東武池袋線坂戸駅乗換「越生」へ、埼玉県入間郡、県南西部 越辺川が秩父山地から流れ出る谷口に位置している。
鎌倉時代に武蔵野七党の児島党に属する「越生氏」の所領で、越生郷といわれていた。
中世から、市場町(絹織物)で賑わった、江戸末期~大正期にかけて絹市がピーク、室町時代「太田道直」が隠棲し、その子が
「太田道灌」、道灌もしばしば訪れていた。丘陵で鷹狩をしている。山吹きの里をはじめ、ゆかりの史跡がみられる。
越辺川の水源に、男、女、天狗の三滝と正丸峠でも知られている。
「越生梅林」は、駅から約3km,堂山の越辺川沿いにある梅林。約1000本の紅白の梅林が、今満開である。
越生梅林は、関東三大梅林に数えられ、約2haの園内には、約600年前に植えられた古木を含め、白加賀、越生野梅、紅梅など約1000本の梅の木が植えられている。
毎年2月中旬から3月下旬まで梅まつりが行われ、 大勢の観梅客で賑わう。
越生の梅林は、梅園神社に九州太宰府天満宮を分祀した際、菅原道真公にちなんで梅を植えたことが起源とされている。
梅園のヘリを流れる「越辺川」

関東三大梅林の一つ「越生」観光バスで大勢の入園 入園料¥200

600年前の古木や越生野梅が一面に。

太田道直(道灌の父)が、道灌が立派になるよう祈願して梅を植えたの始まり。

古木の「魁雪」越生梅林で最も古い梅の木で、南北朝時代の1350年に大宰府から分祀した際に植えられた梅の木が現在まで生きながらえたもの。
梅の木は、樹齢200年も経つとねじれが始まる、650年も生き続けている「魁雪」は独特の味わいの姿をしている。


緑と花の越生のイベントは、「梅祭り」3月下旬・五大尊つつじ4.5月・アジサイ6.7月・黒山三滝開き7月・夏祭り
第4土日。
「世界無名戦士の墓」
完成は、昭和29年、太平洋戦争で亡くなった全ての人の慰霊塔で、戦争で各地に散った遺骨が土に埋まっているのを悲しみ、供養するために建立された。
塔は、大観山の頂上、関東平野を一望でき、東京を向いて立つている。
慰霊碑の文字は、佐藤栄作元総理大臣の実筆

「佐藤栄作」1901ー75 山口出身政治家、吉田内閣の官房長官、郵政、建設など、
1964年総理大臣に日本初のノーベル平和賞受賞
慰霊塔の中 慰霊塔

次回に続く。
鎌倉時代に武蔵野七党の児島党に属する「越生氏」の所領で、越生郷といわれていた。
中世から、市場町(絹織物)で賑わった、江戸末期~大正期にかけて絹市がピーク、室町時代「太田道直」が隠棲し、その子が
「太田道灌」、道灌もしばしば訪れていた。丘陵で鷹狩をしている。山吹きの里をはじめ、ゆかりの史跡がみられる。
越辺川の水源に、男、女、天狗の三滝と正丸峠でも知られている。
「越生梅林」は、駅から約3km,堂山の越辺川沿いにある梅林。約1000本の紅白の梅林が、今満開である。
越生梅林は、関東三大梅林に数えられ、約2haの園内には、約600年前に植えられた古木を含め、白加賀、越生野梅、紅梅など約1000本の梅の木が植えられている。
毎年2月中旬から3月下旬まで梅まつりが行われ、 大勢の観梅客で賑わう。
越生の梅林は、梅園神社に九州太宰府天満宮を分祀した際、菅原道真公にちなんで梅を植えたことが起源とされている。
梅園のヘリを流れる「越辺川」


関東三大梅林の一つ「越生」観光バスで大勢の入園 入園料¥200


600年前の古木や越生野梅が一面に。

太田道直(道灌の父)が、道灌が立派になるよう祈願して梅を植えたの始まり。

古木の「魁雪」越生梅林で最も古い梅の木で、南北朝時代の1350年に大宰府から分祀した際に植えられた梅の木が現在まで生きながらえたもの。
梅の木は、樹齢200年も経つとねじれが始まる、650年も生き続けている「魁雪」は独特の味わいの姿をしている。


緑と花の越生のイベントは、「梅祭り」3月下旬・五大尊つつじ4.5月・アジサイ6.7月・黒山三滝開き7月・夏祭り
第4土日。
「世界無名戦士の墓」
完成は、昭和29年、太平洋戦争で亡くなった全ての人の慰霊塔で、戦争で各地に散った遺骨が土に埋まっているのを悲しみ、供養するために建立された。
塔は、大観山の頂上、関東平野を一望でき、東京を向いて立つている。
慰霊碑の文字は、佐藤栄作元総理大臣の実筆


「佐藤栄作」1901ー75 山口出身政治家、吉田内閣の官房長官、郵政、建設など、
1964年総理大臣に日本初のノーベル平和賞受賞
慰霊塔の中 慰霊塔


次回に続く。
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