石市
まず釜石市は町の中に建物が持ちこたえたものも多かったため、単純にガレキを撤去していけばよいということにならず町部にかなり瓦礫が残っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/72/5207e872096aa51676d9891541e2b097.jpg)
釜石市を歩く、僕達ボランティアスタッフ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/36/63011c7edf05a6c6d6828993fa4dcb37.jpg)
津波に持ちこたえた家の中にはガレキがいっぱいの建物も多い
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/48/9d/163e1ec3002f867bc914f3dcba833174.jpg)
傾いたままの家
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/52/1213d6e32db56f85d2b7ed9dd554c392.jpg)
厚みが1cmはある鉄柱も折れて転がっている。津波の威力の凄まじさ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/6f/18e325d091f34e73831623f4d3cf3097.jpg)
地震で地盤沈下が起きており、潮が満ちていないときでも道路や漁港は海に沈んでいる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/13/a2bcd6286c699591d6fb68bdbb5ef8cf.jpg)
津波で海岸に打ち上げられたパナマ船籍の巨大な船。最近ようやく撤去のメドが立ったらしい。
◆大槌町
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/ee/6eec18017f14f568c5a8b8ba7f8cb423.jpg)
大槌町を高台から見下ろした。町の中心部の多くが津波でさらわれてしまった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/51/ee6bcc87334b94583b21d9dad94a0fb4.jpg)
大槌町大量のガレキの山
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/0e/e293d7f95892d435012461aab11df7c6.jpg)
電気が来ないため地元のガソリンスタンドは足でペダルをこいで給油。
◆ボランティア活動「青空市場」
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/b6/5ad9d1ea0bfaf08ed2d0d1ec05a6d221.jpg)
仮設住宅で行った無料のフリーマーケット「青空市場」。食料品のところには列ができるほどでした。
日本共産党が、仮設住宅ごとに行っている救援物資の無料のフリーマーケット「青空市場」はどこでも喜ばれます。
避難所を出て仮設住宅にうつると「個人の生活」となってしまい、被災者であっても援物資を受けとることができなくなるなど、行政やボランティアの支援が十分に受けれなくなるという矛盾が生まれているからです。このような深刻な実態に対応しようと、日本共産党では「仮設住宅を訪問しアンケートで必要なものを聞いて届ける」「仮設住宅で無料のフリーマーケットを開く」などの活動を主に行っています。
被災者の方々から「本当に助かる」との声を何度も聞いて胸が熱くなりました。
◆福島第一原発の20km地点
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/d9/5f2027cd4c1aa19d097c253f5c08aaf7.jpg)
岩手からの帰りに福島第一原発へよりました。20km地点で道路は封鎖されていました。道路封鎖には全国から警察官が集まっており、この写真の封鎖地点は大阪府警の方たちが24時間、交代で封鎖しているそうです。「ごくろうさまです」と声をかけると「ありがとうございます」と。
周辺は子どもが避難し、それにともなって若いお父さんお母さんも多くが避難したため、住んでいるのは高齢者ばかりに。そして田んぼや畑も作れない。途中の道のりもさみしさが漂っていました。
途中みかけた住人の方は「とにかく、まず原発事故を収束して欲しい」と切実に訴えていました。