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伊東良徳の超乱読読書日記

はてなブログに引っ越しました→https://shomin-law.hatenablog.com/

ちくま日本文学 岡本かの子

2024-07-14 22:32:27 | 小説
 1936年から1939年にかけて短期間に多数の作品を発表し亡くなった作家岡本かの子の短編・中編集。
 戦前の作品ですが、仮名遣いを現代風に変え、本が新しいというだけで、ずいぶんと読みやすくなるものだと感じました(多分に心理的なもの)。念のために同じ作品が収録されている岩波文庫と見比べるとかなり印象が違います。
 人情の機微やそこはかとない(当時の基準では相当なかも)エロティシズムを読む/味わう作品が多い感じですが、作品中よりも、年譜に表れた作者自身の人生の方が想像力と妄想力をそそるかも。
 息子太郎(岡本太郎画伯)への手紙が掲載されていますが、そのネームバリューを使うためにしても、趣旨を理解しやすくするためにも、太郎からの手紙も挟んでほしかったと思います。


岡本かの子 ちくま日本文学(文庫) 2009年7月10日発行(1992年2月「ちくま日本文学全集26巻」=文庫版の改版)
 
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水車小屋のネネ

2024-07-13 23:12:57 | 小説
 合格した短大の入学金を母が入金しないで愛人に貢いでしまい短大に行けなくなった18歳の山下理佐が、母の愛人から怒鳴られ閉め出された小4の妹山下律とともに、住み込みで働けるところを探してたどり着いた、そば屋がそば粉をひくために使っている水車小屋で、石臼が空回りして傷むのを避けるために見張りをしている言葉をしゃべるヨウムのネネと過ごした日々(1981年)から、10年ごとにネネと理佐、律、そば屋の夫婦らに新たな登場人物を交えながら2011年の大震災と原発事故、2021年のコロナ禍までの時の移り変わりを描いた小説。
 当初は単にオウム返しに言われた言葉を覚えて繰り返しているだけで意味がわかっているかどうかは不明という扱いだったネネの言葉が、次第にどう考えても意味わかって言ってるねとなってきて、少しシビアに始まったシリアスで現実的なお話が、現実から少し離れたふわっとしたヒューマンというかほのぼの系に変化していく感じです。
 人が世話をしないと生き続けられないネネを中軸において描くことで、世話をする/すべき大人の側での動物や子どもとの関わりと責任、子どもの側の成長と自立といったことを考えさせる作品になっているのだと思いました。


津村記久子 毎日新聞出版 2023年3月5日発行
毎日新聞連載
2024年本屋大賞第2位
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魔女狩りのヨーロッパ史

2024-07-03 00:53:59 | 人文・社会科学系
 15世紀~18世紀のヨーロッパでの魔女狩り/魔女裁判について検討し解説した本。
 魔女狩りが、社会の底辺層の嫌われ者・弱者に対して行われたのか、中流層以上の妬まれた者に対して行われたのか、魔女の告発は民衆が妬みであるいは信仰心や良心の痛みから行ったのか、支配層が権力を固めるために行ったのか、支配層・準支配層が政敵を陥れるために行ったのか、そのあたりの説明はいろいろで、シンプルな説明は難しいようです。「はじめに」でも「こうした活発な研究により、ヨーロッパの諸地域の魔女と魔女裁判のありようは徐々に解明されてきているが、全体から眺めるとまだ道半ばで、最終的な像を描くことはできていない」とされています。
 裁判の実例を紹介している第3章を読むと、自白至上主義と共犯者の自白(巻き込み自白)により、簡単に「有罪」とされるようすが、悲しくも情けない。しかし、自白や共犯者の自白が簡単にそして強固に信用されて有罪とされるのは、日本の刑事裁判でも見られることで、笑ってられない気がします。ヨーロッパでは18世紀初めには魔女狩りは終わったとされていますが、アフリカでは19世紀から20世紀にかけてリンチ殺人に近い魔女狩りが続き、今日でさえサハラ以南では天候不順や原因不明の死亡や事故、疫病に絡んで魔女狩りが頻繁に起きていると紹介されています(218~219ページ)。中世の迷妄などと言っていられないわけです(ヨーロッパでも魔女狩りの最盛期は中世ではなくルネサンス期だったわけですが)。簡単に人間の性と言ってしまいたくはないですが。


池上俊一 岩波新書 2024年3月19日発行
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