「法華寺町」は、JR関西本線・平城宮跡・近鉄奈良線に狭まれた小さな町。
法華寺(光明宗)(十一面観音立像などは国宝、境内は国の史跡に指定)、海龍王寺(真言律宗)(五重小塔は国宝、西金堂・経蔵などは国の重要文化財に指定)、国指定の特別史跡、古都奈良の文化財としてユネスコ世界遺産である平城宮跡、宇和奈辺古墳がある。
「法華寺」は、真言律宗の尼寺。本尊国宝の木造十一面観音立像。古くは「法花寺」とも書いた。「法華滅罪之寺」。
藤原不比等の邸宅跡を、娘の光明皇后が、皇后宮とし、754年寺に改めた。
総国分尼寺として諸国の国分尼寺を総括したが、平安時代後期に「律令制」の衰退とともに荒廃した。
藤原不比等屋敷跡・714年光明皇后発願・東大寺総国分寺に対し「総国分尼寺」法華滅罪・女人道場の寺。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/a5/d5990b14493238c69578abc0f326e561.jpg)
真言律宗は、真言密教の宗義に基づいて根本仏教の出家戒と金剛乗の戒律を修学する一派。
南都六宗の1つである律宗精神の再興の意義も併せて有している。
西大寺の興正菩薩叡尊を中興の祖とする。なお、「空海」を高祖として特に仰いでいる。
西大寺の叡尊や豊臣秀頼の母淀殿により再興されたが、旧来の寺観はほとんど失っている。
光明皇后 701-760 仏教興に尽力した皇后、聖武天皇の皇后・不比等の三女、名光明子・安宿媛。
甥にあたる藤原仲麻呂を引き立て、「紫微中台」は、大政官をしのぐ権威を持つようになった。紫微令の専制が行われている。
大和三門跡寺院の一つ、 風格を持っている
光明皇后は夫聖武天皇と佐保山陵に合葬された。
重要文化財ー南門・本堂・鐘楼は、桃山時代に再建、「法華経」を信じた、光明皇后。
南門を入ると鐘楼 その奥に浴室
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/1a/56063ccc9d257da92c176840135d7d4e.jpg)
皇后がつくった浴室「空風呂」が境内に、光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説の蒸し風呂「から風呂」、県民俗文化財指定。
庭園 庫裏 春日社 西金堂と続いている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/26/ce2e033079179f0a9bb5499ac3778c51.jpg)
「伽藍」
本堂(重要文化財)
寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。1601年、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。
堂内厨子に本尊十一面観音像を安置する。
高欄の擬宝珠に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたことがわかる。
1596年の地震の復興事業として建てられたもので、再建にあたっては、地震で倒れた前身建物の2棟の部材が再利用されている。
部材に残る痕跡から復元される前身建物は、1棟が鎌倉時代、もう1棟が室町時代の建物で、前者が旧金堂、後者が旧講堂にあたると推定されている。
鐘楼(重要文化財)
鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。
本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。
二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式とする。
南門(重要文化財) - 切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。
赤門
客殿 - 本堂裏手にある書院造建築。庭園は国の名勝に指定されている。
横笛堂は、 かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、赤門の東側に移築されている。
「平家物語」や高山樗牛の小説「滝口入道」で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物。
横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像(高さ約30センチメートル)が安置されていたが、本堂に移されている。
奈良指定文化財 光月亭
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/cb/82df4de1781cec9da631bda9a1bd19a2.jpg)
国宝の 絹本著色阿弥陀三尊及び童子像
平安時代末-鎌倉時代初期の仏画。3幅からなり、正面向きの阿弥陀如来のみを大きく表した1幅、向かって右向きの観音菩薩と勢至菩薩を表した1幅、幡を持つ童子を表した1幅がある。
