こんにちは 岡本しょういです

京都の南部、和束町で日本共産党の町会議員をしています。町や議会などの情報をお知らせしています。

母の日

2010-05-09 23:00:24 | Weblog

5月9日は「母の日」でしたね。

じゅんは、母のために、晩ご飯を作りました。私はサポーターということで。

まず、ご飯を炊くために、とぎます!

・・で、今日の晩ご飯は、コロッケがメインです。

じゃがいもと、さつまいもの2バージョンにする事になりまして、

さつまいもは蒸して、じゃがいもは電子レンジでチーンして、それぞれ「たね」になりやすくして、コネコネすると、↓のようになります。

今度は、玉ねぎとミンチ肉を炒めて・・・

出来たら、イモと混ぜ合わせます。

混ぜたら、コロッケのタネが出来上がり、それを手で丸めたりしながら、形をつくりま~す。

いろいろな形をつくったら、衣をつけて・・・

どんどん、揚げていきま~す!!

完成!

↑ちょっと、わかりにくいですが、左から2番目が☆、その右隣が♥、
そして、その次が、ママの好きなエビです。

↓コロッケ定食?の出来上がり!

↓こちらが、サツマイモのコロッケだよ~。

↓そんでもって、じゃがいものコロッケです。

「とっても、おいしいーーー!!」とママは大喜び。良かったね!

まじめな話、ほんとにおいしいコロッケでした。パチパチ。

そして、じゅんは、ママに、こんな手作りのカーネーションを贈りました。

なかなか、すごいのを作るもんだね。脱帽!

 

私の母は、私が小学6年生の時に、病気で亡くなったので、もう30年もたちますね。
もし生きてたら、今年で73歳くらいかなあ。
今でいえば、まだまだ若いくらいですが、ちょっとややこしい難しい病気で、よく入院したりしてたし。第2日赤病院に通院してたんですが、幼い頃に、よく一緒に病院まで行ったのを憶えてます。あの頃は、まだ地下鉄なんてなくて、京都駅からバスに乗って行きました。

小学4年生頃だったか、母が入院する事になって、電話がかかってきた後に、急に涙が止まらなくなって泣いてた事がありました。

それなのに母が亡くなった時は、なぜか全然泣きもせずに、父親が泣いているのを、変に冷静に見ていましたね。

あれは3月で、もう小学生も間もなく終わる頃でしたが、私が風邪かインフルエンザか、急に高熱を出して、それが母に感染して、1週間くらいであっという間に亡くなったので、あまりの急な事で、気持ちがついていってなかったのかも知れません。

母は、私を産んでから体調を崩して病気がちになって、私の病気がうつって亡くなったので、何かとても悪い事をしたなあと、やはり思ってしまいますね。ごめんね。

今日は、じゅんとコロッケを作りましたが、母はコロッケを作るのがとても上手で、とてもおいしかったのもよく憶えています。

ちょっとは、母の腕前を受け継いでいるかな?と思える、今日の出来具合いでした。