syuの日記・気まま旅

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舎人線 終点 見沼代親水公園

2013-07-23 | 気まま旅

足立区は、北は埼玉県に接している荒川・綾瀬川・中川の沖積地で、区名は、「続日本記」に武蔵国足立郡、阿太地の記録がある。
こだいの遺跡も、数か所残っている。三代将軍家光は、奥州(日光)街道の宿場に定めている。
荒川・隅田川の千住大橋の架橋は、1594年江戸で最も早い橋。

「都立舎人公園」前下車。階段を下ると、尾久橋通り(放射11号線)で道路中央に柱の数々。そこをライナーが。

この公園、とにかく広い公園で約51haある。まだ空き地が多く、拡張工事中。
    

テニスコートは14面、陸上競技場や、野球場などスポーツ施設も充実。
池では、スイレン、キショウブなど、水生植物も豊富で、釣りをしている人を多数みかけた。
水辺の鳥も多く、ハシブトカラスが多いのが気になった。

バーベキュー広場もあった。家族連れで楽しめそう。          ライナーを潜ると足立流通・卸売センター朝市の看板が
  

公園一画は緑で溢れている。隣は、           埼玉県川口
   

終点「見沼代親水公園」

住所は、足立入谷・舎人・古千谷


舎人町「見沼代親水公園」は、足立区の最北部、隣は、埼玉県草加市と川口市に接している。
2008年に舎人ライナーが開通し、日暮里から約20分で終点の見沼代親水公園駅まで行くことができるようになった。
ライナーが開通する前は、バスが住民にとって欠かせない足となって、他の鉄道で割と近い駅では、竹ノ塚駅からバスで約20分、
赤羽駅や川口駅バスの舎人団地行きで約25~40分。
日暮里駅からもバスの見沼代親水公園駅行きは、約40~60分かけて尾久橋通りを南北に走っていたが、都の孤島であった。

静かな町
  

「舎人氷川神社」は、本殿は総欅造り、柾目の素材を使用し、屋根は唐破風の流し造り。
一面に施された精巧な彫刻(昇龍・降龍・唐獅子・牡丹・八岐大蛇退治・天の岩戸開き・天孫降臨等)は、区内屈指の神社建築(足立区登録文化財)で、舎人町・入谷村 遊馬村(草加市)の3町村の鎮守。
1200年に、武蔵野一宮である大宮氷川神社を勧請したという古社でもある。

「舎人氷川神社古墳」は、白幡塚古墳(入谷氷川神社)舎人氷川神社社殿の土台となっている円墳と思われる塚で、D群に属します。
境内及び周辺は弥生末~古墳時代にかけての集落跡である舎人遺跡に含まれ、方形周溝墓を始め多くの遺構、遺物が検出されている。

確かに神社はやや高目の土台の上に乗っており、方形に加工はされているものの、古墳を土台に流用している神社仏閣には良くあるスタイルをしていると云う。
土台の頂部がややドーム状になっており、低墳丘の円墳を流用したとしたらこういう感じにはなるという。
現時点ではこれが古墳を流用したものなのか、社殿築造時に新たに土盛りされたものなのか不明です。
区北部の大きな氷川神社は全て古墳の上に建っているという事になると云う。

珍しい樹木「たぶの木」が境内に                        鯰がいそうな小川が
    

「舎人緑道・見沼代親水公園」は、

竹ノ塚駅(東武伊勢崎線)→保木間親水水路→見沼代親水公園→毛長緑道→神領堀 親水緑道→舎人緑道→江北北部緑道→西新井薬師→西新井駅(東部伊勢崎線)(約13.5キロ)を言う。

終点見沼代の「舎人氷川神社」             歴史を感じる          見沼代親水公園は長い遊歩道
    

見沼代用水を公園化したもので、約2キロに及ぶ。
木陰も大分あり、何よりも幅も広い用水が、何とも涼やかである。水も思った以上に澄み、太陽の日に輝いた。時々鯉の産卵か飛び跳ねていた。朝で、人影も少なく、静かな親水公園である。

水量が減り、水の量が少ない。

                   公園は、鳥たちの楽園に
    

この親水公園は、かつて農業中心だった足立区の大動脈,見沼代用水路を子供たちが遊べる公園としてよみがえらせたもの。
全長1700m。4つの水遊びゾーンで構成されており,植物や昆虫の観察ができる「水生植物ゾーン」・滝あり渓流あり,野鳥さえずる
「こもれびゾーン」・子供達の遊びや区民の集いの場となっている。
「せせらぎゾーン」・下流部のゆったりした流れを見せる「まどろみゾーン」からなっていると。

                  見る所は「親水公園」他は無い
    

「毛長川」は、埼玉県川口市東部に源を発し、市内を南へ、草加市と足立区の境を東へ流れ、足立区花畑地区で綾瀬川に合流する。
一級河川の上流端は川口市安行、が、見沼代親水公園に沿って流れている。

毛長川に架かる            「ふれあい橋」           川沿いに境川部屋が
    

「境川部屋」(出羽海一門に属する相撲部屋)は、

1992年に現役を引退して以降、出羽海部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたっていた12代中立(元小結・両国)が、
1998年に2人の内弟子と同郷の先輩である大鳴戸親方(元幕内・吉の谷)を連れて、出羽海部屋から分家独立して中立部屋を創設した。
12代中立の師匠である12代境川(元横綱・佐田の山)が定年を迎える直前の2003年に、12代中立と12代境川が互いの名跡を交換する形で12代中立は13代境川を襲名し、同時に部屋の名称を中立部屋から境川部屋へと変更。
学生相撲出身者を積極的に迎え入れており、2002年3月場所に新十両へ昇進した岩木山を最初として、これまでに8人の関取を輩出している。
豪栄道や妙義龍などといった気鋭が登場して活躍している。この部屋が川沿いに。

境川氏墓が、                 尾久橋通り方面に              並木道
    

これで、舎人ライナーの散歩は終わり,都営地下鉄大江戸線「門前仲町」に戻ります。

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