阿弥陀如来像と他の2幅とでは、様式や表現形式に差がみられ、これらを一具の作とみるかどうか、またどのような場所や用途で用いられた作品であるかについては諸説ある。奈良国立博物館に寄託。
見事な庭園、 京都の仙洞御所の庭を移したと云う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/e0/0ecb6fe9199a68841808b70c861999a7.jpg)
重要文化財ー 木心乾漆維摩居士坐像 - 奈良時代末 - 平安時代初期・ 木造二天頭(伝・梵天帝釈天の頭部) - 奈良時代末 - 平安時代初期 木造仏頭 - 鎌倉時代・ 叡尊自筆書状・ 法華寺縁起類3巻1冊。
天平建築の遺構を残す「西金堂」、その奥に「海竜王寺」がある。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d4/a55b3a02e9ecc36d69336886d5577bf7.jpg)
史跡(国指定)は、 法華寺旧境内 - 法華寺境内と阿弥陀浄土院跡からなる。
阿弥陀浄土院跡からは、池を伴う浄土式庭園の遺構が検出され、この種庭園としては日本で最古のものとされている。
名勝(国指定)は、 法華寺庭園 - 江戸時代前期の作庭。前庭、内庭、主庭で構成される。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/b4/2280a7a68dbaf7f96a6658cec8c1535d.jpg)
本尊開扉 春季 3月20日 - 4月7日、6月5日 - 6月9日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
名勝庭園公開 春季 4月1日 - 6月9日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
慈光殿公開 春季 3月20日 - 4月30日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
本堂ー本尊・十一面観音、天平の三つの仏頭、如来仏頭・本尊丈六釈迦如来・左右の梵天と帝釈天がしられている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/79/af40a1e9b33b617c9e2ad7eabe4e24ce.jpg)
「宇和奈辺、小奈辺古墳」
平城京跡の背後に広がる丘陵ちたいには、4世紀以降の古墳が数多く点在する佐紀の盾列古墳群がある。その一つが良く知られている
「宇和奈辺古墳で、西に隣接する小奈辺古墳と5世紀の墳墓二基とも、周囲に濠をめぐらせた「前方後円墳」。
全体に松が繁り前後部の均整がとれている。
古墳が最も多い所である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/26/cc0be762e207f9994fcbc9c96c8a3c83.jpg)
次回は、不退転法輪寺へ。
法華寺(光明宗)(十一面観音立像などは国宝、境内は国の史跡に指定)、海龍王寺(真言律宗)(五重小塔は国宝、西金堂・経蔵などは国の重要文化財に指定)、国指定の特別史跡、古都奈良の文化財としてユネスコ世界遺産である平城宮跡、宇和奈辺古墳がある。
「法華寺」は、真言律宗の尼寺。本尊国宝の木造十一面観音立像。古くは「法花寺」とも書いた。「法華滅罪之寺」。
藤原不比等の邸宅跡を、娘の光明皇后が、皇后宮とし、754年寺に改めた。
総国分尼寺として諸国の国分尼寺を総括したが、平安時代後期に「律令制」の衰退とともに荒廃した。
藤原不比等屋敷跡・714年光明皇后発願・東大寺総国分寺に対し「総国分尼寺」法華滅罪・女人道場の寺。
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真言律宗は、真言密教の宗義に基づいて根本仏教の出家戒と金剛乗の戒律を修学する一派。
南都六宗の1つである律宗精神の再興の意義も併せて有している。
西大寺の興正菩薩叡尊を中興の祖とする。なお、「空海」を高祖として特に仰いでいる。
西大寺の叡尊や豊臣秀頼の母淀殿により再興されたが、旧来の寺観はほとんど失っている。
光明皇后 701-760 仏教興に尽力した皇后、聖武天皇の皇后・不比等の三女、名光明子・安宿媛。
甥にあたる藤原仲麻呂を引き立て、「紫微中台」は、大政官をしのぐ権威を持つようになった。紫微令の専制が行われている。
大和三門跡寺院の一つ、 風格を持っている
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光明皇后は夫聖武天皇と佐保山陵に合葬された。
重要文化財ー南門・本堂・鐘楼は、桃山時代に再建、「法華経」を信じた、光明皇后。
南門を入ると鐘楼 その奥に浴室
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皇后がつくった浴室「空風呂」が境内に、光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説の蒸し風呂「から風呂」、県民俗文化財指定。
