syuの日記・気まま旅

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弥生の登呂遺跡

2014-09-13 | 気まま旅

静岡県は、南、御前崎から北、赤石山脈間ノ岳まで約118km、伊豆半島から愛知県境まで東西約155km、海岸線は、伊豆半島沿岸・駿河湾・遠州灘沿いに約180kmに及ぶ県面積全国13位に広さ、地形・地質など複雑で、地域差がある。
山間部の豊富な降水は、狩野川・富士川・安倍川・大井川・天竜川等の河川に流出し、上流部に渓谷や峡谷をつくり出している。
富士箱根国立公園・南アルプス国立公園・天竜奥三河国定公園など観光面でも人気。
人間はかなり古くから住みつき、旧石器時代(只木遺跡の三ヶ日人・根堅遺跡の浜北人)-縄文時代の太平遺跡・千枚原遺跡・清水市の天王山遺跡
浜松の蜆塚遺跡等ー弥生時代は、韮山の山木遺跡・沼津の沢田遺跡・浜松の伊場遺跡とここ静岡市の「登呂の遺跡」である。

当然、古墳時代~文化2年・646年頃には、素賀・遠淡海・珠流河・蘆原・久努・伊豆の6国で、遠江国・駿河国を成立させている。680年伊豆国が、
864年富士山大噴火している。

                         登呂遺跡・火起こしの像


登呂遺跡は、弥生時代水田農耕文化の存在を伝えている。
「万葉集」からは、「安倍の市」が立ったことが知られ、奈良時代、駿河国の国府や牧が置かれ政治・経済の中心地であった。

                    博物館、イベントなどの学びの広場


「登呂遺跡」は、静岡駅南(海より)約2km。住宅地の一画あり、弥生後期で水田跡を伴い、集落跡・面積33万m2ある。
昭和18年軍需工場建設中に発見され、戦後数次にわとり調査された。

                体験展示室、弥生人の衣服名とが借りられる
  

遺跡は、12戸の住居跡と2戸の床高式倉庫跡からなる住居地域である。水田の畦や水路を設けた水田地域である。
復元水田で稲作の作業体験ができると云う。

      高床倉庫(復元)                  館内の水田、小さな畦に
  

水田跡と森林跡にわかれ、保存状態はよく、住居・倉庫など数棟が復元されている。
炭化した米・木製の鍬・田の下駄・機械具などの出土品が「市立登呂博物館」に展示してある。

          木材の農工具                         弥生時代の風景
  

今日は日曜日で、地域のボランテアの人達が、丁寧にガイドや火を熾して赤米試食や丸太を削り小舟づくりを実演していた。
土器炊飯は、火越こし(まいぎり法)から当時の甕で炊き上げていた。

    弥生人の作業風景                      ネズミ返しの高床倉庫
  

米作り体験は、古代米の穂くび刈りや籾摺りなどうすを使い体験もできると云う。弥生時代の衣服を着ることも。

     平地住居内                   竪穴住居と同じ構造
  

弥生時代の出土した土器・作った物等が一堂に見られる。鹿角製剣のトッテは祭りごとに使われたと云う、

     田植え・田下駄                 土器
  

 弥生時代の水田跡は、全国初の遺跡、約8haに広がる水田は、小さく区画が作られ田の水を出し入れするため水路が作られるなど、工夫と大がかりな
土木工事であった。畦には補強の為矢板や杭が撃ち込まれている。
道具には、鍬・鋤・足に履く田下駄・石製の穂摘み具なども出土している。

   古代米(赤米)の稲                     広い水田
  

発達していた木の加工技術で、はしごやネズミ返し等の建築材・槽や片口といった器類、台・脚・皿の組み合わせた高杯は、技術を要すると云う。
木は、かたい「カシの木」で、おそらく鉄製の刃物も使われていたと云う。

     祭殿                         住居
  

歴史学の息吹を感じさせた。登呂遺跡に続きその後各地で稲作・水田跡の遺跡が発見され、現在では縄文時代の遺跡からも水田跡が発見されたりしているが、世界でも初めて出現した水田跡であったと云う。
遺跡からは、水田跡をはじめ水路や畦道、木製品、住居跡12棟、高床式建物2棟などが発見され、人口 5,60人の集落であると判定。
考古学史上、東国の弥生時代遺跡としてはじめて集落が一つの単位で出土し、科学的に確認された歴史的な瞬間であったと云う。
遺跡には建物が復元され、昭和27年国史跡に指定。
登呂遺跡は教科書に載り、戦後の科学的な実証主義に基づく新・考古学の原点となる。

                           東側居住域
  

      赤米・土器炊飯                  こわごわ試食
  

「遺跡の横にある本場の 安倍川餅」
登呂遺跡のすぐ横に安倍川餅を提供する有名なお店がある。 それがここ「もちの家」ここで昼食
本社に隣接する風情ある木造家屋。 風車を横目に入口の戸を開けると、 店内中央に囲炉裏が据えられたりと、歴史を感じさせる造りになっている。
10年前と変わらずに店内であった。



180年前に建てられた会津の農家を移築した店舗と巨大な水車は、風情ある趣を醸し出し、つきたての名物「安倍川もち」が食べられる。
温かいお餅と、上品なこしあん、香り豊な黄な粉はまさに絶品かつ伝統の味。今回は、定食セット注文「そば・きな粉餅・栗ごはん・漬物」

  

「からみもち」は、おろし大根は上にわさびか乗り、さわやかな辛さが広がり、わさび醤油でさっぱりと。お茶とも良く合う。
立地条件も、登呂遺跡公園と隣接して、落ち着いた店である。

  

次回は、大井鉄道・大井川に沿って「寸又峡温泉」へ。

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2 コメント

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美味しそう。 (なおきち)
2014-09-13 06:52:19
何だか、お蕎麦美味しそうで、素敵なお店ですね。
また、土地のものなど美味しい食材教えてくださいね!
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なおきちさま (syu)
2014-09-13 10:22:24
登呂遺跡はいらしたことありますか?
この後寸又峡も良い所でしたが、車ではちょっと遠いです。
SLに乗っていくことをお勧めします。
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