庭園 庫裏 春日社 西金堂と続いている
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5f/38/ed13210264978b5d2272be4550e3237a.jpg)
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「伽藍」
本堂(重要文化財)
寄棟造、本瓦葺き。正面7間、側面4間。1601年、豊臣秀頼と淀殿の寄進で再建された。
堂内厨子に本尊十一面観音像を安置する。
高欄の擬宝珠に慶長6年の銘があり、当時は「講堂」と呼ばれていたことがわかる。
1596年の地震の復興事業として建てられたもので、再建にあたっては、地震で倒れた前身建物の2棟の部材が再利用されている。
部材に残る痕跡から復元される前身建物は、1棟が鎌倉時代、もう1棟が室町時代の建物で、前者が旧金堂、後者が旧講堂にあたると推定されている。
鐘楼(重要文化財)
鬼瓦に慶長7年(1602年)の刻銘があり、形式や細部からみてその頃の再興と考えられる。
本堂と同様に、前身建物のものとみられる古い部材も混在している。
二層建てとし、上層に鐘を吊る「袴腰付き鐘楼」であるが、上層に縁や高欄を設けない、珍しい形式とする。
南門(重要文化財) - 切妻造・本瓦葺の四脚門で、本堂と同時に再建された。
赤門
客殿 - 本堂裏手にある書院造建築。庭園は国の名勝に指定されている。
横笛堂は、 かつて南門を出て左側の飛地境内にあったが、赤門の東側に移築されている。
「平家物語」や高山樗牛の小説「滝口入道」で知られる悲恋物語のヒロイン・横笛が尼となった後に住んだとされる建物。
横笛が手紙の反故(ほご)で自らの姿を作ったという伝承のある張り子の横笛像(高さ約30センチメートル)が安置されていたが、本堂に移されている。
奈良指定文化財 光月亭
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国宝の 絹本著色阿弥陀三尊及び童子像
平安時代末-鎌倉時代初期の仏画。3幅からなり、正面向きの阿弥陀如来のみを大きく表した1幅、向かって右向きの観音菩薩と勢至菩薩を表した1幅、幡を持つ童子を表した1幅がある。
阿弥陀如来像と他の2幅とでは、様式や表現形式に差がみられ、これらを一具の作とみるかどうか、またどのような場所や用途で用いられた作品であるかについては諸説ある。奈良国立博物館に寄託。
見事な庭園、 京都の仙洞御所の庭を移したと云う
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e9/7f21ec4b64ed0febf0ff2601959e5624.jpg)
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重要文化財ー 木心乾漆維摩居士坐像 - 奈良時代末 - 平安時代初期・ 木造二天頭(伝・梵天帝釈天の頭部) - 奈良時代末 - 平安時代初期 木造仏頭 - 鎌倉時代・ 叡尊自筆書状・ 法華寺縁起類3巻1冊。
天平建築の遺構を残す「西金堂」、その奥に「海竜王寺」がある。
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史跡(国指定)は、 法華寺旧境内 - 法華寺境内と阿弥陀浄土院跡からなる。
阿弥陀浄土院跡からは、池を伴う浄土式庭園の遺構が検出され、この種庭園としては日本で最古のものとされている。
名勝(国指定)は、 法華寺庭園 - 江戸時代前期の作庭。前庭、内庭、主庭で構成される。
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本尊開扉 春季 3月20日 - 4月7日、6月5日 - 6月9日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
名勝庭園公開 春季 4月1日 - 6月9日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
慈光殿公開 春季 3月20日 - 4月30日・ 秋季 10月24日 - 11月12日
本堂ー本尊・十一面観音、天平の三つの仏頭、如来仏頭・本尊丈六釈迦如来・左右の梵天と帝釈天がしられている。
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「宇和奈辺、小奈辺古墳」
平城京跡の背後に広がる丘陵ちたいには、4世紀以降の古墳が数多く点在する佐紀の盾列古墳群がある。その一つが良く知られている
「宇和奈辺古墳で、西に隣接する小奈辺古墳と5世紀の墳墓二基とも、周囲に濠をめぐらせた「前方後円墳」。
全体に松が繁り前後部の均整がとれている。
古墳が最も多い所である。
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次回は、不退転法輪寺へ。
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